第三の勢力
愛華たちが、ツェツィーリアに戻り、休暇で鈍った身体を鍛え直す基礎トレーニングを再開し始めた頃、日本のヤマダ技研から、二年後を目標としてきたMotoミニモクラスでのワークス活動再開を、一年前倒しして今年から参戦する事が発表された。
もともとヤマダ技研は、7年前までMotoミニモでスミホーイ、ジュリエッタと並ぶ三大メーカーとして覇を競っていたが、度重なる不公平なルール改正に抗議して、Motoミニモから撤退した。
しかし市販車シェアで、近年流行のハイブリッド車の開発に遅れ、業績はライバルメーカーに大きく水を開けられていた。その巻き返しを得意としてきた小排気に賭けて、最もインパクトのある宣伝PRの場としてMotoミニモへの復帰を昨年発表している。
当初二年後としていたGP参戦を前倒しした理由は、開発が予定より順調だった事と、やはり研究室とテストコースだけでなく、「酷しい実戦こそ最高のテストの場」という同社のポリシーをアピールするものと思われた。
昨シーズンの愛華の活躍により、日本でもMotoミニモ人気が盛り上がっていた事も、小さくない。
「それって、ほんとにわたしのせいなんですか!?」
エレーナから、ヤマダのホームページには記されていない事情を教えてもらいながら、愛華は思わず声をあげてしまった。
「自惚れるんじゃないわよ!アンタよりあたしの人気の方が高いんだから」
シャルロッタの話の流れと関係ない対抗心には、皆スルーした。
「エレーナ様、いつものようにドついてください。シカトは酷い、放置しないで」
エレーナは、シャルロッタを放置したまま、もう一つの衝撃的発表について、思案を巡らせていた。
バレンティーナのヤマダへの電撃移籍
ヤマダはMotoミニモ参戦と同時に、エースライダーにバレンティーナの起用を発表したのだ。
昨シーズン、エレーナに劇的な逆転を許し、タイトルを奪われたものの、人気実力共にトップクラスのエースライダー、バレンティーナの獲得は、ヤマダが今シーズンを単なる開発テストとしてでなく、本気でタイトルに挑戦している事を意味していた。
ジュリエッタは、昨年末に世界中に伝えられた親会社による巨額の不正事件により、厳しい経営状況に追い込まれていた。GPへの参戦は、ジュリエッタの顔であり、即、辞める訳にはいかないが、予算を大幅に削らざる得なくなっていた。
当然、逆転でタイトルを奪われ、ライバル社であるスミホーイの評判を高めた張本人バレンティーナの高額な契約金が問題となった。
バレンティーナとジュリエッタとの契約交渉が難航していたのは広く知られていた。しかし結局のところ、まとまるだろうというのが大方の予想だった。ストロベリーナイツからタイトルを奪い返すには、両者ともそれしか選択はないと想われていた。
ヤマダがバレンティーナに接近していた事は、ジュリエッタにとって正に寝耳に水であった。
彼らにとっても、バレンティーナは契約金より、勝てるチームを望んでいると疑っていなかった。
ヤマダが接触しているという情報を掴んでいたスベトラーナですら、移籍の可能性は低いと予想していた。
「そう言えば、きのう電話でラニーニちゃんと話したんですけど、ラニーニちゃんも誘われたそうです。『マリアローザさんはバレンティーナさんについて行ったけど、自分は残ることに決めた』って言ってました」
「アンタ、まだ敵と仲良くしてるの!しかも情報まで流すなんて、あの子、二重スパイじゃないでしょうね」
「ラニーニちゃんはライバルだけど友だちです。それにもう発表されていることだから、スパイなんかじゃありません!」
愛華がめずらしく強く反論した。シャルロッタは一瞬たじろいだが、尚も口撃を弛めない。
「どうせバレンティーナのいなくなったチームで、エースになろうとか企んでいるんでしょ?」
「ちがいます!そんな言い方、いくらシャルロッタさんでも許せません。ラニーニちゃんは、ジュリエッタのスカラシップを受けてデビューしたから、その恩を忘れていないんです。『義務は昨シーズンで終わっているけど、チームがたいへんな時こそ頑張って恩を返したいから』って、尊敬するバレンティーナさんの誘いを断って残ったんです。ラニーニちゃんに謝ってください!」
スカラシップ制度とは、才能はあるが経済的に苦しい若いライダーに、メーカーが資金とチャンスを提供してライダーを育てる制度である。デビュー後、一定期間は支援してくれたメーカーのマシン以外乗れないが、その後は自由に移籍出来る。
「二人ともそれくらいにしておけ。今のも、やっぱりシャルロッタが悪い。アイカに謝れ」
愛華のあまりに興奮した様子に、エレーナが仲裁した。シャルロッタも少し驚いている。
「あたしは思ったこと言っただけよ……。でもアンタの友だち、受けた恩は忘れないなんて、なかなか見所あるわね。ジュリエッタなんかに乗ってなかったら、あたしも友だちになってあげてもいいわ……。別にあたしから友だちになりたいとか思ってるんじゃないから、勘違いしないでよね」
