表彰台と傷ついたお尻について
ロシア国歌がザクセンリンクに響き渡った。メインポールにはロシア国旗が翻り、その隣に日の丸が並んで揚げられた。反対側にはメインと同じロシアの三色旗だ。ストロベリーナイツの表彰台独占である。愛華はデビューレースで二位に入った。
国歌吹奏が終わると、エレーナが表彰台の一番高い位置に愛華を引っ張り上げた。観客が沸く。
エレーナと同じ位置に立っても、頭一つ低く見える。ちょうど三位の台にいるスターシアと頭がやっと揃うぐらいだ。
観客からバレンティーナ相手に、一歩も退かなかった小さなニューヒロインに対し、アイカコールが沸き起こった。
本来のストロベリーナイツのエースであるシャルロッタは、いつも表彰台でバク宙のパフォーマンスをしてくれる。ニューヒロインはどんなパフォーマンスを見せてくれるかと、観客の期待が膨らんでいた。
エレーナとスターシアに背中を押されて、愛華は前に歩みでた。歓声が高まる。熱気に圧倒され、尻込みしたが、
「バレンティーナ相手にあれほどの走りを見せたのに、どうした?今でもバク宙ぐらい出来るだろ?ファンに応えてやれ」
エレーナに耳許で囁かれては、やらない訳にはいかない。
愛華は表彰台の端まで歩み寄り、観客に背を向けて立った。エレーナは愛華がやろうとする事を悟り、二三歩退いた。
「いきますっ!」
愛華の掛け声にスターシアが音頭をとる。エレーナとチームのスタッフたちも声を揃えた。
「アジーン(один)」
「ドヴァー(два)」
「トリー(три)」
「「「だあっ!」」」
表彰台を独占した三人が声を合わせると同時に、愛華がぴょーんと飛び上がり、空中で伸身の後ろ宙返り捻りを見せ、正面を向いて表彰台下にぴたりと着地した。
観客が一斉に「おお〜っ」驚きの声をあげた。日本語で言えば「いち、にい、さん、ダァ―ッ!」である。ちょっと恥ずかしいが、たぶんわかる人はここにはいないだろうと思った。
体操をしていた愛華にすれば、満点とは言えない演技であったが、高い身体能力を魅せるには十分だった。
しかし、その後のシャンパンファイトでは、未成年の愛華は炭酸水を渡されたが、エレーナとスターシアから本物のスパークリングワインを全身に浴びせられ、一口も飲んでいないにもかかわらず揮発したアルコールだけでふらふらに酔っぱらった。
愛華は一歳児並みの身体能力になっていた。
表彰式が終わり、スターシアに支えられながらストロベリーナイツのパドックに戻ると、愛華のリクエストした苺タルトが届けられていた。
これから憧れの苺騎士団の儀式だ。
愛華は、苺タルトの入れられたクーラーボックスの前へとふらふらとよって行く。つまずいて危うくテーブルごとひっくり返しそうになった。
「こらっ、アイカ。せっかくの苺タルトをシェークにする気か?先にシャンパンの染み込んだつなぎを着替えろ!」
エレーナに言われて、その場でつなぎを脱ぎ始めた。因みに苺タルトをかき混ぜても、シェークにはならない。
「ばか!ここで脱ぐな。スターシア、トレーラーの中へ連れて行ってやれ。まったくこれほどアルコールに弱いとは……」
テントの中では、まだ男性のメカニックが片付けの作業をしている。外からも丸見えだ。ウォッカに較べたら水のようなシャンパンの匂いだけで、あそこまで酔えるのがエレーナには信じられなかった。
「えれえなしゃん、わたしがくるまで、しゃきにたべたら、らめでしゅよお〜」
「安心しろ、全員揃うまで始めない」
メカニックも含め、チームスタッフ全員で食べるのが慣わしだ。
「アイカちゃん、私が着替えさせてあげるから、行きましょう。それから、お尻も診てあげないとね。アザでも残ったら大変」
「だあぁ、しゅたあしゃしゃん」
「スターシア!余計な事はしなくていいからな!」
エレーナはチーフメカニックのニコライに、レース中のマシンについて詳細に伝えた。データロガーに記録されないフィーリングも貴重なデータだ。出来るだけ記憶の新しいうちに正確に伝えるのも大切な仕事だ。愛華は今日だけ大目に見てやる事にした。メカニックへの報告を終えて、自分も着替えるためにトレーラーに入っていった。
ソファーの上で愛華がブラとスパッツ姿のまま、俯いて座っていた。
