バレンティーナと愛華の奇妙な関係?
レースは中盤になっても、トップグループに動きはなかった。とは言え、かなりのハイペースで進んでいる。
シャルロッタは、なんとかラニーニを振り切ろうと飛ばしたが、相変わらずラニーニはぴったりとついて離れない。
ラニーニにとっては精一杯のペースで、そろそろ限界に近い。
後ろを振り返る余裕もないが、真後ろからスミホーイのエンジン音が聞こえている。しかし、何も仕掛けて来ない。
たぶん、スターシアさんかな?どうして何も仕掛けないんだろう?温存してるのかな?それともハンナさんのブロックに手一杯なのかな?
レース前、アレクセイ監督から『シャルロッタが飛び出したら、ぴったりとマークしろ。抜かなくてもいい。しつこく離れないようについて行ければ十分だ』と言われた。
ここまでは、なんとかついて来られた。監督の話では、シャルロッタさんはすぐに苛ついてミスをしでかす筈だった。
確かに、中盤になってブレーキングミスが目立ってきてる。でも元々彼女は、正確なブレーキングをする人じゃないし、どんな位置からでもコーナーに入っていける。
シャルロッタさんが致命的なミスする前に、こちらが先に限界かも。もしアイカちゃんまで居たら、とっくに負けちゃてるね……。
あれ?なに言ってるの、私。負ける前から弱気になってどうするの!アイカちゃんに笑われるぞ。頑張れ、自分!
ここで離されたら、シャルロッタさん調子にのって独走だよ。きっとアイカちゃんも諦めないで追い上げているんだ。アイカちゃんが追いついた時、私がヘタレだったら、がっかりさせちゃう。絶対にシャルロッタさんに食いついて行くんだ!
一方、後続集団では、愛華が15~17位辺りで苦戦していた。
ジュリエッタから払い下げのワークスマシンを貸し出されているサテライトチームの三人に、厳しくチェックされていた。
コーナーでの連係したブロックとスリップストリームを上手く使ったストレートスピードは、簡単にはパスさせてくれない。
中堅チームの彼女たちにとって、愛華を抑えるのは絶好の目立つチャンスである。テレビ中継もこういう機会でしかなかなか映らない。彼女たちにとって、順位よりストロベリーナイツの騎士を一秒でも長く抑える事の方が貴重だった。
最後はS字でシャルロッタばりの変則、且つ強引な抜き方でパスしたが、結局前に出るのに三周を要していた。
この先も、前を走るライダーたちはどんどん手強くなっていく。しかし、怯んではいられない。汗が滲みた目を瞬きさせて、次のターゲットに向けると、よく知っているライディングフォームが映った。
「バレンティーナさんとマリアローザさんだ!」
別にコソコソした訳ではないが、愛華が後ろに着いた事に、二人は気づいていない。急いではいたが、いいペースで走っているので無闇に仕掛けるより、じっくり観察する事にした。
ヤマダのマシンは、直線でのスピードは相当速い。パワーではスミホーイやジュリエッタを凌駕しているようだ。しかし、コーナーからの立ち上がりで、マシンがかなり振られている。進入でも思うように曲げられなくて苦労しているようだ。おそらくフレームに問題があるのだろう。
立ち上がりではエンジンパワーにフレームが耐えられず、補強すれば曲がらなくなり、曲がり易くすると、パワーに負ける。
妥協して、どちらも中途半端な仕上がりにしかなっていなかった。
愛華にそこまでの工学的推察など出来る筈もなかったが、暴れ馬のようなマシンを操る二人のテクニックには、改めて感服した。
バレンティーナとマリアローザは、愛華に気づかないまま、不安定なマシンに手を焼きながらも要領よく前車をパスしていく。無理にポジションを上げようとはしていないようだ。それでも愛華が単独で足掻くより効率が良さそうだ。金魚の糞のように二人の後ろについていった。
何と言われようと構わない。別にルール違反ではない。ずっとそのまま走って、ゴール前で抜くつもりならマナー違反だが、そのつもりはない。集団を抜けるのに便乗するだけだ。
しかし愛華の目論みは、早々に崩れた。前を走るマリアローザのリアタイヤから、剥がれたゴム片がバラバラと飛んできたと思ったら、彼女はコース脇に寄せてスローダウンした。
溢れるパワーとバランスの悪い車体、その負担がタイヤに押しつけられていたのだろう。摩耗したタイヤはグリップ力を失い、ホイルスピンを繰り返す内に高温になって、中まで溶け始めたトレッドが、一気に剥がれてしまったようだ。
バレンティーナのタイヤも似たような状態なのだろうが、アシストであるマリアローザの方が、より多くの負担を担っていたのだろう。
その状態でありながら、あれだけの走りでエースのサポートをしていたのは、やはり彼女も一流である事を証明していた。
愛華がバレンティーナの真後ろについたが、彼女はまだ自分の後ろにいるのはチームメイトのマリアローザだと思っているようだった。
