エースはタフでなくてはやっていけない、優しくなければやってく資格がない。
スペインの観客も熱狂的だったけど、イタリアとは少し違う気がした。
上手く言い表せないけど、何となくスペインの人たちは、一人一人がレースを観て、それぞれが思い思いに楽しんでいるとGPアカデミーにいた頃から感じてた。その楽しみ方が日本とはけた違いなお祭り騒ぎだけど、隣の人が誰を応援していようと割と気にしない感じがした。
それに比べるとイタリアは、一人一人が楽しんでいるのは間違いないんだけど、応援する対象ごとにエリアが分かれ、観客同士まで対抗してるみたいだ。だから勝ち負けに凄く拘る。なにか集団になる事で興奮が膨らんでいくというか、興奮が波のように押し寄せ、それが重なり合う事で制御出来ない津波のような巨大な猛威になってしまう気がした。
どちらも観客席で観た事はないから、そんな気がするだけかも知れない。
愛華は、チームミーティングの前に、観客の雰囲気の違いについて、シャルロッタとスターシアに訊ねてみた。
エレーナは、メカニックたちとの打ち合わせとスポンサーやマスコミへの対応が忙しいらしく、まだ顔を見せない。マスコミなどは、ランキングトップでポールシッターのシャルロッタや人気急上昇中の愛華にも取材したいところだろうが、エレーナが一人でそれらを引き受けてくれているので、愛華たちはレース前の時間を喧騒に振り回されずに済んでいた。エレーナが対応してくれるのに、不満を口に出来る者はいなかった。
「同じラテン系でも、スペイン人とイタリア人では、国民性は違いますからね」
「同じイタリア人でも、棲んでる地方で性格も違うわ。だいたいローマ人とナポリ人は、昔から対向意識が強いし、他の地域でもそれぞれ特性の違いがあるわよ。サッカーのチームなんか見ればよくわかるわ」
スターシアの答えを、イタリア人のシャルロッタが更に突っ込んだ説明をしてくれた。
確かに日本人でも、地域によって特徴が異なる。サッカーチームに特徴が現れるみたいなのも、日本ならプロ野球チームだろうか。
「まぁ、あたしのように高貴な生まれの者と愚民どもとは、ぜんぜん違うんだけどね」
結局どこの人だろうと簡単にステレオタイプでは括れないと言う事だろう。
それはそうと、シャルロッタの人気が、実力にそぐわないのはイタリア製バイクに乗っていないだけではないのがよくわかった。
「ところで何で急にそんなこと気にしだしたのよ?」
「えっと、ラニーニちゃんへの応援が物凄くて、それは人気があるから仕方ないことで、ラニーニちゃんもそれで頑張れれば素晴らしいと思うんですけど、なんかプレッシャーみたいに感じているみたいなんです」
「はぁ?なにそれ、そんなのイタリアのエース名乗るんなら、それくらい当たり前でしょ?それよりあんた、敵のこと心配してる余裕なんてあるの?」
シャルロッタからバッサリ斬られ、愛華は“しゅん”となってしまった。
まったくの正論なのだが、スターシアお姉様から責めるような視線を向けられるとシャルロッタも居心地が悪くなった。
「まあ確かにイタリアの大衆というのは、身勝手な連中ではあるわね」
シャルロッタも少しは言い過ぎたと思ったようだ。
「観客なんて、適当に楽しませてあげればいいのよ。いちいち応えてあげてたら、身がもたないわ」
シャルロッタの言うことも、もっともだと思うのだが、エレーナから『ファンは大切にしろ、応援してくれる人たちがいなければ、私たちはガソリンすら買えないのだから』とよく言われていた愛華には、なんだかファンを見下しているみたいで納得できない。そんな愛華の表情を感じとったシャルロッタは、呆れた顔をした。
「それもできないってなら、期待に応えようとせいぜい頑張って、プレッシャーで自滅することね。あたしはライバルが減って、楽ちんでいいわ」
冷たい言い方に愛華はなにか言い返したかったが、言葉が見つからない。悔しいがシャルロッタの言い分は、最初から間違っていない。
「遅くなってすまない。ミーティングを始める。うん?どうした、二人とも?暗い顔して」