「まだ着替えてないのか?どうした?」
愛華は俯いたまま、恥ずかしそうに身体を強張らせた。顔は青ざめている。
「どうした、気分悪くなったか? うん……?まっ、まさか、スターシア!アイカが酔っているのをいいことに、アイカのお尻を……」
「ちがいます、ちがいます!診せてませんから!」
愛華は顔を上げて否定した。
「スターシアさんにつなぎを脱ぐの手伝ってもらってたら、だんだん酔いが醒めてきて……。そしたら急に恥ずかしくなって……、その……わたし、エレーナさんやスターシアさんに、凄く失礼な事言ってたみたいで……すみませんでした」
エレーナは安堵のため息を洩らした。
「そんな事か、気にする事はない」
「そうですよ。酔ったアイカちゃん、甘えん坊でとっても可愛いかったですよ。エレーナさんが酔うと一個中隊では鎮圧出来ないほどの暴れ方ですから」
「適当言うな!小隊に抑えられたわ!」
小隊は出動したんだ?酔っぱらい女一人抑えるのに。それだけでも恐ろしい話だが、愛華には小隊と中隊の規模もわからない。
何となく自衛隊がゴジラを攻撃するシーンをイメージしてしまう。ロシア軍なら自衛隊より強そうだと思った。エレーナさん、酔うとゴジラより強いんだ。恐い……。
「しかしアイカはアルコール弱すぎるな。幸い、匂いだけだったから醒めるのも早かったようだが、もう少し酔っていたらスターシアの毒牙に掛かって、今頃……」
「私はそんな卑劣な真似いたしません。アイカちゃんのお尻を心配して診てあげようとしただけです」
「スターシアが診んでもいい!」
「そう言うエレーナさんこそ、『ライダーの健康管理は監督の責任だから』とか言って、アイカちゃんのお尻を見ようとしてたんじゃありませんか?」
「ちっ」
「あっ、今舌打ちしましたわ」
「していない」
「いえ、確かに『ちっ』って言いましたわ」
「言う筈がない。私はスターシアと違い、邪な気持ちなどない。前々からおかしかったが、やはりおかしいぞ、スターシア」
レース前に交わされた不毛な言い争いが、攻守を替えて繰り返されていた。レースとは、いつ立場が逆転するかわからないという貴重な教訓である。
愛華は、自分が不和の原因のような気がして、スターシアの弁明をする。
「あの……スターシアさんは、本当に私のこと心配してくれてるから、わたしも酔っぱらってたし、甘えて診てもらおうかなって、ちょっとだけ思ったりして……」
愛華の衝撃告白に、圧され気味だったスターシアが、勝ち誇ったように「ふん」と横目でエレーナを眺めた。エレーナはショックを隠し切れず、
「アイカは、スターシアには甘えても……私には、診られたくないのか……?」
あのエレーナ女王が落ち込んでいる。
「そんなことないです!あの……、エレーナさんは、わたしのずっと憧れてた人だから、尊敬してますし、エレーナさんが診せろと言うなら……その、やっぱり監督ですし、エレーナさんなら、って、ちょっとだけ思ったりして……」
瞬時に立ち直ったエレーナが勝ち誇って「ふん」と横目でスターシアを眺めた。
「そういえば今日、スターシアはあまり活躍していなかったからなぁ」
エレーナがどや顔で呟いた。
「エレーナさんだって、私と一緒にアイカちゃんに追いついただけじゃないですか?活躍したのはアイカちゃんで、エレーナさんはおいしいトコだけ持っていっただけですわ」
「スターシアが遅いから、アイカに追いつくのが遅れたのだ」
「いいえ、エレーナさんがもたついていたから合わせざる得なかったのです」
愛華には、あの呼吸の合ったエンジン音を奏でてた二人とは、どうしても信じられなかった。まあ、どっちがこの不毛な争いを制しようと、愛華の立場が変わらなそうなので、止めに入る。
「あの……、わたしとしては、お尻は……」
「「どっちに診て欲しいの(だ)(ですか)?」」
声を揃えて返された。なんだか不思議なデジャブ感を感じながら、正直に答えた。
「いえ、だから、その……、お尻はホント大丈夫ですから。全然なんともないです。本当にお二人とも必要ないですから」
「「二人とも必要ない……!?」」
愛華から必要ないと言われて、二人は揃って引退を考えた。