夜のメカニック
「やはりワンラップのスペシャルステージなら、シャルロッタとLMSのパッケージングは断トツだな」
「まったく恐ろしい速さです。もし決勝が10周とかのスプリントだったら、本当に全戦優勝しちゃうじゃないですか?」
「35周という長丁場でも、最近は誰かさんのおかげで走り方覚えたからな。うちにいた頃はハラハラドキドキさせられたけど、今は逆の意味で緊張しなくちゃならんくなった」
決勝を明日に控えた土曜の夜、ストロベリーナイツの喫煙用休憩テントに、愛華担当のメカニック、セルゲイとスターシア担当のイリーナ、それにタチアナ担当になったユリアが顔を揃えていた。
セルゲイとイリーナが同じタイミングで煙草を吸いに来たのは偶然である。予選を終えたマシンのチェック、ライダーと打ち合わせて決勝に向けた調整と整備も問題なくこなし、きりがついたところで一服が習慣のセルゲイとイリーナが喫煙用テントで顔を合わせるのは、よくあることだ。だが煙草を吸わないユリアがここに来るのはめずらしい。
イリーナはすぐに、なにか相談したいことがあるのだろうと感じたが、ユリアはなかなか話を切り出せないようだ。
「アイカもパワーで劣ってるスミホーイで一列目に食い込むとは、大したものだ」
セルゲイも気にはなったがあえて触れず、予選結果の話題を続ける。
ヘレスサーキットは、トップスピードの低いテクニカルサーキットではあるが、タイトなコーナーと短い直線の組み合わせは、立ち上がり加速の勝るマシン有利のスミホーイには厳しいコースだ。愛華はパワー不足を進入速度と体重の軽さで補い、シャルロッタ、フレデリカ、バレンティーナに並ぶ、フロントローに食い込んだ。スターシアは高いコーナーリングスピードで健闘するも、加速の伸びで差をつけられ、8番手タイムに終わった。それでもスターティンググリッドは愛華のすぐ後ろで、決勝に望みをつないでいる。
「そうね。パワー不足は根本的にエンジンの基本性能の問題だから私たちに責任はないけど、私らもなんとかしないと、って気にさせられるわ」
「このところチーム内のゴタゴタが続いてるから、盛り上げようと必死なんだろう。氷の女王とは違うが、彼女なりによく頑張ってる」
「ところで、タチアナの調子はどうなの?」
ここで師匠であるイリーナが、痺れを切らせてユリアに話を振った。先ほどから二人に話を合わせてるだけで、自分から切り出す様子がない。このままだと朝までセルゲイのおやじと駄弁るはめになりそうだった。
「調子もなにも、見ての通り四強チームの中じゃ一番後ろですよ。ただまあ、彼女も少しは反省したみたいで、これまでとはちょっと変わった、ていうか……」
「気づくのが遅すぎるんだよ。まったく、エンジンの使用台数制限あるのに、開幕戦のしかも予選でいきなり潰しておいて。今回いたわって走ってるのは、音聞けばわかるよ。でもあいつは自業自得さ。おかげでアイカのアシストは今回もスターシア一人、ただでさえ終盤きついのに、最初から最後まで引っ張れるよう仕上げなきゃなんないから、いい迷惑だよ」
さすが長年スミホーイのメカニックをしているイリーナである。排気音だけでタチアナがエンジンを庇っていると見抜いていた。
「確かに自業自得なんですけど、それでも四強以外の新規ワークスやサテライトチームには、負けてないですから。決勝もスタートで遅れなければ、トップグループについていけると思います」
「へえ、そうかい。まあメカニックってのは、気に入ろうが入らなかろうが、与えられた仕事をきっちりするだけさ。おまえも最初からそのつもりだろ?」
愛華のことを話してる時と今言ってることが違う気がするが、それだけタチアナを嫌っているのだろう。
「そうなんですけど……だけど彼女、条件さえ良ければ本当に速いですよ。間違った方向に向いてましたけど、根性もあります。今、切羽詰まった状況になって、ようやく理解したと思います。チームに残るために何が必要か。確かに気づくの遅すぎですけど、思い切り走れるようにしてやれば、きっと役に立つはずです」
