一人きりのレース
「フレデリカとちょっと遊び過ぎたわ。もう少し残しとけば良かった」
毎度のことながら最後に体力切れという展開に、シャルロッタの口から少しばかりの後悔が漏れる。学習能力がないと言うなかれ、シャルロッタにとってフレデリカとの対決は、レース優先で適当に流していいものではない。
どちらも天才派として、なにかと比較されるシャルロッタとフレデリカだが、片や四年連続チャンピオン、もう一方は速いのは誰もが認めるところだが安定した成績が残せず、トップ10ランカーにすら入れないシーズンも珍しくない。経歴は圧倒的にシャルロッタが上回っている。だが両者にとって経歴など意味のないもの、単純に速い相手と競り合いたいという欲求が勝っていた。
とりあえず楽しめた。それはそれでいい。しかしシャルロッタもいつまでも子どもじゃない。中二病を拗らせた痛い大人は卒業した。大いなる野望を実現する宿命がある。そう、フェリーニを復活させ、チェンタウロの魔女王として世界を支配するという宿命を担っているのだ。ストロベリーナイツを離れたらチャンピオン陥落では格好わるすぎる。フェリーニでチャンピオンになってこそ、真の魔女王なのだ。
前を行く愛華は、かなり走りが乱れている。本来のシャルロッタの実力なら、容易く追いつき抜きされるだろう。しかし今のシャルロッタのタイヤは、愛華以上にボロボロだ。これ以上ペースを上げれば、まずゴールまでたどり着けない。何より、『愛華の最後の粘り強さ』は、シャルロッタが一番知ってる。
「あたしは計算できる大人。今日のところはアイカに花持たせてあげるわ。だけど二位は絶対譲れない」
現時点でシャルロッタは首位だが、同ポイントでヤマダの由加理に並ばれている。ラニーニのアシストライダーである由加理はともかく、僅差でつけてるラニーニ、そして前戦優勝のバレンティーナを先にゴールさせるわけにいかない。
「別に下僕だったからアイカだけ特別扱いとかじゃないんだからね!あたしだって意地があるから。シャルロッタ様を簡単に抜けるとは思わないことね。アイカはせいぜい転けないでゴールしなさい!誰もあんたを追わせないから」
誰も聞いてないと思って、言わなくていいことを口走るシャルロッタだった。
ラニーニ、そしてバレンティーナたちがチーム総力をあげて襲いかかってくることを予想していたシャルロッタだったが、先に追いついたのは、なんと同じチームの琴音だった。そしてストロベリーナイツのタチアナもいる。
琴音の技術は高く評価しているシャルロッタだが、それは開発ライダーとしてである。シャルロッタが望むマシンに仕上げられる能力と、レースにおいてライバルと競り合い、裏をかき、強引なパッシングの攻防は別のものだ。手堅さを誇るラニーニたちと一癖二癖あるバレンティーナたちを差し置き、この二人が真っ先に追いついてきたことは予想外だった。
ともあれ、琴音がきてくれたことは素直に助かる。トップスピードで挑むフルアタックではさほど役に立たなくても、ボロボロのタイヤで強豪二チームを迎え撃たねばならないこの状況で、味方の援護は心強い。タチアナは、なに考えてるかわからないところあるが、イタリア人エースの足留めぐらいには使えるだろう(シャルロッタも国籍はイタリアだが、人種はチェンタウロ族。人種でいいのか?)。
「邪魔になるようだったら、チャンピオン争いに関係ないタチアナは、前に行かせればいいし……」
冷静な判断ができる自分を称賛しながらも、タチアナを前に行かせることを、どうにもしたくないシャルロッタだった。
愛華が一人トップを走り、少し間を開けてシャルロッタに追いついた琴音とタチアナを、ブルーストライプスとチームVALEが飲み込もうとする状況で、レースは最終ラップに入った。
トップを走る愛華は、淡々と孤独な戦いを続けていた。スターシアさんがガス欠リタイアしてから、一人消耗したタイヤを宥め、なんとかゴールまでたどり着こうと死力を尽くしていた。
ピット前を通過した時、サインボードには残り一周を示す『LAST』とペースを維持せよの『→』のみ。
背後から自分より遥かに速い群れが迫ってるのはわかっている。いつ襲いかかられるか、気が気でない。怖い。プレッシャーで押し潰されそうだ。気持ちを奮い立たせても、タイヤがついてきてくれない。追いつかれれば、もうどうしようもない。
(今できることだけに専念しよう!)