コーナーからの立ち上がりで、バレンティーナがラインを譲った。
愛華は『怒られるかな?』って心配したが、覚悟を決めてバレンティーナに並べると、ペコリと頭を下げた。
バレンティーナは、一瞬驚いたようだったが、ヘルメットの奥でニヤリとすると、愛華の後ろに入った。
無線は、チーム毎に周波数が違うので、同じチームのライダーとしか会話出来ない。言葉はなくても、愛華にはバレンティーナの目だけで言いたい事がわかった。
『驚いたな、アイカだよ。まさか本気でトップグループに追いつくつもり?面白そうだからボクにも一枚噛ませてよ。美味しいトコの独り占めはずるいよ』
今回、バレンティーナは未完成のマシンを騙し騙し走らせて、ポイント圏内での完走を目標にしていた。しかし、元来の目立ちたがり屋の上、最後尾から追い上げてきた愛華に触発された。
愛華はたった一人でトップグループに追いつこうとしている。常識なら最初から諦めている。だが、愛華なら本当に出来そうな気がした。咋シーズン散々思い知らされている。彼女は疫病神だ。
どうやら自分のタイヤは、最後まで保ちそうにない。どうせならパッと派手に目立ちたい。
ついでに厄払いも兼ねて、ブルーストライプスにこの疫病神を届けてやろう。祟るならボクでなく、あのチームに取り憑いて欲しい。
バレンティーナは、協力するというより、疫病神を古巣に押しつけたいという気持ちが強かった。愛華は、それほど彼女にとって敵にしたくない存在になっていた。
彼女は、多くのスポーツ選手同様“ジンクス”に拘る。
バイクに跨がる前には、マシンの横にしゃがみ込んで精神集中をする。
ピットアウトの時には、必ずスタンディングをして、ツナギとアンダーウェアの収まりを確認する。
それらの儀式をしないと、良くない結果になるとは信じていないが、すれば落ち着く。ジンクスは前向きに働けば、安心感をもたらすが、マイナスに向かうと、とことんネガティブに陥る。楽観的なバレンティーナをネガティブにさせるのが愛華だった。
疫病神の取り憑いている相手は、自分でなく、ブルーストライプスチームという事にしておきたかった。
そのためなら、疫病神にも協力する。
愛華とバレンティーナの異チーム即席コンビは、立ちはだかる中堅チームを次々に抜いて行った。
バレンティーナの混戦を抜けるテクニックは、実に鮮やかだった。暴れるマシンにも関わらず、シャルロッタを洗練したような、集団を縫う抜き方を見せてくれた。まあ、シャルロッタより奇抜な抜き方となると、相手の頭上を飛び越えるぐらいしか思い浮かばない。もちろんロードレースでは、誰にも出来ない。
そのシャルロッタだが、しつこくラニーニにマークされて、遂にキレていた。
「もう我慢も限界!アイカが来るまで使わないでおこうと思ってたけど、アンタのしつこさに敬意を称して、あたしの必殺技を魅せてあげるわ!」
シャルロッタのフルフェイスヘルメットの奥で、片方の眼が紅く光った。と思っているのは本人だけだが、その走りは無双と呼ぶに相応しいものだ。まるでそれまでから一段シフトアップしたようにペースアップされていた。
「フッフッフッ、ついて来られる?これがあたしの真の実力、魔力を解放した『獅子王心眼』の走りよ、ひれ伏すがいいわ」
まさに百獣の王のように、誰もが畏れる速度でコーナーを抜けていく。ブレーキングから旋回、加速まで、すべてが驚異的だ。昨年の日本GPの時も驚異的な走りを見せたが、確かあの時は『龍虎真眼』と言っていた筈だ。何が違うのかはよくわからん。めちゃめちゃ速いのは確かなのだが、必殺技と言うのは具体的にどのテクニックを指しているのかは、誰にもわからなかった。
まあ、今回も適当に思いついた名前である。単にハイテンションになっただけだとも言う。黙って最初からそう走ればいいのだが、それが出来ないのがシャルロッタである。
獅子王心眼を発動したシャルロッタに、これまでなんとかつけていたラニーニが遅れ始めた。それでも彼女は、懸命にこれまでのペースを保とうとする。
「やっぱりシャルロッタさんは凄い。本気になったら私なんかじゃ全然敵わないよ。でも、そんなの最初からわかってことだから、私は最後まで全力で走るだけ」
ラニーニが崩れなかったのには、すぐ背後にいたスターシアも、敵ながら感心した。
限界近くのペースを、目標を追う事でなんとか保っていた場合、一度離され出すと途端に崩れるものだ。
(エレーナさんが評価しただけの事はあるわね。走りのセンスだけでなく、精神的な強さも持っているみたい。アイカちゃんと気が合うのもわかるわ。それより心配はシャルロッタさんかしら?ここから一人でスパートしちゃって、あのコ最後までもつのかしら)
シャルロッタの集中出来る時間は、非常に短い。特に一人になるとすぐに飽きるというダメなコであった。