エレーナがライダー専用のトレーラーハウスに入るなり、二人の様子に気づいて尋ねた。
スターシアから事の次第を訊くと、愛華に言った。
「ファンを見下す態度は気に入らんが、シャルロッタの言ってる事が概ね正しいな。エースライダーはどんなプレッシャーをも跳ね返さなければならない。そして勝てば最大の称賛を受けるが、負ければ罵倒を浴びる事もある。特にイタリアのファンはハードだ。それが嫌ならレースを降りるしかない」
やはりエレーナもシャルロッタと同じ意見だった。勝負師のエレーナならそう言うとはわかっていた。いつも愛華に優しいスターシアも何も言わないのは、彼女も同じ考えなのだろう。
「心配するな。ラニーニはそれほどヤワじゃない。アレクセイがエースに抜擢したライダーだからな。それにハンナも着いている。おまえは自分のレースに集中しろ。ライバルの心配していて、自分たちが負けたのでは洒落にならんぞ」
愛華だってわかってる。今はラニーニの心配より、自分のやるべき事に集中しなければならないことを。愛華は無理矢理ラニーニの不安顔を頭から追い払い、レース展開の打ち合わせに集中しようとした。
レースプログラムはスケジュール通りに進行し、Motoミニモの決勝の時間が迫っていた。
ピットロードの1コーナー寄り端に、コースインを待つライダーたちが集まって来る。
真っ先にウォームアップ走行に飛び出そうシャルロッタが先頭に陣取り、その隣にはランキング二位のイタリアの希望ラニーニがマシンを並べている。愛華はシャルロッタの後ろに並んで、二人の後ろ姿を眺めながらコースオープンを待っていた。
ラニーニは、集中しようと何度目かの深呼吸をした。
しかし気が落ち着くのは一瞬だけで、スタンドの半分近くを染め上げた、ラニーニを応援する青が目についてしまう。
意識しないようにすればするほど、頭から離れない。コースに出るのが怖い。こんなに緊張したのは初めてだった。
もう一度深呼吸をした。
「あんた、ビビってるの?」
「っ!」
隣のシャルロッタから突然声を掛けられ、びっくりした。
「今日のレースは、あたしが世界中のファンの心を鷲掴みするような勝ち方で優勝する予定よ。なのに引き立て役のあんたがヘタレじゃ、感動の演出が足りないじゃないの。あたしに負けたって、あんたの一生懸命に走る姿に感動してくれるファンもきっといるわ。イタリアのファンの半分ぐらいは譲ってあげるから、そいつらが涙流して歓ぶようなレースをして、あたしの栄光を輝かせなさい。難しいことないわ。あんたは余計なこと考えないで、精一杯走ればいいのよ」
傲慢な言い草であったが、シャルロッタが教えてくれている事は、ラニーニにも伝わった。
技術も経験も、やっぱりシャルロッタさんやバレンティーナさんには敵わない。勝たなきゃ、って願って勝てる相手じゃない。だから緊張なんてする必要なんかない。精一杯走るしかないんだ。
「わたし、思いきりいきますから、シャルロッタさんも覚悟してください!」
ラニーニがやる気溢れる声で応えると、シャルロッタは“ぷい”と前を向いて無視した。
「エヘヘ、シャルロッタさんたら、やっぱり本当はやさしいんですね」
愛華はバイクを押して、シャルロッタのリアタイヤをつんつんする。
「なっ、何よ?あたしは脇役にもちゃんと仕事してもらいたいだけよ!勘違いしないでよね!」
振り返ったシャルロッタは、フルフェイスのシールド越しからでも照れてるのがわかった。やっぱりツンデレだ。
「あんたこそ、いつまでも友情ごっこしてんじゃないわよ。これから本気でコイツらやっつけるんだから!わかってるの!」
「だあっ!」
「バレンティーナもフレデリカも、コテンパンにしてやるから、ちゃんとついてきなさいよ!」
「だあっ!」
ちょうどその時、オフィシャルがコースインの指示をした。
シャルロッタはバイクを押して思いきり駆け出し、バイクに飛び乗ると同時に、白煙と共にスミホーイの甲高い咆哮が吹き出された。それを追ってラニーニと愛華も駆け出した。




