ファーストコンタクト
ヤマダYC212は、フレデリカの激しい攻めのライディングに身悶えるように車体を振るわせて加速していく。その限界ギリギリのスリルに、フレデリカ自身も危険な興奮に昂っていく。
“もっと激しく!”
沸き上がる快楽に突き動かされるように、スロットルをさらに捻る。
フレデリカにとって、ライディングは本能だ。しかしそれは、シャルロッタのように生まれた時から自然に感じていたものではなく、体が大人へと成長する思春期の少年が、性に目覚めるようにバイクに興味を抱き、ライディングの興奮を覚えていった。
バイクを肌で感じ、バイクの反応するポイントを探っていく。
バイクが、自分のテクニックに反応し、思うように動かせるのに堪らなく興奮する。
目覚めてしまった背徳的快楽。
もっと激しく攻めたい。
自分の欲望を満たすほど激しい攻めに、耐えられるバイクが欲しかった。
敏感なコも嫌いじゃない。でも自分が満たされる前に逝ってしまうのは欲求不満が積もる。
このコは、我慢強い。他の連中は『扱えないじゃじゃ馬』なんて言ってるけど、あたいに言わせれば、下手なセックスを棚に上げて『あいつは不感症女だ』なんて言いふらしているくだらない男どもと同じだ。
闇雲に腰を振ったって感じない。マシンは繊細だ。最初はやさしく愛撫するように、お互い昂めあって……、そこからどこまで激しく愛し合えるかは、マシンとライダーがどこまで貪欲にスピードという快楽を求めるか次第。
YC212は、パワーと高剛性と軽量化をぎりぎりまで追求した素晴らしいマシンだ。一切の妥協を拒否して、速く走るためだけをめざして作られた。上手く乗れないのはライダーが下手だから。
ひたすら最高出力を求めた心臓は、低回転域では、ほとんどパワーを感じられないけど、一旦パワーバンドに達すれば、絶叫をあげて頂上まで駆け上がる。
曖昧なモーションに動じようともしない強固な車体も、熱烈に攻めれば思い通りに動いてくれる。
誰にでも体を許すような軽い女じゃない。
だから最高なんだ。
乗り手に最高のテクニックを求めてくる。
クラス最強のパワーのために組まれた給排気システムも、どんなにアグレッシブに攻めても破状しない強靭なフレームと足まわりも、扱えない連中にはただの“じゃじゃ馬”かも知れないけど、あたいにとっては世界最速のパートナーなのさ。
ポールポジションから飛び出したフレデリカを、ストロベリーナイツとブルーストライプスが追う展開で、スペインGP決勝は幕を開けた。
ただ両チームを指揮するエレーナ、アレクセイとハンナは、フレデリカを然程意識していなかった。
予選前にヤマダの範子が愛華に洩らした程度の予測は、経験豊富なリーダーたちも初めから予想していた。
「フレデリカに構うな。後半『流し』に入られても追いつける程度の差をキープして、無用なバトルは避けろ」
エレーナと同じような指示はハンナもしていたが、目の前で稀なる才能を見せつけられて大人しくしていられない“おバカ”が一人いた。
言わずと知れたシャルロッタである。
「意気がっているんじゃないわよ、田舎者のくせに。そのヘンテコな乗り方なんてあたしには通じないってこと教えてあげるわ」
シャルロッタが大人しくしてるとは思っていなかったが、ここまで単純だと逆にすっきりする。
「アイカ、どうせシャルロッタはとめても聞かんだろうから無駄に消耗しないようにサポートしてやってくれ。いいか、忘れるなよ、最終的なライバルはブルーストライプスだ」
エレーナは、想定していた次の作戦を愛華に指示した。
「だあっ」
元気よく返事したものの、それが簡単でないことは愛華も承知していた。
シャルロッタを押し留めることは、ライディングでも言語でも不可能である。残るはシャルロッタのリスクを少しでも減らすことだが、相手はフレデリカである。前戦一緒に走って感じたのは、シャルロッタ以上にプッツン逝っちゃってる印象だった。
シャルロッタさんが負けるなんて想像出来ないけど、わたしがどれくらいアシストできるかわからない……。
昨シーズンの最終戦で、エレーナとシャルロッタのバトルに加わる事さえ出来なかったのを思い出す。
それに本音を言えば、ちょっぴりシャルロッタさんとフレデリカさんのバトルを見てみたい気もした。
とにかく、一番大切なのはレースに勝つことなんだから、シャルロッタさんがムチャしないようにしないと!