「『条件さえ良ければ』なんて言ってるやつは五万といるさ。タチアナもうちに来た時そう言ってた。で、どうだ?どこまで条件が揃えば発揮してくれるんだい?アイカだってスターシアだって、満足のいく状態でなんて走ってないよ。シャルロッタにもバレンティーナにも不満はあるだろう。それでも結果を出すのが本物のライダーなんだよ。おまえだってわかってるだろ?どうして急にタチアナの肩を持つ?惚れたのか?」
「私にそういう趣味はありません!」
ユリアはきっぱりと言い切った。イリーナがレズビアンなのは当然知っているが、彼女も「チーム内での色恋沙汰は御法度」という不文律を律儀に実践している憧れの師匠なので、軽い冗談だとしてもそんな言い方はショックだ。かと言ってあまりむきになるのも変だとすぐに気づいた。
「私も最初は、タチアナがどういう人間だろうと自分の仕事をするだけと思ってました。まあ初めて担当を任せられたライダーがこれ?ってのはありましたけど……」
「じれったいね。さっきから何が言いたいんだい?メカニックなら要点を簡潔に言いな」
「はい。彼女、実力はあります。彼女がクビになっても私の経歴に傷はつかないと思ってましたけど、彼女以上の代わりのライダーを今すぐ連れてくるのは難しいことに気づきました。どっちにしても私の整備したマシンはトップ争いとは離れたところしか走れないと。でももし、彼女が本当に変わったのなら、スターシアさんだけで足りない部分をサポートできるはず、チームにとってもプラスになって、私も認めてもらえるかも?と……あっ」
イリーナが裏切り者を見るような目で睨みつけているのに気づいて、言葉に詰まった。
「つまり私たちと同列になりたいからタチアナを利用するということだね?」
「そういうわけでは……」
「腹黒いやつとはつき合いたくないが、野心を公言するやつは嫌いじゃない。敵にしろ味方にしろ、目的がはっきりしてるからわかりやすい」
黙って二人のやり取りを聞いていたセルゲイが、ぽつりとつぶやいた。紫煙を揺らせながらカッコイイつもりの台詞を吐く老練メカニックに、イリーナも毒気を抜かれたようだ。(勿論、メカニックとしての腕は一目置いている)
「……まあせいぜい頑張りな。だけどパワーが足りてない上にあと三~四戦もたせなきゃなんないだろ?なるようにしかならないだろうね」
「それは……」
出力と耐久性の関係は、限られた水を二つの容器に分けるようなものだ。一方に多く注げば、もう一方は足りなくなる。タチアナの場合、ただでさえ少ない水を、最初に溢してしまっているのだからどうしようもない。
「ミーシャに手伝わせるといい。あの坊や不器用だが磨きとか擦り合わせといった地味な作業はけっこう上手いぞ。まめだから俺よりきれいに仕上げるぐらいだ」
セルゲイの助言に、ユリアが微かな光を見つけた顔をした。セルゲイの言う"磨き"とは文字通りパーツの作動面を磨いて限りなく凹凸を減らし滑らかにすること。"擦り合わせ"は作動するパーツ同士の接触面のガタつきや圧迫してる部分を整え、なめらかに動くようにすることを指す。
燃焼室での爆発によって生まれた力がタイヤを通して路面を蹴るまでに、多くのパーツを介して(動かして)伝わっていく。たとえ小さなパーツであっても動かすにはそれだけで力を消費し、機械損失が生じる。
メカニックロスは少ないほど望ましいが、時間的に労力に見合うだけの性能向上が得られるレベルで妥協しなくてはならないのが現実だ。セルゲイの提案は、ミーシャに手伝わせ、できるとこまでやってみろというものだった。それによって得られる性能の向上は、おそらくほんの僅かだろうが、エンジンの使用制限がある場合など、耐久性の向上は長期的には結果大きく分けることもある。たとえば最終コーナーで焼き付くか、ゴールラインを越えて焼き付くかでは、天と地の差がある。
「ちょっと待て。ミーシャ坊やは私が預かってるんだぞ」
「どうせ大した仕事やらせてないんだろ?」
「たけどタチアナに近づけるなとエレーナさんから言われてる」
「近づけなきゃいいんだろ?夜中にパーツ磨くだけだ。あの坊やならパーツにでも欲情しそうだけど」
「穢らわしい真似してたら、坊やのミニバイク並みのピストンを切り落としてやるからな」
その頃、作業テントで一人片付けをしていたミーシャくんは、突然背中に悪寒を感じ、拭いていたオイル受け皿を落としてしまった……。