それはバイクに乗っていない時は、友だちになりたいって意味?やっぱりシャルロッタさん、基本的にはいい人なんだ、ただちょっとひねくれているだけで。
「わたしも大きな声だしてすみませんでした。シャルロッタさん、今度三人でお食事にでも行きましょう」
愛華は、シャルロッタもラニーニと友だちになれることを願った。
「食事に誘われてる友だちはいっぱいいるけど、アンタがどうしてもって言うなら、優先的につきあってあげてもいいわ」
友だちと食事行ったことないんだ、シャルロッタさん。
「あら、シャルロッタさんのお友達、私にも紹介していただきたいわ」
スターシアさん、そこはスルーしてあげて。
「な、なに言っているんですか、スターシアお姉様にも紹介したじゃないですか。トモカとか、サキとか、ミホとか……、ラニーニとかほかにもいっぱい!」
皆、愛華の友だちだった。もうラニーニまで友だちになってるし。
「ところでアイカ、ラニーニはヤマダについて他に何か言っていたか?」
シャルロッタが大人しくなったので、エレーナが話をヤマダに戻した。
「バレンティーナさんの話だと、今はまだジュリエッタやスミホーイに敵わないけど、日本人の仕事に取り組む姿勢はすごいって驚いていたそうです。あっ、別に自分のこと自慢してるんじゃないです」
「わかってる。私も日本人の真面目さはよく知っている。アイカも含めてな」
愛華は誇らしさと恥ずかしさの入り交じった気持ちになった。
「今開発ライダーをしているケリーさんて人も信頼できる優秀な人だそうで、その上に『自分が開発に加われば、活動規模を縮小したジュリエッタなんかすぐに追い抜かれる』って。私たちに勝つにはヤマダ以外ないとバレンティーナさんから誘われたそうです。ところでケリーさんて、エレーナさんのライバルだった人だそうですけど、そんなに優秀な人なんですか?」
愛華が最初に言った通り、すでに公表されている情報であったが、ヤマダの発表に誇張がない事を裏づける内容であった。
ダートトラック出身のケリー・ロバートは、かつてエレーナが肩の手術後の経過が思わしくなく、最初の引退を表明した年に初チャンピオンを獲得したアメリカ人ライダーだった。その後、三年連続でチャンピオンに輝くが、エレーナの復帰に、逃げるようにしてGPの舞台から去った。当時、まだ二十五歳の若さでの引退であった。
しかし今回のバレンティーナの移籍と同時に、現役復帰が発表されていた。
世間では『断定チャンピオン』とか『女王から逃げたチキン(トレードマークの白頭鷲を臆病者にかけた蔑称)』とも言われ、エレーナとも不仲なように言われているが、実際にはお互いに実力も人間性も認めている。
彼女がアメリカに帰ったのは、妊娠出産のためであり、逃げた訳ではないのは、エレーナも知っていた。
「これではっきりした。ヤマダは、タイトル奪取に向けて総力を挙げて挑んでいる。バレもカネに釣られて移籍したのではない。ヤマダの可能性に賭けたのだ。それだけヤツもタイトルを本気で欲しがっているという事だ。他にも新人を含めて何人かのライダーが起用されるらしいが、主軸はケリーが司令塔となり、マリアローザがバレンティーナをサポートする形になるだろう。ラニーニを逃がしたのは惜しいだろうが、新人の中には元気のいいアタッカーがいるはずだ。手強くなる」
豊富な資金力と技術力、勤勉で地道な開発力に、スター選手に若手からベテランまで、質、量とも揃えて挑めば、トップチームに躍り出るのも時間の問題だろう。それでも苺騎士団は敗ける訳にはいかない。
「あのぉ、ブルーストライプスはどうなっちゃうんですか?会社が大変で、力弱くなっていくんですか?もうライバルじゃなくなっちゃうんでしょうか?」
愛華は、恩を返そうと一生懸命がんばっているラニーニを想って、ちょっと哀しくなった。それが勝負の世界なのは、わかっているつもりだったが。
「アレクセイも指を咥えて見てはいないだろう。簡単に落ちぶれる男ではない。それにラニーニという優れたライダーもいる。他人の心配より自分の心配をしろ。昨シーズンより厳しいレースが続くと覚悟しておけ」
「だあっ」
愛華は元気よく変事した。単に愛華だけを励ますために言ったのではない。シャルロッタとスターシアに対しても、そしてエレーナ自身に言い聞かせる言葉でもあった。
アレクセイは、ソ連時代にのし上がり、エレーナに戦い方を教え、連邦崩壊後も生き抜いてきた男だ。これくらいの困難は、何度もくぐり抜けている。
ラニーニに関しても、多少のサービスはあるが、以前から愛華同様に秘めた才能に注目していた。バレンティーナの陰に隠れていた潜在力が、陽があたる事で突然開花する可能性もある。あのアレクセイがそれに気づいていない筈がないだろう。
新たな強敵の登場に、愛華もシャルロッタも、スターシアまでもが、これから始まる戦いを、ワクワクしながら待ち焦がれた。