シャルロッタと愛華が、フレデリカを追って飛び出したことにブルーストライプスのラニーニとナオミが反応した。
もしシャルロッタだけだったのならハンナも暫く様子見のつもりだったが、愛華まで追随するとなると、そのまま逃げ切られる恐れがある。
ラニーニとナオミに反応してエレーナとスターシアもペースをあげ、それに対してハンナとリンダも追随せざるおえなくなっていた。
結局単独のフレデリカに、両チームが引っ張られる形となったが、この展開も両チームのリーダーは想定していた。
「仕方ないわね。まあフレデリカさんの実力をこの目で見ておきたかったところですし、スローペースの賭け引きよりハイスピードバトルの方がスペインのお客さんも歓ぶでしょう」
ハンナにとっては、まだこのレースは自分たちとストロベリーナイツの戦いだとの意識に変わりない。それはエレーナもほぼ同じ認識で、実際間違ってはいないだろう。それでも尚、フレデリカが両チームの勝敗の行方に絡んでくるだろうとは二人とも覚悟した。
ハイスピードバトルになれば、個々のライダーのスピードでストロベリーナイツがやや有利だろう。しかしそれはストロベリーナイツ対ブルーストライプスの比較であって、フレデリカという予測出来ない要素が、レースをどうかき混ぜるかは不確定である。
元々ストロベリーナイツの戦力を正確に測るのは、エレーナにとってすら困難だ。
シャルロッタは予想できるバカだったが、時に愛華の想像以上の粘りに、シャルロッタまで予想を超えた力を発揮する。
かといって、いつもそれをあてにするほど楽天的にはなれない。愛華もまだまだ安定したライダーとは言えないのだ。
それに加えて未知の才能が絡むとなると、どんな化学反応が起こるか、エレーナもまったくわからなかった。
ヤマダとフレデリカは、どのみち強敵として立ちはだかるのは間違いない。ならば今ここでぶつかって知っておくのもいいだろう。ハンナたちにとっても条件は同じだ。
エレーナは、シャルロッタにセーブさせることを諦めて覚悟を決めた。
「アイカ、シャルロッタを全力でアシストしろ。フレデリカをパスしたらそのまま二人で逃げ切れ」
「だあっ!」
愛華の返事が、先ほどより力強く感じられた。その理由はわかっている。チームの指揮者という立場でありながら、エレーナもまた、天才同士のバトルが見てみたかった。
フレデリカは、これまでレースで他者をあまり意識したことがなかった。ライディングは自分とバイクの関係であり、それがうまくいっていれば、ライバルも、チームメイトすら気にする必要がなかった。国内レースでは自分とバイクが満足する走りをすれば、満足する結果が得られた。
ヤマダワークスとして世界への挑戦が決まった時、先輩のケリーからチームとしてのレース運びを教えられた。
確かにケリーやバレンティーナレベルのライダーが、組織的な集団としてレースを動かせば、単独で対抗するのは厳しいと感じた。
しかしそれには、自分を誤魔化さなければならないことにも気づいた。
チームメイトに合わせれば、自分を抑えなくてはいけない。ケリーもバレンティーナも、さすが世界のトップライダーと感心する速いライダーだ。他のチームメイトも国内レースを走っている連中よりおそらく速いだろう。単独で走るより、彼女たちと集団を組んだ方が速いのは間違いない。
何かが足りなかった。望んだマシンが得られなかったのもある。でもそれだけじゃない。
思う存分に走る興奮が失われていた。もっと自由に走りたい。
自分とマシンの能力全てを駆使して絶頂へと駆け上がりたかった。
前のレースで、途中からバレンティーナにそそのかされて思いきり走った。ケリーは怒っていたけど、あれほど昂ったのは久しぶりだった。いや、誰かと走ることで興奮を味わったのは、初めてかも知れない。
トップグループに追いつこうと協力した他チームのライダーが、自分とピタリと同調するなんて思わなかった。
ケリーやバレンティーナと比べて、特に勝っているとは言えない。自分も相手も、その場かぎりの利用するだけの関係。なのにあたいのマシンが嫉妬するほどぴったりと合わせてきた。もっと一緒に走りたかったな。
世界は思っていた以上におもしろい。
あのコ、あたいの実力があんなものとか思っているんじゃないかな?
だったらちょっと癪よね。
さあ、追いかけておいでよ。
どうせ単独だからすぐつぶれるとか、大人の対応しないでね。
確かにこのエンジン、最後までもたないかも知れないけど、あたいは全力で走るから。
結果より、走ることを愉しみたいのよ。
フレデリカがマシンに関して無知という評価は過ちである。
彼女はいつでも自分の跨がるマシンの状態を隅々まで感じてライディングしていた。
ただその感覚が、同じ天才肌のシャルロッタ同様、凡人の理解出来る範疇にない。
そして後先考えず、マシンの性能を100%引き出そうとするために、無謀な壊し屋と言われていた。
レーサーとして欠陥であるのに変わりないが、その能力は過小に評価されている。
フレデリカのリクエストは、想像を上回る規模で背後に迫っていた。
まだ未成熟のヤマダを駆る一発屋でしかない彼女に、近年のMotoミニモレースをリードする二強チームが、総力で追い込んできたのだ。先頭は、GP史上最高の才能と言われるシャルロッタ。
それに動じるフレデリカでもなかった。むしろ嬉々としていた。
「うわーっ、キタキタ。ホント世界って最高!ヤマダの連中みたいにお堅いのばかりじゃないんだ。あっ、やっぱりあのコもいるよ」
国外のレースにあまり興味のなかったフレデリカは、GPの強豪チームであってもその知識はそれほどなかった。それでも愛華だけでなく、その集団、特に先頭のシャルロッタの気配にただならぬものを感じた。
「先ずはお手並み拝見と」
アウトいっぱいに寄せたマシンを、一気に寝かし込むと同時にドリフト状態に持ち込み、ほぼノーブレーキでコーナーに進入していく。
完全にパッシングラインを塞いだつもりだったフレデリカのインに、肘が路面に触れるほど深くマシンをバンクさせたシャルロッタが潜り込んでくる。
「なにそのバンク角!魔法のタイヤでも履いてるの?」
驚きながらも、フレデリカはマシンの姿勢を変える事なく、ドリフトアングルのみでラインをずらして、シャルロッタを避けた。
ややラインが乱れたものの意図的なパワースライドによって、パワーバンドを維持したままのエンジン回転を、まるでアスファルトをクラッチプレート代わりに滑らせるように、立ち上がりに向けてトラクションを架けていく。極端に尖ったピーク域だけを使いマシンを加速させ、矢のようにシャルロッタを抜き返した。
「「こいつ、只者じゃない」」
お互い、初めて目にした異常な才能に、期待と畏れの入り雑じった言葉を同時に呟いていた。




