偶像と選ばれし者
ムジェロサーキットの長いストレートは、トップスピード差がラップタイムに大きく影響する。今回もMotoミニモ最速のトップスピードを誇るフェリーニLMSが序盤から大きく引き離すと予想された。実際、シャルロッタとフレデリカ、それに琴音は、フリー走行、予選において長いストレートで圧倒的なスピード差を発揮した。しかもコーナーリング区間においても卓越したコントロールセンスを見せつけられる。ライバルチームとしてはマシントラブルかチームメイト同士潰し合ってくれる事を期待するぐらいしか勝算がない。勿論シャルロッタとフレデリカには、その可能性も少なくないのだが。
予想通り決勝も、フロントロースタートから飛び出したチェンタウロの三台は、3周目には後続に4秒以上の大差をつけてメインストレートを通過、この時点ではエース二人はいつも通り限界まで攻めてはいるが、張り合いに熱くなり過ぎている様子はなかった。琴音が遅れ始めているのは唯一の不安要素とも言えなくないが、当然それによって二人のハイペースが弛まる事はない。
バレンティーナは早い段階で追うのを諦め、ストロベリーナイツが引っ張るセカンドグループの中で、体制を整えチームの温存に入った。単独でトップ争いを挑むより、チーム総合力で最善のポイント獲得に切り替えたように思われた。
愛華、スターシア、タチアナのストロベリーナイツは、諦めることなく全力でシャルロッタたちを追う。それでもストレートのスピード差は歴然で、スリップの効果が望めないほど差が開いてからは、追うというより自分たちのレースを戦っているという感じだ。
シャルロッタたちがこのペースで最後まで走りきれるとは思えない。どちらかがリタイアする可能性は高いし、たとえ壊れなくても必ず後半ペースは落ちるはず。その時余裕を持たせないために、最小限の差でプレッシャーをかけられる位置につけておきたいところだろう。
そのストロベリーナイツに、ヤマダの由加理が単騎食らいついている。ストロベリーナイツというより、これもいつも通り愛華の徹底マークといったところだ。エースであるラニーニと僚友のナオミは、バレンティーナたちの後ろから出られない状態にある。やはり由加理は、今回もチームとは別行動で愛華への徹底マークを指示されていると思われた。それでもストロベリーナイツの足を遅らせるような動きを見せないのは、高位置で引っ張ってもらおうという思惑もあるだろうが、実際にはペースを落とさせるだけの力がないのも事実。そのため愛華もスターシアも、由加理を排除しようとする動きは見せず、中盤からは前を引かせる場面すら見られた。
レースが変化したのは、終盤に差し掛かかった時だ。シャルロッタとフレデリカは相変わらずのハイペースで、愛華たちの追走にも関わらず差を20秒近くに拡げていた。これだけ差がつけば、少々のトラブルでひっくりかえる可能性は小さい。どちらかの優勝は確定的という雰囲気になりつつあった。
だが、残り7周を切った周、突然フレデリカのマシンがストップ。サーキット中にざわめきが起こる中、翌周にはシャルロッタのエンジンも鼓動を止めた。シャルロッタとフレデリカから遅れた琴音に、愛華たちが追いついたのとほぼ同じタイミングだ。
同時にバレンティーナたちチームVALEが待ってましたとばかりにスパートを仕掛ける。だがトップとなった愛華、スターシア、タチアナのストロベリーナイツも逸早くスパートしていた。由加理と下がってきた琴音もくらいついている。ラニーニとナオミは、チームVALEのアシストたちに阻まれ出遅れた形となっている。
ストロベリーナイツ、チームVALEのピットは、特に慌てた様子もなく、残りの周回数と互いのタイム差が記されたサインボードが出される。やるべきことはわかりきっているようだ。
しかしヤマダのピットだけは、スタッフがモニターを見つめるケリー監督の顔を覗っていた。
『どうします?ユカリをラニーニたちと合流させますか?』
