ゴールを目の前にして
タチアナは、GPデビュー以来2年間、弱小チームで奮闘してきた。その甲斐あってストロベリーナイツのシートをようやく掴んだ。そして2戦目にしてトップ争いに加わろうとしている。
(さすがワークスチームね、マシンも体制もちがうわ)
気に入らないところも多々あるが、少なくともスターシアのアシストは超一流だ。実際のレースで他のチームと競り合えば、練習ではわからない巧さに気づく。ライディングの手本のようなきれいなフォームで、並みいるトップチームのライダーたちの間をすり抜けて行く。テクニックだけでなく、レース中の視野の広さが二流チームのアシストとは全然ちがう。
(アイカがトップクラスに居られるのは、スターシアのおかげね)
タチアナは認めないであろうが、彼女が頂点を夢見続けられる原動力は愛華にあると言えるかもしれない。
多くのライダーと同じように、タチアナもシャルロッタの走りを間近に見て、その怪物ぶりに畏れを抱いた。
まるで次元がちがう。同じ人間とは思えない……。
そんなタチアナに希望を与えたのが、シャルロッタを破ってチャンピオンになったラニーニであり、対等と言われる愛華だった。
ラニーニや愛華なら、自分でも勝てると思えた。正直言って、愛華は自分より下手だ。体制に恵まれているだけにすぎない。この体制なら、自分でも勝てる。実際、今日は後方から追い上げ、トップはもうすぐそこにある。
ストレートエンドでバレンティーナの背後にぴたりとつけた。インがガラ空きだ。
(憧れてた頃もあったけど、もう過去のライダーね)
タチアナは、バレンティーナにかつてのような覇気がなくなっているのを感じていた。「どうぞお先に」と言わんばかりの甘いラインを走るバレンティーナを、呆気ないほど簡単にパスする。前には、これも後続が迫っているなど意識せず、能天気にやり合ってるシャルロッタと愛華、あとはなんとかついていってるだけの由加理しかいない。
(ここまで追い上げて来たおかげで、タイヤはかなりダレてきてる。でもまだ行けるわ)
隙だらけの今なら抜けると思ったが、相手はあのシャルロッタ。コーナー二つあれば抜き返しにくるだろう。このタイヤでまともにやり合いたくはない。
二人には最終コーナーまで競り合わせ、自分は立ち上がり重視のラインからストレートに入れば、フィニッシュラインまで逃げきれると踏んだ。
タチアナの目論見通り、シャルロッタと愛華は最後までもつれる勢いで、タイムより互いに勝つことしか考えてないようなバトルを繰り広げていた。タチアナが読みきれてなかったのは、愛華が後続のこともしっかり意識していたことだろう。
由加理はずっとついていたし、バックストレートで一瞬振り返った時、バレンティーナが近づいていたことも把握している。
もちろん愛華は、由加理のことを油断してはいけない存在だと認めていたが、それにもまして危険なのはバレンティーナだ。
(もう真後ろにいるはず、あの人のことだから、最終コーナーに絞って狙っているはずだ)
おそらくシャルロッタも意識してるのだろう、愛華にしかわからないほど微細なちがいだが、警戒する動きに変わった。
実際に今愛華の真後ろにいたのはバレンティーナでなく、チームメイトのタチアナなのだが、彼女は無線で知らせることなく、愛華もシャルロッタも、バレンティーナだと思い込んでいた。
最後コーナーでトップ二台は、これまで続けてきたフロントフォークをフルボトムさせながらのインの奪い合いから、揃って早めに減速した。アウトいっぱいから早い段階でマシンを出口に向けて、立ち上がり加速を優先するラインだ。
突然走りを変え、自分の狙っていたラインに先に入られたタチアナは、急遽インに切り込んだ。同じラインでは抜けない。シャルロッタたちの加速に入る前に前に出るしかないが、速度もラインも中途半端になっていた。二人の前に出るどころか、後ろの愛華に並びかけるのが精一杯だ。タチアナはまだブレーキレバーから指を放せない状況で、二人はスロットルを開けはじめている。
その時、愛華は初めてインに来たのがタチアナに気づいた。
「えっ、タチアナさん!?」
驚いた愛華は、一瞬スロットルを捻る右手が止まった。
愛華の加速が鈍ったと感じたタチアナは、なにを思ったか寝かせ込もうとしていた状態からいきなりスロットルを開けた。
タチアナのマシンは曲がりきれてないまま加速し、外側に向かって行く。
一瞬の出来事だった。タチアナは愛華の目の前を掠めた。シャルロッタはリアに接触されたのか、バイクごと浮き上がる。タチアナはそのまま外側へと滑って行く。シャルロッタは、猫科を思わせる身のこなしでタイヤから着地させるが、進行方向とずれたマシンは大きく振られ、二度三度と蛇行しコースから外れる。バレンティーナがその内側をかわして行く。
愛華には、なにが起こったのかわからかった。
なんとか認識できたのは、突然現れたタチアナが、シャルロッタをコースアウトさせたこと、そして愛華もスロットルを緩めなかったら、フロントタイヤをなぎ払われていたであろうということしか状況がわからない。なぜそうなったのか?突拍子過ぎて怒りも恐怖もついてこない。
四輪用に造られたこのサーキットのランオフエリアは、砂や芝でなく舗装路面が広くとってある。転倒すると痛いが、転倒さえしなければコースアウトしても素早く戻れる。シャルロッタは大きくコースから外れたもののマシンを落ちつかせ、すぐにコースに復帰してきた。
愛華は状況を把握しきれてなかったが、気持ちを落ちつかせ、シャルロッタが追いつくのを待った。もちろん元同じチームだったからではない。現チームメイトのタチアナがコースアウトさせたのだ。先にゴールするわけにはいかない。それで許されるものではないし、済ませるつもりもない。とにかく今はシャルロッタをゴールさせることしか考えられなかった。