サインボードに後続とのタイム差が記されなかったのは、きっとそういうことだ。
(肩の力を抜き、下半身でマシンをしっかりホールド。動きの中心軸を意識する)
スターシアさんから言われた通り、基本を思い出しては何度も自分に言い聞かせる。
人間の感覚とは大したもので、どんなに危うい状況でも繰り返し大丈夫なら、慣れるものらしい。愛華もすり減ったタイヤに、グリップをあてにできないながらも「こんなもの」と次第に慣れていく。端から見れば危なっかしさ極まりなくとも、わりと安定して乗れてくる。とは言っても速くなったわけでもなく、愛華もそれは十分承知している。
(抜かされる時は、あっさり抜いて欲しいな。シャルロッタさんなら慌てる暇もないぐらいスッパリ抜いてくれそう。ラニーニちゃんはたぶん気をつけてくれるかな?だけどバレンティーナさんはわざわざぎりぎりのところ狙って抜いてきそうでこわいなぁ……)
安定した分、余計なこと考えてしまう。
(ダメ、ダメ!抜かれること考えてどうするの!?今は自分のライディングだけ集中しないと!)
すぐに自分を嗜める。レースである以上、勝利をめざさなければならない。しかし意識し過ぎれば思わぬミスを招く。ましてや今の愛華のマシンは、ゴールにたどり着くのも危うい状態だ。チェッカーが振られた時の順位がどうあろうと、自分の走りに集中するしかない。できることはそれだけだ。
背後から愛華を捉えようと、飢えた狼のような群れが猛然と追いかけてきてるのは確かなのに、愛華は単独のまま最終コーナーまで来た。逆にそれが怖い。シャルロッタもラニーニもバレンティーナも、死に物狂いで優勝をもぎ取ろうと狙ってるはずだ。後ろを振り返りたい衝動に駆られながらも、自分の走りに集中する。
路面とタイヤの抵抗を感じながら減速Gをかけていく。フロントフォークを安定させ、細心の注意を払いながら、それでもタイミングよくマシンを寝かす。本来のバンク角には及ばないが、膝が路面を擦る。一瞬フロントが滑り、ドキリとする。ここで転倒したらすべて水の泡だ。かと言って意識し過ぎても、体はイメージに従ってしまう。
(怖がったらダメ。基本通りすれば大丈夫)
ネガティブな思考を追い払い、マシンとタイヤを信じる。
クリップをかすめ、バイクを起こしながら頼りないグリップを感じつつ慎重にスロットルを開けていく。リアタイヤを一度でも空転させたら、セルゲイおじさんが仕上げたスミホーイの2サイクルエンジンは、瞬時にタコメーターの針を跳ね上げ、コントロール不能になってしまいそうだ。
愛華は体をまだ内側に残したまま、バイクをほぼ直立まで起こした。早めにシフトアップ。身体をできるだけ小さくしてカウルに潜り込む。ストレートの彼方に、チェッカーフラッグを掲げた人影が見えた。すでに右手は目一杯捻っている。できることはすべてやった。頭に浮かんだのは、祈りでも願いでもなかった。
(そう言えば、今年、まだ苺ショートケーキ食べてなかった……)
愛華がフィニッシュラインを越えるタイミングで、チェッカーフラッグが振り下ろされた。




