憔悴
レースウィークに入ったヘレスサーキットでは、シャルロッタが、前戦のうっぷんを晴らすかのようにパドックでもコース上でも全開でぶっ飛ばしていた。
彼女の凄いところは、傲慢な言動も奇行も単なる賑やかしでなく、認めるしかない最高のパフォーマンス、絶対的速さの走りを見せつけてくれることにある。この日も練習走行最初のセッションから、いきなり自身の持つMotoミニモクラスの(スリップストリームを使わない単独での)サーキットレコードに迫るタイムを記録し、主催者と観客を歓ばせた。
しかし午後になると、シャルロッタに対抗するように他のライダーたちも積極的にタイムアタックに挑み始める。ここヘレスサーキットは、スペイン南部アンダルシア地方の温暖な気候のおかげでオフシーズンの合同テストも毎年行われてるサーキットだ。どのライダーも今季のマシンで十分走り込んでいる。気温や路面温度などの細かな条件の違いはあるものの、基本となるセッティングデータは持っている。タイトルを狙うトップチームのライダーたちが、シャルロッタだけに話題を持っていかせないとばかりに、次々とシャルロッタに迫るタイムを記録すれば、シャルロッタもさらにぶっとんだ走りで突き離すという白熱のアタック合戦を繰り広げた。
そしてフリー走行終了間際、ノエルマッキのバレンティーナが会心のアタックで、シャルロッタのサーキットレコードを上回るタイムを叩き出したところで初日の走行を終えた。
インタビューでシャルロッタは、「まだまだぜんぜん余裕があったのに!」と悔しがったが、逆に前戦アメリカGPで久々の優勝を果たし調子に乗るバレンティーナの強かさが強く印象づけるだけとなった。
二日目には、シャルロッタが再びサーキットレコードを塗り替える圧巻の走りを見せつけるものの、バレンティーナのノエルマッキはじめ、多くのチームは決勝を見据えたチーム走行にシフトしており、シャルロッタとしては全力でのアタックをすかされた感じでかなり不機嫌になっていた。勿論セッティング作業を続けてるライダーもいるが、この時点でセッティングの決まっていないライダーがシャルロッタを脅かすことはないだろう。
ストロベリーナイツの愛華とスターシアも、初日にほぼ納得のマシンセットアップを終え、決勝を想定した連携に専念していた。と言っても先に記した通り、このサーキットは何度も走り込んでおり、勝負ポイントも互いの走りと役割も体に染みついている。問題はもう一人のチームメイトだ。
一番時間をかけたいタチアナとのコンビネーションだが、肝心のタチアナの走りが、二日目最後の走行枠を前にしても詰めきれていないらしい。この状態でいくらチーム走行の練習をしても、スタートグリッドが離れてしまっていたら意味がない。先ず自分の走りを仕上げてもらうことを優先した。
タチアナも、シーズン前の合同テストでは愛華たちに引けを取らないのタイムを出していた。昨日今日と愛華の走った感触では、その時のままのセッティングでもそこそこのタイムは出るはずだから、セッティングに迷ってるとは思えない。まさか担当メカニックのユリアさんが手を抜いてるなんてこともありえない。だとしたらタチアナ自身の調子が崩れてると考えるのが妥当だろうか。
愛華は多少の後ろめたさを感じながらも、それならそれでありがたいと思った。
これまで愛華は、ストロベリーナイツのエース(リーダー)として、タチアナが早くチームに溶け込めるよう努めてきたつもりだ。彼女を理解しようと努力もした。爆発しそうになったこともあったが、個人的な感情はできるだけ我慢することにした。今もそれは変わらないつもりだ。
でも、リーダーとして客観的に判断するなら、チームにとってベストな選択をするなら……
愛華は人目を避け、トレーラーハウスの中でスターシアにだけ胸の内を打ち明けた。
「きびしいかもしれませんけど、今回もスターシアさんと二人だけで戦うつもりでいます」
「タチアナさんには期待してないということですか?」
スターシアは意外そうな顔で訊き返してきた。スターシアさんならすぐわかってくれると思っていただけに、愛華は一瞬、次の言葉が出てこなくなった。それでも気を取り直して、自分の思いを正直にスターシアに話す。
「はっきり言って、タイム的にもあの人はあてにできません」
「う~ん、でも彼女の実力は本物です。これから大きく詰めてくる可能性もありますよ。予選は明日です」
「もし仮に、明日あの人がいいタイム出したとしても、チームとしての練習もほとんどできてない状態で戦力になるとは思えません。むしろ後ろの方にいてくれた方が助かります。アメリカの時のように、レースをぶち壊してくれるよりは」
「…………」
スターシアはじっと愛華を見つめた。おそらく数秒だったであろうが、透き通るエメラルドの瞳に見つめられて、愛華にはずいぶん長い時間に思えた。
「わかりました。アイかちゃんがそこまで言うのだから、きっとよく考えた結果でしょう」
「…………」
ずっと考えてた。エレーナさんならどうするかとも考えた。そしてそれがベストな選択だと割りきった。だけど正しい選択だとは信じきれていない自分もいる。エメラルドの瞳に、心の裏側まで見透かされている気がした。
「でもこのことは、アイカちゃんと私、二人だけの秘密にしておきましょ。タチアナさんはもちろん、エレーナさんにもスタッフにも言う必要はありません。もしこのまま期待したくてもできない状況になるなら、あえて言う必要もないでしょ?でもレースは何が起こるかわからないもの。口にしたらもう戻せないものもあるのですから」
『口にしたらもう戻せないもの』という言葉に、愛華はドキリとした。スターシアさんに相談してよかった。もう少しで引き返せないところへ踏み込むところだった。
『戻せないもの』の中に、単純に展開によってはタチアナでも必要になるという目先の可能性だけでなく、これまで愛華を育ててくれたストロベリーナイツというチームも含まれていると感じた。愛華がそれを宣言したら、チームはバラバラになる気がした。
タチアナは元々チームに馴染めていなかったが、アメリカGPでの一件によって完全に浮いてしまっている。それでもチームスタッフが表向きにしろストロベリーナイツのライダーとして扱ってくれているのは、直接被害を被った愛華が批難していないことが大きい。エレーナから意見を求められた時も、「審議委員がレーシングアクシデントと言うならそうだと思います」としか言わなかった。実際あの場面で、なぜタチアナが目の前に飛び込んできたのか、なにを狙っていたのか、愛華の位置からはわからなかった。わからないのに競技審議委員の裁定を覆すことを言うなんて、愛華にはできない。結局エレーナも注意しただけに終わった。
タチアナに期待できない考えは変わらない。しかし今、愛華が「タチアナはチームに必要ない」と言ってしまえば、タチアナとの関係が修復不可能になるだけでなく、彼女と彼女のマシンに係わってるスタッフは、仕事するのが馬鹿らしくなるだろう。それは他のスタッフにも必ず影響する。そこからは決して良い結果は生まれない。解雇するにも言うべき道理とタイミングがある。
これ以上悪くなったら最悪だ。問題を先送りにするだけかも知れないけど、今、そんなこと言う必要はない。言ってもよくなることなんてなにもないし、ユリアさんたちの仕事を馬鹿にすることになる。もう少しで、わたしがエレーナさんの期待を裏切ることだった。わたし、まだまだだなぁ……
愛華は気づかせてくれたスターシアさんに、こっそり感謝した。




