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最速の女神たち   作者: YASSI
デビュー
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レーサーの本能

 エレーナは決勝当日の朝、チームミーティングでスターシアと愛華に、現実的な作戦を伝えた。現在の愛華の実力とストロベリーナイツとブルーストライプスの戦力を冷静に判断した結果だ。


「予選タイムでアイカに届かなかった私が言うのも烏滸がましいが、今のアイカが一人で青縞のやつらを相手にするのは無謀だ。かと言って私とスターシアがすぐにアイカに追いつくのは難しいだろう。従ってアイカには一旦下がって、私とスターシアに合流してもらう。リスクを考えた上での最良の作戦だ」

 エレーナの説明にスターシアも頷いたが、愛華が疑問を口にした。

「あの……、でもそれじゃあブルーストライプスの人たちに逃げられちゃうんじゃあないですか?」

 愛華の疑問はもっともだろう。エレーナも本来こんな指示はしたくない。


「このレースは、絶対に勝つ必要はない。目的は実際のレースを三人で走る事だ。せっかくのポールポジションを獲得したのに、私たちの不甲斐なさのために、自ら順位を落とさなくてはならないアイカには済まないと思っている」

 エレーナの謝りの言葉に愛華は戸惑ってしまう。自分が犠牲になっているとは、これっぽっちも思っていない。


「アイカちゃん、エレーナさんの気持ちもわかってあげて。レースはトレーニングとは違うから。私たち以外ほぼすべてのライダーが、ポールポジションのアイカちゃんをターゲットにしてるのよ。情けない事だけど、私たちのスタートポジションからでは、トップ争いをするアイカちゃんを守るのは現実難しいの。せっかく予選トップだったのに悔しい気持ちはわかるわ。でもアイカちゃんわかって。私からも本当にごめんなさいと言うしかないの」


 スターシアもエレーナの苦汁の決断を愛華に納得させようとした。しかし、愛華の反応は二人の考えとは違うものだった。


「違うんです。わたしがチームのために順位を落とす事なんて全然気にしてません。でもわたしのために、チームがみすみす勝ちを逃すなんて絶対間違っています。もちろん、わたしがバレンティーナさんたちに勝てるなんて思ってません。でもエレーナさんたちが追いつくまで死ぬ気でバレンティーナさんたちを抑えます!スタートには自信があるんです。だから、チームが勝つための作戦にしてください!」

 予想していなかった愛華の訴えに二人とも唖然とした。愛華がこれほど強い意思を訴えるとは思わなかった。


「アイカちゃん、今日は三人で実際のレースに慣れる事が大切なの。焦らなくても必ず優勝を狙える日が来るから」

 スターシアが言い聞かせるように言った。しかし、愛華は尚も食い下がる。

「エレーナさんは絶対に諦めない女性です!勝てる可能性があるのに、負ける前提の作戦なんてエレーナさんらしくないです!チームが勝てるなら、わたしはビリでもリタイアでも構いません。だけどわたしにも苺のケーキを食べさせて下さい!」

 思わず口にした愛華の言葉に、エレーナの表情が鋭くなった。愛華は自分が出過ぎた真似をしたのではと不安になった。エレーナの決定に意見するなど、普段の愛華なら考えられない事だ。


「駄目だ。アイカをリタイアなど絶対にさせない。表彰台は私たちストロベリーナイツが独占する」


 氷のような冷徹な瞳で、女王は宣言する。


「しかしエレーナさん、アイカちゃんはまだ……」

 スターシアがなにか言いかけたが、エレーナが制した。


「スターシア、スタートで絶対出遅れるな。一秒でも早くアイカに追いつく。アイカは青縞のやつらを抑えようなどと考えるな。スタートが上手くいったら、ひたすら逃げろ。私とスターシアが青縞のやつらを蹴散らして追いつくまで、全力で逃げろ。もし捉えられても無理をするな。私と合流するまで耐えろ。合流後は私の指示に従え。サインは頭に叩き込んであるな?」


「だあっ!」


「スターシアもわかったな?」


「エレーナさん……、なんか美味しいトコ持っていこうとしてません?

