はじめてだから、やさしくして……
「GP全クラスを通じて最も美しいライディングフォーム」
スターシアを形容する時、決まって使われる言葉だ。誰も異論を唱える者はいないであろう。あのバレンティーナすら、理想的なライディングと称えている。
勿論、愛華もそのフォームの美しさだけでなく、洗練されたスムーズな走りに、いつもながら見とれてしまいそうになる。
残り少ないガソリンを一滴も無駄にしないよう細心の注意を払い、尚且つタイヤもかなりグリップを失いかけているにも関わらず、進入から立ち上がりまで流れるようにつなげる一連の動作に、一片の翳りもない。
思えばまだアカデミー生だった時に、エレーナとスターシアにイギリスの空港ロビーで呼び止められ、そのままロシア-ツェツィーリアのスミホーイテストコースに連れていかれた。そこで憧れでしかなかったエレーナとスターシアから直接、GPで通用する走りを叩き込まれた。愛華にとって現役のGPライダーと走るのは初めての経験だった。それも愛華がレース界に飛び込むきっかけとなった女王エレーナと、世界一美しい走りと言われるスターシアなのだから、あの時の感動と衝撃は、今も消えることがない。
二人とも映像では何度も観ていたが、生のエレーナさんの迫力に圧倒された。
ライディングについて今ほどわかってなかった愛華だが、スターシアさんが単にライディングフォームが美しいだけでないことを肌で感じた。形だけでなく、走るために必要なことのすべてを、一切の無駄もなく滞ることもなく流れるような動きで完結させていく。バレンティーナさんが「理想的なライディング」と称えるのも頷ける。テクニックの一部でも吸収したい、少しでも近づきたいと懸命にあとを追った。
あれから愛華だってずいぶん上達した。あの頃のスターシアさんに、少しは近づけたかもしれない。だけどスターシアさんは、更に洗練させ、前を走っている。
すり減ったタイヤは、グリップ力の低下だけでなく、ハンドリングまで変えてしまう。ゆっくりバンクさせていくところで急に倒れ込んだり、スロットルを捻るとステアリングがぶるぶると左右に振れ出したりする。まるで別物のバイクに変わってしまったように感じる。スターシアのマシンにも同じような現象が起きているはずなのに、彼女は乱れることなく美しいライディングのまま走り抜けて行く。
いったいなにがちがうんだろう……?
「アイカちゃん、条件が悪い時ほど基本が大切よ。忘れてない?動きの軸を意識して、真上からコントロールしてる?怖がらずにメリハリをつけて、でも乱暴な操作は絶対ダメ。初めての子と肌を合わせるように、やさしくリードしてあげて」
人は真似できないものを見せられた時、とかく何か秘密のテクニックがあると探りたくものらしい。スターシアのテクニックも、シャルロッタのチートライディングでさえ、基本の上に成り立っていると熟知している愛華ではあるが、スターシアに言われ、つい特別なテクニックを見つけようとしている自分に気づき、慌てて基本に立ち返る。
シャルロッタが「基本が大切」と言っても、派手さに目を奪われてる若い子たちにはたぶん届かない。だけどスターシアさんの言葉には説得力がある。指導者になってもきっと優秀だと思う。最後の余計なたとえがなければ……。そう言えば、前にも似たようなこと言ってる人がいた気がする。同じぐらい背が高くて、いろいろ危ない人で……。あまり考えると変になりそうだからそこは無視しよう。
「アイカちゃんも私がやさしくリードしてあげますからね」
ごめんなさい。無視します。
「大丈夫よ、誰でも通る道だから」
だからわたしは通りませんから!
「どうして無視するの?恥ずかしいの?」
「走りに集中してるんです!スターシアさんも余計なこと話しかけないでください!」
あまりしつこいので、つい反応してしまった。
「そうね、レース中は真面目に集中しないとね。でもアイカちゃん、ますますエレーナさんに似てきたみいで、ちょっとさみしいわ……」
エレーナさんに似てきたと言われて、ちょっとうれしい。それにしても、よくこんな走りをしていながら無駄口言えるものだ。エレーナさんの苦労がちょっとだけわかった愛華だった。
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トップ四人のペースが落ち始めた時、セカンドグループにいたブルーストライプス、チームVALEの両チームは、一気にペースを上げた。トップの四人は、これから脱落者を出しながらどんどんペースが落ちて行くだろう。だが追いつくのは早くても最終ラップ手前になる見込みだ。見せ場としては最高の演出だろう。
それまで集団を引っ張っていた琴音とタチアナも、両チームのスリップに潜り込み、遅れずついて行く。
二つのチームの一糸乱れぬチーム走行に変化が生じたのは、フレデリカが脱落リタイアしてからだ。それまで毎周縮めていたトップとのタイム差が、急に詰まらなくなった。
フレデリカがいなくなって、シャルロッタが自由に走れるようになったからか?
昨シーズンまで同じチームだった愛華とスターシアが、シャルロッタと共同戦線を結んだのか?
理由はともかく、逃げ切られる可能性が急激に高まった。それまでどこか互いに牽制し、最後の勝負どころに備えてる様子のあった両チームの雰囲気が一転した。
ずっと集団中心に構え、ラストバトルに向けて体力を温存していたバレンティーナも積極的に先頭に出る。
「スプリントの遅いヤツは構わないからおいていけ。自信のあるヤツはどんどん前に出て引っ張ってかまわない。あいつらを絶対に逃がすな!」
ラニーニとナオミも全力疾走に切り替わった。
「先に追いついた方が勝ちだよ。ユカリちゃん、遅れないで。あとコトネさんとタチアナさんの動きに気をつけて!」
案外こういう場面で勝敗を左右するのが、第三勢力だったりする。これまでのレースから、由加理がライバルチームの動きに鋭い観察眼を持ってると判断したラニーニは、由加理に琴音とタチアナへの注意を任せた。もっとも以前のレースで由加理が愛華への反応が早かったのは、まさに愛華だからであり、ラニーニもそこまで熟慮した判断ではなかった。状況は一刻を争っており、ゴールまでに追いつくにはラニーニとナオミがスパートに集中する必要があった。とっさに経験の少ない由加理を狡猾なバレンティーナに近づけるより実力を発揮できると考えただけかもしれない。
大切に育てたいという思いとは裏腹に、熾烈な争いこそが一流への経験となる。運命は当人たちの思いに関係なく、まるで選別するかのように狙って巻き込んでいくのが常である。




