予選を前に
公式練習では、やはり天性のセンスで走るシャルロッタがトップタイムを記録した。
二番手タイムは、シャルロッタと激しくアタック合戦を展開したスターシアが100分の2秒差でつける。
ワンラップアタックの予選の前哨とすれば、ないに等しい差であり、同じチームのまったく異なるスタイルの二人が僅差のベストラップ争いを繰り広げた事は、ストロベリーナイツにつけ入る隙がない事を示すと同時に、このコースが、特定のライディングスタイルだけに優位性があるのではなく、純粋にライディングレベルが問われるコースである事を証明していた。
三番手タイムは、ブルーストライプスの新しいエースとなったラニーニが記録し、ジュリエッタファンを歓ばせた。昨シーズンまでバレンティーナを応援していたファンの多くは、ヤマダからの誘いを断って、ブルーストライプスに残ったラニーニの熱狂的なファンになっていた。
その後ろには、エレーナ、愛華、ハンナ、リンダの順で並んでいた。
「エレーナさん、ちょっとよろしいですか?」
予選を控えたパドックで、スターシアに呼び止められたエレーナは、おそらくチームの他のメンバーにも聞かれたくない話だろうと察して、モーターホームに入るように促した。
「珍しく公式練習から気合いの入ったアタック合戦を繰り広げたな」
「最近、あまり目立たせて貰えませんでしたので、ちょっと張り切らせて貰いました。久し振りにドキドキしましたわ。それより……」
「アイカのことか?」
「そうです、少し気になって。初めてフルシーズンを走るので、力が入るのはわかるのですが、」
エレーナも、スターシアと同じ懸念を抱いていたようだった。
「スターシアには普段からもう少し気合いを入れて貰いたいが、確かに今回アイカは気負い過ぎているな」
「例のコメンテーターの言葉を気にしているのでしょうか?」
「そうかも知れないが、それくらいで乱されていては、フルシーズンを戦えない」
過激な原理主義者からの脅迫にも動じないエレーナは別としても、批判や非難を一々気にしていてはGPライダーなど勤まらない。
「やはり冷酷な魔女ですね、エレーナさんは」
「久し振りだな、そのフレーズも。だが、他の理由がない限り、これはアイカ本人が乗り越えなくてはならない試練だろう。新人として活躍したのに、二年目になると潰れてしまうライダーも多いが、アイカなら大丈夫だ。私たちの思っていた以上に心の強い子だ」
「エレーナさんにそこまで言わせるとは少し妬けますが、私も同じ思いです。無茶はしないと思いますが、注意して見守りましょう、私のアイカちゃんを」
「否、私のチームのアイカだ」
「いえ、私もエレーナさんのチームの一人なので、私のアイカちゃんです」
「どんな理屈だ?スターシアはシャルロッタの面倒を頼む。同じアニメオタクなので、話題も豊富だろう。私とアイカは、おまえたちの話がわからん」
「シャルロッタさんは、『エレーナ様』と呼んで慕っています。『エレーナ様』以外には従いません」
「スターシアの事も『お姉様』とお慕いしているだろうが」
「エレーナさんは、一日一回はシャルロッタをどつかないと落ち着かない、と言ってたじゃありませんか?エレーナさんはもうシャルロッタさん無しでは、いられない体になっているのです」
「おまえこそ、シャルロッタに激しく攻められてドキドキしたと言ってたろ?それはたぶん恋だぞ。間違いない。自分の気持ちに気づけ!」
「アイカちゃんは、難しい年頃です。同じ女である私に任せてください」
「私も女だ」
「そうでしたか?ならシャルロッタさんをお願いします。あの子も思春期なので」
「あいつは思春期でなく、中二病とかいう病気だそうだ。スターシアの方が詳しいだろう」
いつの間にか、二人は大声でシャルロッタの押しつけ合いをしていた。
“ガチャリ”
突然モーターホームのドアが開かれた。そこには左右の目に色違いのカラーコンタクトを入れた少女が立っていた。
「エレーナ様、スターシアお姉様……」
「あっ、シャルロッタ……。いつからそこにいた?」
「お二人が大声で言い争う声がしたのでつい……、」
シャルロッタの瞳がうるうるしている。気不味い空気が三人を包んでいた。
「その、あれだ、シャルロッタ、カラーコンタクトは目に悪いからやめた方がいいぞ」
シャルロッタは案外ナイーブなのかも知れない。強がりも中二病もその裏返しかと、エレーナは心配になった。
それにどんなにバカな人間でも、居ないところで自分の押しつけ合っていたのを知れば傷つくだろう。自分の迂闊さを恥じた。
「本当はエレーナさんも、シャルロッタさんがかわいくて仕方ないんですよ」
スターシアも、シャルロッタを気使う。エレーナは押し付けようとしていた相手を睨みつけるが、瞳を潤ませたシャルロッタを前に、文句を飲み込んだ。
「スターシアもおまえにドキドキしたそうだぞ、本当だぞ」
思わぬ仕返しに、スターシアはチーム監督を睨み返したが、反論は我慢する。
「お二人がそんなにもあたしのことを想って下さっていたなんて、感激です!このカルロタ・デ・フェリーニ、身も心もお二人に捧げます」
シャルロッタは膝まづき、恥ずかしさに真っ赤にした顔を伏せて、そう告げると歓びを全身から溢れさせて走り去っていった。
残された二人は顔を見合わせて考える。
わからん。いったいどこでどう間違えたのだろうか?