 アイカちゃん、心配しなくても大丈夫ですよ。例えエレーナさんが途中力尽きても、私が必ず守ってあげますからね」

「スターシア、私の足手まといにならないように頼む。もし遅れるような事があれば、アイカのロシア語教育係から外すからな」


「エレーナさんこそ、私とアイカちゃんのふたりきりの時間を邪魔をするのは辞めて貰いますから」


 部外者が聞いたら、いろんな意味で誤解されそうな会話だが、これはこれで絶妙なチームの結束でもあった。愛華としては微妙な心境ではあったが……。


「二人とも信じてます!みんなで苺のケーキを食べましょう!」


「「だあっ!」」


 愛華の呼びかけに、ロシア人の二人が『アイカ式』の返事をした。





 二輪レースの場合、通常無線の使用は禁止されている。イヤホンの着用が、二輪にとって重要な平衡感覚に影響を及ぼす惧れがあるとされていた。


 しかし、モトミニモのレースに限っては、ヘルメットに内蔵された骨伝導スピーカーと、喉の声帯の振動から直接声を拾う咽喉マイクによる無線通信が認められている。


 チームでレースを展開するというこのカテゴリー特有の性質上、ライダー同士のコミュニケーションは欠かせない。以前はハンドサインのみに頼っていたが、先行するライダーから後続に伝える場合はよいが、逆の場合は後ろを振り返らなければならず、それが原因のアクシデントが度々起こっていたからだ。


 一時期、バックミラーも採用されたが、視界が狭い上、振動が激しく使い物にならなかった。


 ワイヤレスコミュニケーションツールと言っても、使用出来る出力は非常に弱いもので、障害物のない所で、直線距離にして100メートル以下、大勢のライダーが高速で走行するレース中では、事実上同じ集団で走るチームメイト同士でしか使えない。しかも聞き取り難い場合も多く、現在でもハンドサインを覚える事は、モトミニモのライダーにとって必須事項だった。


 何れにしろ、ピットからの指示は昔ながらのサインボードに頼っており、エレーナのようにコース上で指揮が出来るコンダクターは、流動的なレース展開に大きなアドバンテージがあった。






 決勝当日のタイムスケジュールは、早朝から各クラスの練習走行があり、10時から開会式、すぐにモト3、モト2の決勝と進行する。モトミニモの決勝は、昼休みを挟んで午後2時からの予定だ。


 愛華たちは、ミーティングの後、早めの昼食を摂り、しばらくリラックスした時間を過ごす。

 愛華は初めてのGPに少し緊張していたが、ガチガチに固まるほどでもない。体操の国際大会に初めて出場した時のような、周りの選手がすべて自分より優れているような思いに囚われる劣等感は感じない。

 それは、自分が予選でファーステストタイムを出したという事もあるが、何より自分がストロベリーナイツの一員であり、エレーナとスターシアに護られている誇りと安心感があった。

 例え予選結果が思わしくなくても、エレーナが評価してくれるなら愛華は自信を持ってレースに挑めるだろう。況してや自分がチームの勝利の鍵を握っていると思えば、緊張より逸る気持ちを抑えるのに気を遣うほどだ。


 エレーナから他のクラスのスタートシーン、と言うよりスタートシグナルのタイミングをよく見ておくように言われた。スタートシグナルはどのクラスも正確に同じリズムで点灯する。このサーキットのスターターのタイミングを頭に刻み込む。


 スタートシーンを観た後は、愛華は一人で1コーナーに向かった。マシンもタイヤもまるで違うクラスの走りは、あまり参考にならないのはわかっていたが、路面状態をじっくり確認しておきたかった。


 愛華がバレンティーナより優位なのは、たぶんスタートから1コーナーまでだ。その後はどうなるかわからないけど、エレーナさんに大見栄きった以上、最低でも1コーナーだけはトップで通過したい。コーナーひとつでも抑えられれば、それだけエレーナさんの追い上げはきっと楽になるに違いない。