ピットロードの向こう側のサインボード担当が、痺れを切らせて指示を仰いできた。手には由佳理を下がらせるプレートがボードがすでにセットされている。
ケリーはサングラスをかけたままYRCの小川に顔を向けた。サングラスで目元が見れなくても、ケリーが厳しい表情をしているのがわかる。小川も固い表情で向き合う。二人の間のただならぬ空気に、周りのスタッフたちも緊張する。
数秒の無言のやり取りの後、ケリーは小川から顔を背け、努めて冷静に口を開いた。
「ユカリはその位置をキープさせろ。ラニーニは全力でユカリに追いつくよう指示しろ」
小川は安堵の息を漏らす。しかし心中は複雑だ。由加理がこのままトップ争いに加わり、最後にトップでチェッカーを受ければ万々歳だ。新たなヒロイン誕生で、ヤマダの望み通りの結果となるだろう。だがそれはかなり難しい。ストロベリーナイツもバレンティーナたちも、チーム全員が揃い、万全の体制で優勝を狙っている。由加理一人で太刀打ちできるものではない。仮にラニーニたちが追いつけたとしても、由加理を勝たせるのは厳しいだろう。この連中相手では自滅行為となりかねない。エース·ラニーニを、ナオミと由加理が全力でアシストして初めて可能性が見えてくる厳しい状況だ。
成功者とは、チャンスを確実に掴んだ者といえる。今回シャルロッタとフレデリカ、二人のリタイアは、ヤマダにとってまたとないチャンスだろう。それは愛華にもバレンティーナにもいえる。
フェリーニLMSのトップスピードは、レース前からムジェロでは圧倒的優位と言われていた。同時にそれは諸刃の剣でもあることは、誰もが知っている。
フェリーニLMSのエンジンは、元はヤマダ製である。つまりベースエンジンはヤマダYC214と同じもの。それをLMSが高回転高出力型にチューンしているに過ぎない。
エンジン耐久性に信頼あるYC214だが、そこはレーシングマシンのエンジン、性能をとことん追求して作られている。それをさらにパワーアップすればどこかにしわ寄せが出るのは必然。長時間スロットル全開の続くムジェロの長いストレートは、フェリーニにとって優位であると同時に弱点でもあった。
それを愛華もバレンティーナも知っていた。必ずやってくる保証はなくとも、その時に備え、チャンスを待っていた。もちろんラニーニも。
だが由加理は違う。指示に従い、役割をまっとうしようと懸命に走っているだけだ。トップクラスについていけることは証明できても、先を読む余裕も経験もない。
これは、由加理にとってチャンスといえるだろうか?
確かに、気まぐれな女神が味方して、優勝なり注目を浴びるような結果を残せれば、超新星の誕生となるだろう。それをきっかけにスター街道まっしぐらというストーリーも稀にある。愛華がそうだった。
だが、能力を越えた期待は、選手を潰す方が遥かに多い。
これまで小川は、他のチーム、他のクラス、他の競技まで含めて、実力以上の期待を背負った選手が潰れていく様を何度も見てきた。
メーカーやチームは(メディアも)、手っ取り早くお金になるスター選手を欲する。「実力はあとからついてくる」とばかりに、経験を積む段階を飛ばして最前線に立たせる。本人は煽て持て囃され、その気になっても、「将来性」という特別待遇は、他のライダーからの妬みの集中砲火を呼ぶ。それでも弾き返す精神力と力のある者は生き残れる。だがまだその実力を身につけていない者は、どんなに特別待遇を受けてもワークスチームエースライダーに相応しい成績は残せない。凡庸な成績は、特に最近はネットで容赦なく叩かれる。
やがて商品価値のなくなったプライドだけが高い平凡なライダーの居場所はなくなる。
由加理をそんなライダーに終わらせたくない。全日本時代から由加理を見てきた小川は、たった一人でストロベリーナイツに貼りついている姿に、いたたまれなくなってくる。
将来性とは、本当に将来戦えるライダーを指す。由加理には将来実力でエースになれる潜在能力がある。
「ケリーさん……」
小川は、険しい顔でモニターを見つめるケリーに話しかけていた。




