友情と思いを引き継いで
ラニーニとシャルロッタは、裏のストレートをフル加速しながら同時に後ろを振り返った。
遠ざかる彼方のエスケープゾーンで、愛華がバイクを起こそうとしているのが見えた。
「転倒!?」
二人は同時に驚いたが、とりあえず無事そうなのでホッとする。
「なにやってるのよッ!一番後ろからやっと追いついたと思ったら、コーナーたった一つだけで翔んでくなんて、そんなのあたしは許可してないわよ!あんたのせいで、あたしが絶対負けられなくなったじゃない」
「アイカちゃん、追いついていたんだ!シャルロッタさんが後ろにいるってことは、転んじゃってもハンナさんのブロックを崩したんだね。すごいよアイカちゃん!でもわたしだって負けないから」
二人は、同じ事を愛華に誓った。チームメイトとして、ライバルとして、友だちとして愛華にばかり大活躍させられない。次は自分たちの番だ。
愛華はすぐに再スタートしようと倒れているバイクを起こそうとしたが、膝に力が入らず尻餅をついてしまった。
「あれ?立てなくなっちゃった?」
別に転倒のダメージはなかったが、それまでの緊張と疲労が、思い出したように吹き出して、身体が震えていた。
愛華は、最後列スタートの最終ラップ転倒リタイヤというデビュー以来最低の結果でシーズン開幕レースを終えた。それでも自分の仕事を成し終えた充実感で満たされている。
勝敗の行方は、友だち二人に委ねられた。どちらが勝っても、きっとシーズンを盛り上げるすごいレースにしてくれると信じている。もちろんシャルロッタの優勝を願っているし、そのために頑張った。
でも「ラニーニちゃんもすごい」ってことを、シャルロッタさんに認めてもらいたかった。
ラニーニは必死で走った。コーナーを抜ける度、後ろからのプレッシャーが近づいて来るのを感じる。振り返らず、前だけを見つめて、ひたすら速く走る事だけを意識した。後ろを気にした途端、捕らえられてしまう気がする。
追い詰めた獲物を弄ぶ余裕は、シャルロッタにもなかった。獲物は剥き出しのプレッシャーにも拘わらず、ベストの走りを続けている。普通なら下手なブロックをしようとして隙が出来るか、自滅してくれるはずだった。
もう最終コーナーに差し掛かった。
勝負は一度だけ。
ラニーニの左側にシャルロッタが並ぶ。
インに入られてもラニーニは、自分の走りを譲らない。二人は並んだまま左に折れる最終コーナーに入って行く。
一歩も引かないラニーニに、シャルロッタは内側のゼブラにまで乗り上げるが、そのまま曲がり続ける。
二台のマシンが、カウル同士を触れ合うほど並べたまま、メインストレートに姿を現した。
ストレート勝負にもつれ込んだ二台に、ピットも客席も固唾を呑んで見つめる。
尚も二台は、ぴったり並んだままフィニッシュラインへと向かって行く。
ラニーニはフィニッシュラインを見つめた。
「あそこまで!あそこまでだから、頑張って!」
ここまで全力で走ってくれた自分の跨がるジュリエッタに、最後の願いを込めた。
シャルロッタは完全に頭を下に向けて、少しでも空気抵抗を減らそうと全身を縮めた。
「心臓が壊れるまで回るのよ!もっと速く!」
自身の苦痛に耐えるかのように叫んでいた。
ピットも客席も静まり返った。二台がフィニッシュラインを通過したのは、肉眼ではほとんど同時に見えた。
「どっちが勝ったの?あたしの勝ち?それとも負けたの?」
シャルロッタは完全に下を向いていたので、まったくわからなかった。
そのシャルロッタに、右側から握手を求める手が差し出された。
「おめでとうございます。わたしの負けです」
「……?」
「フィニッシュラインを越える瞬間、わたし、シャルロッタさんを見てしまいました。シャルロッタさんは、ヘルメットを完全にカウルの中に入れて、ほんの少しだけ前にいました。わたしの負けを認めます。わたしには、下を向いたまま走るなんて、できませんでしたから」
実際にヘルメットを下に向けるのと前に向けるのに、どれ程の差が生じるのかはわからない。おそらくマシンの性能やその時のエンジンの調子とかの方が大きく影響していただろう。しかし、ラニーニはマシンの差でなく、バイクと完全に一つになったシャルロッタに負けたと感じた。
ラニーニも自分のバイクを愛し信頼している。レース中、一体感も感じていた。自分のバイクを意のままに走らせられる自信もあった。しかしシャルロッタは、バイクそのものになっているように見えた。いつか自分もあんな風になりたいと思った。それには人間を辞めなければならないとは、まだ知らない。
「あたしの勝ちなの?……、でも、あんたも凄かったよぉ!」
シャルロッタは、バイクを走らせながらラニーニに抱きついた。これほど歓びを露にするのは、ツンデレのシャルロッタにしては珍しい。しかも敗者を称えてる。
「わっ、ちょっとシャルロッタさん!危ないです。ハンドルから両手放さないでください!」
なんだか身に覚えがあるセリフを浴びても、シャルロッタは器用に下半身だけでバイクを操り、ラニーニを“ぎゅっ”とし続けた。やはりバイク人間は、人間離れしている。
“パッコーン!”
突然後ろからヘルメットを殴りつける音が響いた。エレーナがシャルロッタの頭をどついた音だった。
「痛っ!何すんです、危ないじゃないですか!エレーナ様」
「おまえが一番危ないわっ!どアホ」
「でも二人とも立派でしたね」
スターシアが二人に握手を求めると順に応じた。
ウィニングランで直接触れ合って健闘を称え合う光景は、二輪レースの最も美しいシーンのひとつと言える。四輪ではドライバー同士が握手を交わすのは、大抵ピットに戻ってマシンを降りてからだ。
ハンナにリンダとナオミも加わって、七人が揃って観客席に手を振りながらコースをゆっくり廻っていった。
「一番のお騒がせ者も拾ってやるか?」
エレーナのジェスチャーを交えた提案に全員が頷く。
そして11コーナーを抜けたセーフティゾーンの端でヘタリ込んでいる愛華の前で停まった。
「アイカちゃん、わたし負けちゃった。でも一緒にシャルロッタさんを称えよっ」
ラニーニが手を差し伸べ、愛華を自分の後ろに乗せようとする。
「ちょっとアイカ!なにライバルチームのバイクに乗ろうとしてんのよ!あたしが乗せてあげるから、感謝しなさい」
先ほどは抱きついていたのに、シャルロッタがラニーニを押し退けようとする。健闘は認めても、これは別の問題らしい。しかし、くたくたに疲れている愛華は、シャルロッタの後ろだけは遠慮したかった。絶対危ない曲乗りするに決まっている。
「私の後ろにお乗りなさい、アイカちゃん」
「イヤ、私が乗せていってやろう」
スターシアかエレーナかを選ぶのも面倒くさそうだ。
「リヒター先生、ピットまで乗せて行って貰えますか?」
ハンナは一瞬驚いた表情を見せたが、全員が頷いたので、小柄な愛華をシートカウルに跨がらせた。
「私はもうあなたの先生じゃないと言いましたよね。あなたは本物のGPライダーです」
「でも転んじゃいました」
「技術はまだまだですが、凄い気迫でしたよ。立派になりましたね。やっぱりあなたにもサムライの血が受け継がれているのですね」
愛華は、間違っても恩師に勝てたなどとは思っていなかったが、少しだけ誇りに思った。
最後の言葉の意味はよくわからなかったが、その時はあまり気にしなかった。




