激戦
再び先頭二台に追いついた愛華は、それまでと同じようにシャルロッタと交代でエレーナを引っ張った。独断で行動した事について、エレーナは何も言わなかった。シャルロッタもまったく変わりない。
もしシャルロッタが誤った行動をとるならそれを止めさせ、エレーナを守ると決意したものの、実際何をしたらいいのかわからない。本当にシャルロッタはエレーナさんを裏切ろうとしているかすらわからない。
ただひとつ、自分のすべきは、エレーナさんを頂点に、この三人で表彰台を占める事だ。スターシアさんに誓った。
スターシアは、徐々にトップ三台から遅れていく。見通しのいい回り込んだコーナーでは、愛華たちが振り返らなくても視認出来るまで拡がっていた。つまりコーナーひとつ分、遅れている。それは周を重ねる度大きくなっていった。
ブルーストライプスのライダーは、激しくスターシアをプッシュしていた。それでもスターシアは譲らない。遅いペースに、やがて他のブルーストライプスのライダーも追いついて、五人掛かりでスターシアを攻めにかかる。
さすがのスターシアであっても、ストレートだけでなくコーナーでも抜かれる場面が何度も出てくる。それでも次のコーナーではブレーキングをぎりぎりまで遅らせ、ほとんどロック寸前でインにこじ入り、大きくタイヤをスライドさせて前を塞ぐ。何度もあやわ転倒かと思わせるほどバランスを崩すシーンもあった。そこに『GP全クラスで最も美しい』と称えられた洗練した美しさはない。なりふり構わない捨て身のブロックだ。捲き込まれるのを恐れて、ブルーストライプス勢も迂闊に近づけない。
「なにやってるんだ!もたもたしていると本当にエレーナに逃げられちゃうぞ!どんなペナルティ受けても構わない、そいつを潰した者は来シーズンの契約はボクが保証するから、早く道を開けろ!」
バレンティーナは、チームのライダーたちに叫んだ。このクラス独自の慣例として、相手側が特に抗議の意志を示さない場合、余程危険な行為以外フラッグによる警告よりレースの流れを優先される。つまりお互いに合意の上なら、多少のラフプレーは黙認される。
そもそもスターシアの走りも、走路妨害とされるぎりぎりラインなのだ。ブルーストライプス側が抗議の意志を示せば、先にペナルティを受けていたのは、スターシアの方だった。しかしバレンティーナは、敢えて抗議行動を取らなかった。どんな走りであっても、五人懸かりでたった一人を崩せないとあっては、チャンピオンチームとしてのプライドが許さない。オフイシャルにチクるのではなく、力ずくで捩じ伏せる道を選んだ。
ヨーロッパの自転車レースなどに見られるような『不文律のルール』については賛否あるが、レースを面白くしているのは事実だ。逆にルールブック上、反則とされてなくてもレースの精神に反すれば、ファンから厳しい批判に晒される。プロフェッショナルライダーとして、オフイシャルからのペナルティより厳しい処置と言える。
この場合、スターシアからハードな戦いを挑み、バレンティーナが承けたのである。今さら際どい当りを受けたからといって抗議したのでは、闘う女としての誇りを疑われる。
レースの2/3を経過した頃には、トップの三台とセカンドグループの差は、長いストレートでも見えなくなっていた。トップをいく愛華たちからは、第二ターンを折り返した所で一瞬、第一コーナーを立ち上がるセカンドグループが見えた。
それは、まるで手負いのチーターに襲い掛かるハイエナの群れのようだった。
遠目で一瞬見えただけであっても、スターシアが明らかにダメージを受けているのがわかる。あれほど美しく貴高いライディングフォームだったスターシアが、今や死に物狂いで走っているように見えた。容赦なく攻めるブルーストライプス勢。本来なら触れる事すら叶わない相手に、群れとなって襲い掛かる。美しき獣は、チームの為に体を張って時間を稼いでいる。愛華は今すぐにでもスターシアの元に飛んで行きたい気持ちを懸命に堪えた。
(エレーナさんにも見えた筈だ。エレーナさんだって、わたし以上にスターシアさんを助けたいと思っているに違いない。でもじっと耐えている。スターシアさんの思いを無駄にしないためにも、わたしはエレーナさんを表彰台のてっぺんに立たせなきゃならないんだ)
前を走っていたシャルロッタにも、スターシアの姿が見えたに違いない。愛華には彼女の背中が僅かに震えているように思えた。しかし、すぐに震えは収まり、淡々と走り続ける。
(お願い、シャルロッタさん。今日はわたしと一緒にエレーナさんを優勝させて。わたしは一番下手だけど、エレーナさんとスターシアさんと、それにシャルロッタさんとずっと一緒に走りたいの!)
愛華の気持ちが届いたかどうかは、わからない。シャルロッタの背中からは何の感情も伝わってこない。ただハイペースで走り続けてるだけだった。
残り五周をきった頃、スターシアは、タンクにほとんどガソリンが残っていない事をマシンの軽さから感じていた。先ほどまで感じていた、タンク内で残り少ない液体が揺れる音も聞こえなくなった。
(持ってあと一周かしら。アイカちゃん、あとは頼みましたよ。そしてシャルロッタさんとエレーナさんの最初で最後の真剣勝負をしっかり見届けるのよ)
スターシアが気を弛めた一瞬、アウトからラニーニとマリアローザが被せていた。スターシアは外に意識を向ける。その隙に遂にバレンティーナ自らがインを刺してくる。スターシアはリアを振って、マシンをインに向けるが、既にバレンティーナに並ばれていた。バレンティーナのステップが肘に触れる。まだいける、そのまま立ち上がれば、Rの大きい外側のスターシアの方が早く加速体勢に入れる。スロットルを開けてトラクションを掛けようとするが、反応がない。それどころかエンジンの回転はストンと落ちていく。反射的にクラッチを握り、惰性だけでマシンを起こそうとした。
転倒こそ免れたが、ガス欠で鼓動を止めたマシンはフラフラとアウトに張らんでいった。
勢いを失なったスターシアのマシンは、サンドトラップにめり込んですべての動きを停めた。
「よくここまで頑張ってくれましたね。無理させてごめんなさい」
力尽きたマシンをそう労って、駆け寄ってきたコースマーシャルに愛機を委ねた。




