迷走するワークスチーム
「うわーぁ、この日本人、まだ頑張ってるじゃん。もしかしてあたいに惚れちゃった?」
フレデリカにとっても、一見それほど強いライダーには見えない愛華が、自分のペースについて来てる事に驚きであった。
「ヤマダのバイクがもう少しガッチリしてたら、もっと華麗なダンス見せてあげるんだけどね。それよりあんた、あたいのパートナーにならない?」
これは、フレデリカの負け惜しみではない。そもそも現時点でも負けていないが、彼女はヤマダのマシンの剛性不足に不満を持っていた。“ファースト”フレデリカの真の速さは、まだまだ先にある。だがそれこそが、ヤマダの開発方向を迷走させている原因でもあった。
ヤマダYC213は、ケリーが主体となって二年前から開発が進められてきたYC211の最新バージョンであった。
ケリーはフレデリカと同じダートトラック出身であったが、ロードレース転向後は、グリップの高いアスファルトとスリックタイヤでの乗り方を研究し尽くし、独自のライディング理論を確立していた。
そのスタイルは実に合理的で、あまり知られていないがエレーナを含めた多くのライダーに影響を与え、スミホーイやジュリエッタの開発方向まで影響を及ぼしていた。
ケリーの経験と知識の集大成として開発が進んでいたYC211は、エンジンパワーと車体のバランスのとれた理想的なマシンになる筈であったが、GP参戦が早まったために、開発スピードを速める必要に迫られた。ヤマダの開発チームは、新人のフレデリカもチームに加え、積極的に意見を採り入れた。
フレデリカが望んだのは、中低速のトルクより、より高いピークパワー。
エンジン特性の変更は、現代の電子制御システムならプログラムを変更するだけでそれほど困難ではない。しかし高回転高出力になれば、フレームとのバランスが崩れ、より高剛性の車体へと設計変更が必要になる。
ケリーは反対したが、ラップタイムではフレデリカの方が速かった事と、レース現場を知らないヤマダ首脳陣の多くがフレデリカの意見を支持した。
そしてフレデリカ以外は乗りこなせないじゃじゃ馬のYC212が生まれる。しかもエンジンは、ほぼ1レースの距離で壊れた。
それだけならまだ救いがある。YC212の最大の問題点は、心臓部の耐久性、そして尖ったピークパワーとスカスカの中低速トルクにある。フレデリカのように、ほとんどピークパワーしか使わない乗り方なら確かに問題にならない。そんな乗り方が出来るのがフレデリカしかいないのが問題だ。ならばピークパワーそのままに、下からスムーズに盛り上がる誰でも扱えるエンジンを造ればいい。だがそれにはプログラム変更だけでは対応出来ない。エンジンを最初から開発し直す必要があった。
そしてバレンティーナの加入によって、混迷は更に深くなる。
当初バレンティーナは、ケリーの開発していた最初のYC211を好んだ。しかし、フレデリカの乗るYC212の圧倒的パワーを目にすれば黙っていられない。かと言ってYC212はとてもレースを走れる代物ではない。
フレデリカのライディングスタイルは、強引なブレーキングとフルスロットルを同時進行で行うドリフトコーナーリングに、乱れる事のない高剛性な車体と中低速を犠牲にしても絶対的なピークパワーを望んでいた。
バレンティーナは、自然な旋回を可能とするしなやかなフレームと、高出力克つフラットなパワー特性を望んだ。
全く違う二人の要求は、プログラムやセッティングでどうこう出来る違いでない。如何にヤマダワークスと言えども、全く方向の違う二種類のマシンを最初から開発し直すには、時間的にもコスト的にも余りにロスが大き過ぎた。人材もいっぱいだ。
ケリーには、異端のフレデリカに望み通りのマシンを与えるのが最速への最短距離なのはわかっていたが、フレデリカがシーズンを通して安定した成績を残すのは難しいのも知っていた。
彼女に見合うアシストがいない。そして何れはフレデリカとバレンティーナはぶつかる事も予想出来た。
結局めざす方向も曖昧で、新しいエンジンも完成しないまま、中途半端なフレームに既存のエンジンを載せたYC213が出来上がった。
それは、外からは順調に進化しているように見えても、並外れたライダーがなんとか誤魔化して走らせられるだけの、ケリーの理想とはかけ離れた駄馬だった。
フレデリカのマシンには、ピーキーなセッティングを施されたエンジンに、無理矢理のフレーム補強がされていたが、付け焼き刃的なものでしかない。到底彼女の過激なライディングに耐えれるものではなかった。予選を通して制御されていたが、バレンティーナと愛華に触発された彼女の本能のリミッターは、外されていた。
S字に差し掛かった辺りから、安定していたフレデリカのマシンのスライドが大きくなった。
明らかにそれまでと違う挙動に、真後ろにいた愛華は不安を感じ、反射的にスロットルを弛める。
次の瞬間、フレデリカのリアタイヤがバーストした。
路面を滑るフレデリカと彼女のマシンを巻き込まれるのをぎりぎりで避ける事が出来た。精一杯のペースで走っていながらも、冷静に観察出来ていたのは、いつもシャルロッタと走っていたお陰だろう。フレデリカには申し訳ないが、ここまで来てリタイヤはごめんだ。
レース後、ヤマダはフレデリカのタイヤバーストの原因は、ヤマダがマグナテック社と共同開発したマグネシウムとカーボンの複合ホイールにクラックが入っていたからであり、バレンティーナやマリアローザとは別のものであるとコメントした。
真相は不明であったが、真後ろにいた愛華にも、そこまで探る余裕はなかったし、レース中の彼女には興味もなかった。
もう手の届くところに、自分のチームが見えていたのだ。
やっと追いついた!って、何でシャルロッタさん抑えられているの!?
愛華に安堵する暇はない。最後の力を振り絞るように右手首を捻った。
レースは、ファイナルラップを迎えようとしていた。




