もう一人の天才
シャルロッタの早めのスパートに、後続との差は一気に拡がった。
代わって集団先頭になったラニーニには、これまでのペースを保つのが精一杯である。
それもレース中ブルーストライプスを指揮するハンナにとっては、想定内の展開だ。
「大丈夫、無理に追う必要はないから。後ろを気にしないで、そのままのペースを維持して」
ハンナは、絶えずラニーニの背後にいるスターシアに後ろからのプレッシャーを掛けながら、ラニーニに自分の走りを続けるように指示する。
トップグループ最後尾から状況を視ていたエレーナは、苦々しい思いで眺めていた。
シャルロッタが単独首位にいるとは言え、スターシアと自分とも完全に分断されている。残りの周回を、シャルロッタが何事もなく走りきれると考えるのは楽観的過ぎる。地力のあるエースであっても、逃げ切るには難しいタイミングでのアタックだ。ましてやシャルロッタである。
当のシャルロッタは、自分の本気の走りにラニーニがついて来れないのに上機嫌であった。
「フッフッフッ、エレーナ様は随分とラニーニのこと警戒してたけど、あたしの『獅子王真眼』の敵ではなかったようね。もう少し張り合いあるかと期待したけど、ちょっとガッカリだわ」
エレーナとスターシアが心配した通り、シャルロッタは集中力は早くも途切れ始めていた。
バレンティーナと愛華の異色コンビは、ライバルチーム同士とは思えない息の合った走りで、他のライダーのブロックを掻い潜るように順位をあげていた。
バレンティーナが、コントロールの難しいマシンにも拘わらず、愛華の走りに合わせてくれたのは大きい。所々で、バレンティーナのマシンが振られて“どきり”とする場面もあるが、シャルロッタのチート走りと比べたら、ぜんぜん神経をすり減らさずに済んだ。
気がつけば、愛華は第二集団の先頭にまで追いあげていた。
先頭にいたのは、バレンティーナと同じヤマダワークスのケリーとフレデリカだった。
彼女たちも、未完成のマシンを騙し騙し走らせて、このポジションでフィニッシュまで運ぶつもりのようだ。現状、トップ2チームに次ぐ順位で完走出来れば、十分な成績と言えるだろう。
バレンティーナは、二人をも抜きに掛かった。
「ちょっとバレンティーナ、無理はやめなさい。トップグループには追いつけないわ。それより無事にゴールする事を考えなさい」
ケリーが押し留めようと呼び掛けたが、
「ごめんよ、ボクには地味にポイント稼ぐなんて似合わないんだ。タイヤももう終わっているしね。たぶんゴールまで保たないから。それより古巣に忘れ物届けたいんだ。ケリーたちも力貸してよ」
逆に誘われる始末だった。
「何をバカなこと言っているの?私たちの目標は、シーズンタイトルよ。あなたはパフォーマンスは派手でも、レースには真面目に向き合っていると思っていたけど、私の買い被りだったようね」
ケリーは、勝手にしなさいとバレンティーナと愛華に道を譲った。
「残念だなぁ、このコすっごくおもしろいのに。レースは楽しまなくちゃ。人生と同じだよ」
「それはイタリア人の人生観でしょ?私たちは真剣にレースをしているから」
バレンティーナは、ケリーの言葉に肩を竦めた。
ボクだって真剣さ。マシンが出来上がってない時でも、確実にポイントをゲットしなくちゃいけないことは知ってるつもりだよ。でもね、このコは特別なんだ。
ボクたちのマシンが戦えるようになるまでは、ストロベリーナイツには最強チームとして君臨していてもらいたいんだ。
シャルロッタに勝つなんて簡単さ。あいつ頭が弱いからね。
でもあいつ、アイカと一緒だと、信じられないくらい強くなるんだ。最強の相手を打ちのめすなんて、最高じゃない?
バレンティーナ自身、愚かな考えだと思う。
敵を強くしてどうするの?