まあ本人が喜んでいるからいいんだろう。
エレーナとスターシアは、改めてシャルロッタの思考回路の不思議さを思い知った。
自分に対する心配が、あさっての方向に転がってしまっているとは露知らない愛華は、真剣な覚悟で予選に備えていた。
去年は代役だったから、これが本当のデビュー戦だよ。これからは、わたしが本当のチームの一員としての役割は、ただ頑張るだけじゃダメなんだから。
先ずは予選を、ストロベリーナイツの先鋒として、他のチームの人たちにプレッシャーを与える走りで斬り込んでみせなきゃ。
愛華は、初めて出場した昨年のドイツGP予選で、いきなりベストタイムを記録して他のライダーたちの調子を狂わせた事を思い出す。
あの時と違って、今や愛華も警戒するライダーの対象になっているから、あれほどの効果はないかも知れない。それでもデータのないコースで、愛華が公式練習でのシャルロッタのベストをも上回るタイムを叩き出せば、大きなプレッシャーになるはずだ。
愛華はもう一度、頭の中で予選タイムアタックをシュミレーションした。
レースではリヒター先生に抑えられたら酷しいけど、一人ずつ走る予選ならわたしだって負けない!
愛華は、懸命に自分の存在価値を証明しようとしていた。
一方、ブルーストライプスのラニーニも、自信と覚悟を持って予選に臨もうとしていた。
ハンナの加入は、チームの雰囲気を変えていた。
これまでバレンティーナのワンマンチームと言われていたブルーストライプスが、アレクセイ監督本来の合理的なチーム戦術に徹した組織に修正されたようだった。
合理的チーム戦術と言っても、アレクセイのめざすものは、ライダーを駒のように見なすものではない。彼はライダーのモチベーションの重要性をよく知っていた。
むしろバレンティーナの方が、アシストライダーたちを自分の持ち駒と考えているようだった。
アレクセイは、確実な勝利の為にチームを動かそうとしたが、バレンティーナは、より派手な勝ち方を好んだ。
アレクセイの作戦を無視して、レース中独断専行する事も度々あったが、ファンもスポンサーもバレンティーナに好意的だった。ラニーニも当時はバレンティーナに憧れていた。
バレンティーナ移籍に関して、マスコミからあれこれ質問されたが、ノーコメントを通してきた。
いろいろな事があったが、ラニーニはこのチームに残って良かったと感じている。
それはバレンティーナの後釜として、エースに抜擢されたからではない。
勿論その責任の重さは感じている。
それよりも、生まれ変わったブルーストライプスが、本当に強いチームになる予感がする。
このチームなら、ストロベリーナイツにも勝てるかも知れない。
そしてこのチームなら、自分の持てる力をすべて引き出してくれる、いや出さなくてはならない。
自分を高く評価してくれたアレクセイ監督とハンナさんに応えるために、そしてサポートしてくれるリンダさんとナオミさん、メカニックやスタッフのためにも。
ラニーニも高く羽ばたこうとしていた。