 愛華が1コーナー近くのインフィールドにいる頃、エレーナとスターシアはパドックのチームトレーラーの中にいた。



「エレーナさんがあっさり作戦を変更したのには驚きました」

「スターシアこそ、もう少し反対すると思ったのだがな」

「二人ともアイカちゃんにアテられてしまったようですね。エレーナさんのあんな顔見たのは、久しぶりです」

「私はこのチームを設立以来、絶えず勝てる体制を作る事に苦心してきた。ライダーにしろ、マシンにしろ、絶えず勝てるレベルである事を求めていた。それはチームをマネジメントする者として、当然の事だ。

 しかし、エースに据えていたシャルロッタの長期間欠場が余儀なくなり、ストロベリーナイツの今シーズンは終わったと思っていた。諸般の事情によって、已む無くアイカを加入させ、確かに期待以上の逸材で将来的には正式契約したいとまで思ったが、現実には今シーズンのタイトルはないものと考えていた事に変わりない」


「それも合理的な考えだと思います。不完全な体制でいたずらに資金と人材を浪費するより、シーズン途中であっても来シーズンに備えてじっくりとチームを組み直す決断も、リーダーとして間違っていません」


「そうだな。だがそれは本来の私のスタイルではない。レースに限らず、勝負の世界とは、勝って生き残るか、負けて消えるかしかないのだ。

『今日は駄目だったけど、次は頑張る』などと言うのは、負けた小者の命乞いでしかない。今の状況で如何に生き延びるか?生き残るにはどんな状況であっても、勝つ方法を探すしかない。私はいつもそういう生き方をしてきた」


「それは私も学校にいた頃からよく教官から聴かされてました。かつてエレーナさんが、怪我でほとんど動かせない片腕のまま最終戦に出場し、タイトルをもぎ取った1993年のエスパニアGPのレースは、今でも国のスポーツ学校では伝説として語られています」


 スターシアは、学生時代に憧れていたエレーナ像を思い出していた。勿論今でも、否、当時以上にエレーナを尊敬している。自分がエレーナの下で戦い、リーダーとしての彼女を身近に接して、到底自分などが及ぶ事の出来ない女性だと知った。

 過去も現在も、ライダーとしてのエレーナ像は決して色褪せない尊敬の対象であり続けている。


「最近は当たり前の状況に慣れすぎていた。勝てる体制が当たり前になって、いざそれが失われると、将来の為という都合のいい言葉に逃げ込んでいた事に気づかされた」

「アイカちゃんの方が、逃げずに立ち向かっていたと言う事ですね?」

「彼女自身、意識しているかはわからないが、今朝のアイカの言葉で思い出させられた。勝つ事を諦めた者に明日などないという事を。仕方なくチームに入れた代役に教わるとはな。

 小娘でもサムライの血が流れているのか、それともオリンピックを目指していた体操を、たった一度の失敗で夢を諦めざる得なかった過去の経験からなのかはわからないが、アイカは負けて失うものを知っているのだろう。本人は否定するかも知れないがな。

 そう言えば、私がデビューしたての頃、250を走っていた日本人ライダーがいた。これがサムライなんだと感動した事を思い出す」


 そんなエレーナだからこそ、愛華の憧れだったのだろうとスターシアは思った。愛華のエレーナに対する思いは、自分より強いかも知れないとスターシアは感じていた。


 エレーナと愛華は本質的には同じタイプの人間だ。スターシアにはあそこまでの勝利に対する強い執着はない。


 エレーナが自ら輝く太陽だとするなら、自分はその太陽に照らされているに過ぎない月だとスターシアは思った。


 それでもいい。月は太陽より近くで愛華を見守り、影響を与えているのだから。


 遠くない将来、エレーナは現役から退くことになる。如何にエレーナとて永遠に現役で居続ける事は出来はしない。その時は自分も引退するつもりでいた。エレーナ以外のライダーに尽くすつもりはない。