勝つための方法は、いくつも知っている。
目立つ事で、ファンを味方につけ、よりよい条件を手に入れてきた。ヤマダに移ったのもそのためだ。ヤマダのマシンは、確実に最速になる。
ライバルを追い詰める手段もある。これまでもそれを駆使してきた。
しかし、何かが足りなかった。一昨年、バレンティーナがチャンピオンに輝いた時は、これからは自分が女王だと信じてうたがわなかった。それなのに人々は、エレーナを女王と呼び続けた。
そして咋シーズン、タイトルを再びエレーナに奪われた。しかも劇的に、ファンの心まで奪っていった。
アイカを助けて、美談にしたい?
疫病神を元いたチームに押しつけたい?
それもあった。でも本当に欲しいのはそんなんじゃない。ただのタイトルでもない。最強の相手と死力を尽くして闘いたいんだ。
認めるよ。エレーナは偉大な女王だ。スターシアも最高のアシスト。そしてシャルロッタとアイカのコンビは、GP史上最強のペアになれるかも知れない。否、なってもらわないと困る。そのペアを打ち負かしたボクが、『最速のチャンピオン』と呼ばれるために。
バレンティーナは、危険な挙動を示し始めたタイヤもお構い無しに、スロットルを全開にした。
愛華は、自分の事でバレンティーナとケリーが不穏な雰囲気になっているのを感じながらも、バレンティーナのあとを追って第二集団を脱け出した。
バレンティーナの思惑など知るすべのない愛華は、なんだか申し訳ない気がしたが、自分が口出し出来る事でもないと思った。せっかくチームに追いついても、バレンティーナまで連れて行っては、余計に大変になるかも?とも思ったが、せめて少しでもの恩返しにと、積極的に前を走った。
セカンドグループを脱け出したのは、二人だけではなかった。
バレンティーナと愛華の走りを見て、どうにも我慢出来なくなった天才が、もう一人いた。
欧州ではほとんど無名に等しかったが、昨年北米選手権に彗星の如く現れ、AMAのロードだけでなくダートのレースまでを席巻した弱冠15歳の天才少女、“最速”フレデリカ・スぺンスキー。
ヤマダは彼女を、シャルロッタを上回る才能と評価し、秘密兵器としてケリーと共にアメリカから呼び寄せチームに加えた。
「レースを楽しんでいるのは、イタリアンだけじゃないから。遊びならアメリカンの方が得意だよ」
フレデリカは、コーナーの進入で二人の前に割り込むと、長身の上体を起こした独特のライディングフォームで、リアブレーキを引きずるようにマシンを一気に寝かし込み、直ぐ様スロットルを開けてパワーバンドに入れた。当然リアタイヤはグリップを失うが、スロットルを弛める事なく、スライドをコントロールしてコーナーを曲がっていく。
エンジン回転数は、ずっとパワーバンドをキープしたまま、ホイルスピンで車速をコントロールしているようなライディング。
まるでダートをオフロードバイクで遊んでいるように、アスファルト上の高速ダンスを楽しんでいる。
「ありゃぁ……、あれはちょっとボクも惹くよね。知らないよ、ケリーに叱られても」
バレンティーナすら呆れる派手なパフォーマンスだった。
「遊びに誘ったのはそっちなんだから、つきあってよ。堅物なんてほっといて、楽しもうよ、っね!」
フレデリカは、コーナーの立ち上がりでリアタイヤから白煙が上がる程のフルスロットルを繰れながら、バレンティーナと愛華をダンスに誘う。
二人の会話が聞こえない愛華は、只唖然と眺めるしかない。
(なに、この人?シャルロッタさんより壊れてるかも?)
どちらも自分とは違う『天才』という人種だと一目で理解しながらも、別の種族だと感じた。シャルロッタと何が違うかは上手く説明出来ないが、明らかに違うタイプだ。
「踊りたいのはやまやまだけど、ボクのタイヤはもうダメみたい。アイカとダンスしてやってよ。でもそんな乗り方じゃ、キミのマシンもすぐイカれちゃうよ」
バレンティーナは無線でフレデリカにそう伝えると、愛華に視線を向け、勝手に『ウチのバカ、よろしくね』と片方の目を閉じて託すと、スローダウンしてしまった。
バレンティーナはそこでリタイアした。コースサイドに止まった彼女のバイクを安全な場所まで押そうとしたコースマーシャルは、リアタイヤのトレッドがほとんど残っていないのを見て眼を丸くした。




