ケンタウロスの系譜
苺騎士団がロシアでテストとトレーニングをしている頃、ブルーストライプスもホームのイタリアで同じように最終テストをしていた。
エースバレンティーナと同じ仕様のマシンが全員に渡り、レース本番と同様のシュミレーション走行でも問題は出ていない。
テストは公開されており、すぐにバレンティーナ優位の情報は世界に宣伝された。ジュリエッタ側としては、当然自信があるから公開したのであり、早くもタイトル獲得イベントやチャンピオン記念モデルの市販車の企画まで始めていた。
しかし、主役であるバレンティーナとチーム監督のアレクセイは、メーカーサイドやマスコミほど楽観視していない。エレーナの恐さを一番よく知っている。ランキングも僅かながらリードされている。
日本GPでは、一旦は最下位にまで墜ちたエレーナに逆転された。しかもあの時エレーナは肩を脱臼したまま走っていたという。バレンティーナのマシンは改良された最新バージョンだったのにも関わらず、大差を跳ね返された。バレンティーナが単独だったとは言え、マシン性能では明らかにこちらが上だった。
彼女相手に、どれほどアドバンテージがあろうとも油断出来ない。
マシンで上回っていても、乗り手のレベルは対等だ。ブルーストライプスは数で勝っているが、一人ひとりのレベルは、バレンティーナ以外は苺騎士団が上だ。ラニーニが辛うじてアイカより勝っているぐらいのレベルにしかない。しかも、そのアイカがレースではやたらとウザい。日本での敗因も、アイカの存在が大きい。これまでのカルロタなら、あれだけの差があればすぐにレースを投げていた。カルロタは確かに速い。その才能は、自分をも上回っている。間違いなく天才だ。天才だから苦労しなくても速い。思い通りにならなければ、放り出す。誰とも合わせられない。アイカとは正反対だ。
少女の頃、バレンティーナは、自分とシャルロッタが組めば必ず世界最速になれると信じていた。自分以外、シャルロッタのパートナーは務まらないと疑っていなかった。エレーナでさえ彼女を扱いきれなかった。いつか必ず自分のパートナーにするつもりだったのに、今自分のタイトルを阻もうとしている。
バレンティーナには、愛華がまるで疫病神のように思えた。
バレンティーナの父親バージニオは、かつてGP小排気量クラスの一時代を築いたフェリーニ・モトシクロの契約ライダーだった。バージニオ自身は、名を残すようなライダーにはなれずに終わったが、愛娘に夢を託した。
父親の夢を背負い、バレンティーナは幼少の頃からバイクに親しみ、小学生にして国内のミニバイクレースで話題となる才能を示した。
そして12才で父親のいたフェリーニMCのジュニアチームに入ることが出来た。
父親と同じフェリーニの半人半馬のエンブレムが誇らしかった。
そこで初めてシャルロッタに出会った。
シャルロッタは、ボローニャ貴族でフェリーニ社の創業者カルロス・デ・フェリーニの孫娘だった。父親は名目上社長だったが婿養子で、実権は会長のカルロスが握っており、類い稀なライディングセンスを持つ孫娘にすべての愛情を注いでいた。
そのシャルロッタも、幼い頃から自分こそフェリーニ家の紋章でもあるチェンタウロそのものだと信じていた。
まだ子供であったバレンティーナすら、子供の戯れ言としか思えなかったが、一緒に走ってみて、それが妄言とは思えなくなっていた。
それまでバレンティーナは、父親から本当の天才ライダーの話を何度も聴かされいたが、今ひとつピンとこなかった。自分こそ天才だと思い込んでいたからだ。
だが「あたしは人とバイクの間に生まれた」と豪語する三つ年下の少女の走りを目の当たりにして、初めて天才というのを知った。本当にバイクと身体が一体化していた。
バレンティーナは、脅威を感じた。自分以上にバイクとひとつになれる人間がいるのが信じられなかった。初めて嫉妬と言う感情を覚えた愛娘にバージニオは言った。
「バレンティーナには頭脳という武器があるじゃないか。レースはただ速いだけでは勝てないよ。練習して、頭を使って作戦を考えなくちゃならない。カルロタちゃんは何も考えなくても速いけど、レースで勝つには作戦とパートナーが必要なのはわかるね。妬むんじゃなくて、力を合わせようとしなくちゃチャンピオンになれない。おまえとカルロタちゃんが組めば、世界一のチームになれるぞ。女王エレーナにだって負けないチームが出来るんだ。二人がエレーナを破る姿を世界中に魅せてやろう」
バレンティーナは必死に練習した。そして年下のシャルロッタに追いつくよう努力を重ねた。
シャルロッタが大きくなったら、一緒に世界へ羽ばたけるように……。
シャルロッタも、そんなバレンティーナを姉のように慕うになっていった。
やがて二人は、『ボローニャのじゃじゃ馬娘たち』と呼ばれ、イタリア国内のみならず、国外にも知られる存在になっていった。実際には、シャルロッタにアシストは必要なく、単独でトップを走り、その次にバレンティーナがゴールするというのがほとんどだった。
それでもイタリア国民の多くがこの二人こそ、永くソ連〜ロシア人に奪われているモトミニモのタイトルをイタリアに取り戻してくれると信じ、二人もお互いに誓い合った。
バレンティーナが世界GPに出場出来る年齢になった頃、二人を取り巻く環境が大きく変わった。
元々、レース好きの貴族の祖父が始めたフェリーニ・モトシクロ社は、企業としては零細企業でしかない。経営はレース仕様バイクとマニア向けの高級市販車を少数生産しているだけだ。二輪車としては高額であっても、売上げはたかが知れている。