 しかし、今朝のミーティングではっきりとわかった。


 自分はエレーナさんが引退しても、アイカちゃんのために走り続けよう。

 アイカの成長に少しでも力を貸せるなら、手をさしのべたい。


 スターシアは最近口癖になっている「少し妬けますわ」と言いかけたが、いい話をしてた処なので止めておいた。もう少しいい話を続けたい。


「確かにあのアイカちゃんが、エレーナさんにあれほど意見したのも驚きでした。私には出来ない真似です」

 スターシアの言葉に『いつもしてるだろ!』と突っ込みたかったエレーナだが、不毛な言い争いになりそうな気がしたので堪えた。


「今日からスターシアが我チームのエースライダーとする」

 気を取り直してエレーナが二人きりのミーティングの本題を述べた。しかしスターシアは異を唱えた。

「いえ、エースはエレーナさんとすべきです。首位のバレンティーナと70ポイント差のエレーナさんなら、まだ逆転の可能性があります。私は116ポイントも差をつけられており、逆転は事実上不可能でしょう。本気でタイトルを望むなら、エースはエレーナさん以外あり得ません。

 従って今日のレースでは、アイカちゃんに追いついたら、エレーナさんは一気に独走体勢でトップチェッカーを目指して下さい。私はアイカちゃんを守りながら、バレンティーナたちを抑えます」


 あっさりエースの座を譲られても、エレーナとしてはおもしろくなかった。しかし、スターシアの言う事は正論であり、例え厳しいとは言え、タイトルを狙うなら、客観的に見てエレーナをエースとするのが妥当だ。


「監督としては、スターシアがエースの方が作戦が立て易いのだが……まぁいい。だが、どうして私だけ先行させる必要がある?まさか『エレーナさんは冷酷非情なボスキャラ、自分はアイカちゃんを守る優しいおねえさん』的イメージをアイカに印象付けようと企んでいるのではないだろうな?」

「ちっ」

「おい!今、舌打ちしたろ!?」

「何の事でしょうか?」

「『ちっ』って言ったぞ!」

「嫌ですわ、エレーナさん。最近のエレーナさんおかしいですよ。アイカちゃんの事となるとご自分を見失ってしまうようで心配です」

「おまえが言うんかいっ!?」


 結局不毛な言い争いになってしまった。一旦バイクに跨がれば、完璧なパートナーなのだから、まあいいとしておこう。いろいろな意味で危ない言い争いに見えて、お互いの本質を見抜いた、的確な助言?と言えなくもない。本質がどうあれ、チーム外にはあまり聴かれたくない会話ではあるが……。


「いいですか?エレーナさん。恐らくアイカちゃんはチームの勝利のためなら、リタイヤすら辞さない覚悟でしょう。それは称賛すべき心構えでありますが、逆転タイトルを目指すならバレンティーナのポイント獲得を1ポイントでも少なくしなければなりません」

「そうだ。だからスターシアとアイカにもバレンティーナの前でゴールしてもらう。だが別にゴールは三人揃って目指せばいいだろう?」


「いえ、駄目です。エレーナさんが確実に勝てるという状況でなければ、アイカちゃんは無理してでもバレンティーナを抑えようとするでしょう。あの子には、自分の役割を過剰なほど果たそうとしています。エレーナさんが独走態勢になれば、肩の力も抜けるでしょうし、自分が精一杯走る事に集中させた方が良い結果に結びつくでしょう」


「確かに一理あるな」


「おわかり頂けましたか?要するにエレーナさんに、近くでうろちょろされては邪魔なのです」

「おい!今、私が邪魔と言わなかったか!?」

「ちっ」

「また『ちっ』って言ったぞ!」

「言ってません」

「いや、確かに言った。上手い事言って、やはり美味しいポジション独り占めする気だろう?」

「何を言ってるんですか?美味しい処はエレーナさんに譲っているじゃないですか?私たちの目的はただひとつ。勝利です」

「……!」


 エレーナは言い返せなかった。しかし、自分だけ仲間外れにされてるような作戦はおもしろくない。いい話は台無しになった。作戦の内容自体は的を射たものであり、このようなやり取りが行われていた裏側を知らなければ、卒がない采配と賞してしまうだろう。本人たちすら不毛な言い争いと自覚しているのに、ちゃんとした結論に達するのが苺騎士団の不思議であった。


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