しかし、外国メーカーの莫大な資金と大規模な設備、最新のテクノロジーを注ぎ込んだワークスマシンが、小排気量クラスにも次々に参戦するようになると、ガレージを大きくしたような工場で手作りされていたフェリーニでは、とても太刀打ち出来る筈もない。レースでの不振は、レーサーだけでなく、公道用市販車の受注も減少させ、レース活動を続ける事すら危うい経営状況に陥っていった。
イタリア国内にあったいくつかの同じような小規模メーカーは、既に多くがイタリア最大の企業トエニ社に買収され、新興ブランド、ジュリエッタとして合弁されていた。
フェリーニ社にも買収が持ち掛けられたが、実質的に全権を握る創業者カルロスは頑なに拒否した。元々大半がフェリーニ家の資本だけで経営されていた小さな会社である。負債はそれほどなく、従業員の数も知れていた。
社長であるシャルロッタの父親や役員だった兄たちは、会社を手離して現金にしたがったが、カルロスは「カルロタがレースを続ける限り、フェリーニMC社はフェリーニ家のもの」と言い残して他界した。
シャルロッタの父親も兄たちも、実のところレースに然程興味なく、経営すら仕方なくやっているという体たらくだった。絵画やオペラなどの如何にも貴族的趣味に散財し、シャルロッタのレース活動にも眉を潜めていた。
危険だからと心配を装い、内心では見てくれのよいシャルロッタをどこかの金持ちにでも輿入れさせ、親戚関係になれればと考えていた。
ちょうどそんな頃、バレンティーナに、ジュリエッタから誘いがあった。
バレンティーナは迷った。フェリーニは父が誇りにするチームだ。自分を育ててくれたチームでもあり、メカニックや他のライダーにも恩がある。そして、シャルロッタのいるチームである。
しかし、フェリーニのレース撤退が時間の問題なのは、若いバレンティーナにもわかっていた。
バレンティーナは、ジュリエッタ側に条件をつけた。デビュー前の新人としては異例な事だ。
『フェリーニのライダーとメカニックの望む者を現在と同じ待遇で受け入れる事』
当然シャルロッタも含まれていた。
ジュリエッタ側は快諾する。優秀な人材は、ライダーであれ、メカニックであれいくらでも欲しい。特にシャルロッタはバレンティーナと並んで欲しいライダーだった。モノに成らない者は解雇すればよい。その点はバレンティーナも依存はない。
バレンティーナのミスは、シャルロッタへの事情説明があとになった事だ。彼女に現実を理解出来るだけの理性がまだないと、後回しにしてしまった。
シャルロッタはマスコミを通じてバレンティーナの移籍を知る事となる。しかも自分のチームのメカニックまで引き抜いていくという。バレンティーナの裏切り……。
シャルロッタも受け入れると言われた。しかし、バレンティーナから何も聞いていない。第一、シャルロッタにとって、フェリーニのエンブレムは自分そのものだ。バレンティーナなら、それくらいわかっていると思っていたし、バレンティーナも同じ気持ちだと信じていた。
裏切り者の情けでライバルメーカーのマシンに跨がるなど考えられない。
それともわかっていて、その屈辱を味あわせようとしているのか。幼くても、フェリーニの名の重みを祖父や母親から語り聴かされていたシャルロッタにとっては、誇りを踏みにじられる思いだった。
信頼は、一夜にして憎しみに替わった。
バレンティーナは何度もシャルロッタを説得しようとしたが、彼女は聞く耳を持たなかった。
バレンティーナの行為は、どう正当化しようとしても、裏切りにしか思えなかった。
優秀な技術者が抜けて、フェリーニ社は事実上消滅した。過去の遺産のおかげで負債を残さなかったのがせめてもの救いだった。
シャルロッタが、バレンティーナに剥き出しの敵意を向けるようになったきっかけである。
前にも増して他者を見下すようになり、左右、色の違うカラーコンタクトを入れるようになったのも、その頃からである。
もしあの時、バレンティーナがもう少し上手く説得していれば、シャルロッタはバレンティーナの側にいた筈だ。初めてシャルロッタを説得出来なかった事を後悔した。
その後、シャルロッタは古いフェリーニのバイクでレースを続けていた。ローカルレースでは、旧式のマシンでもシャルロッタに敵う相手はいなかった。しかし、特異なライディングと高慢な性格から、どのチームでも長く続かない。そんな時、ライダーを探していたエレーナに見いだされた。
最初はフェリーニ以外のマシンに跨がる事を拒んだ。しかし、エレーナとスターシアの乗るスミホーイにどうしたって勝てなかった。仕方なく、エレーナと同じ仕様のスミホーイを借りて勝負した。初めてフェリーニ以外のマシンに乗った。最新鋭のワークスマシンは、フェリーニのバイクが完全に時代遅れと思えるほど素晴らしく進化していた。
しかし、それでも結果は同じだった。初めて完膚なきまでに敗けた。シャルロッタは泣いた。自分もフェリーニのバイクも氷の女王に敵わない……と。
「おまえの誇り高さは評価する。プライドのない人間は信頼出来ない。だが現実から目を背けるな。現在、ジュリエッタに対抗出来るのは、私達だけだ。もし本当にバレンティーナとジュリエッタに勝ちたいなら、そのバイクを与えてやる。私のチームで走れ」
エレーナの言葉が、シャルロッタの置かれた状況と妄想にぴったりリンクした。その場で、スターシアも呆れるほどの大袈裟な台詞回しで女王への忠誠を誓っていた。
エレーナは現実を説いたつもりだったが、シャルロッタの中二病を拗らせる結果となった。




