本気と全力と自信
ずっと先頭を引っ張ってきたシャルロッタに代わり、愛華、由加理が前に出ても大きな動きもなく、勝負はゴール直前の数ラップに持ち越されたかと誰もが思いはじめたところで、シャルロッタが捨てバイザーを剥がした。それにに気づいた者は、そう多くはない。多くはないが気づいた者たちは、一様にシャルロッタから目が離せなくなった。確信がある訳でないが、僅かな前兆を見逃さなかった優越感とこれから始まるであろう人の技を超えたライディングに期待する。気づいてない中継カメラマンが、トップを走る愛華と由加理にズームするのに苛つく。
捨てバイザーと呼ばれるフルフェイスヘルメットのシールドに重ねられた薄いフィルムは、ゴミなどで汚れたシールドを薄皮一枚剥がすだけで視界をクリアに戻してくれる、レースライダー必須のアイテムだ。当然多くのライダーは視界を妨げるほど汚れた時、或いはそれほどでなくても気になる汚れが付着した時などに剥がす。
シャルロッタの場合、それが戦闘モードへ変身するスイッチとなっていた。捨てバイザーを剥がすことで、通常シャルロッタから最速シャルロッタへと0.1ミリ秒で変身するという設定らしい。たまに忘れることもあるが、その場合は「通常モードで十分だった」とか「実は最初から変身していた」ことにしている。
その言い訳はともかく、気持ちを切り替える動作としては、心理学的にも理にかなっているだろう。一瞬の動作で視界をクリアにしてくれるのは、気持ちの切り替えスイッチとしては理想的と言える。他のライダーでも気持ちを切り替える時に捨てバイザーを剥がすこともあるが、シャルロッタほど設定になりきれる者はいない。ここでも類い稀な才能の片鱗が窺える。
シャルロッタは、長いバックストレートを愛華と由加理の背後にぴったりつけて、鋭角の12コーナーへのブレーキングで二人の前に出た。
Motoミニモ最速を誇るフェリーニLMSのトップスピードであれば、無理しなくても長い直線でかわせたであろうが、あえてリスクの高いブレーキングで仕掛けるあたりに、シャルロッタのプライドが表れている。さらにそこからホームストレートにかけては、複合コーナーの続くテクニカル区間だ。単にトップを取り戻す以上の、シャルロッタの意地を感じさせる。
「これがシャルロッタさんの本気!」
この時を待ってたはずの愛華だが、ついて行くのがやっとでプレッシャーをかける作戦などどこかへ吹き飛んでしまう。そんなことしなくてもめちゃくちゃ速い。
由加理も必死についてきてるが、コーナーリングで引き離されては、立ち上がりでなんとか詰めるを繰り返している。誰の目にも遅れ始めているのが明らかだ。
(由加理ちゃん、ここが踏ん張りどころだよ。頑張って)
ライバルチームにも関わらず、愛華は心の中で由加理を励ましていた。自分でもやっとなのだから、経験の浅い由加理にはもっと厳しいだろう。しかしここで離されたらもう追いつけない。ストロベリーナイツのライバル、ブルーストライプスのライダーなら踏み堪えなくてはならない。
「すごい……どうしてそんなスピードで入っていけるの?」
初戦でシャルロッタをあと一歩まで追いつめた由加理だが、それは本当のシャルロッタじゃなかったと思い知らされた。あの時はタイヤがボロボロになってたにも関わらず、信じられないようなテクニックと気迫で抑えられた。
今、シャルロッタは十分暖められたエンジンとタイヤ、程よく軽くなったガソリンタンクのマシンを駆って、ここまで我慢していた欲求を爆発させるように飛ばしている。本当に飛んでいるかのようにフロントを軽く浮かせたシャルロッタに抜かれた時は、まさに翼の生えた獅子に襲いかかられたと恐怖してしまったほどだ。それに遅れずついて行ってる先輩も、自分とは別次元を走っているように思える。
(いやだ!やっと先輩に追いついたんだ。もっと同じところにいたい!)
挫けそうになる気持ちを一途な思いだけで奮い起たせ、愛華の背中を追った。
シャルロッタの本気のスパートを察知したフレデリカやバレンティーナたちも、遅れまいと一斉にモードを切り替えた。他のライダーに構っていられない。遅れる者はチームメイトであっても置いて行く。ラニーニとナオミも一刻も早く由加理に追いつこうと全力走行に入る。
「さすがに一人じゃきついですね」
スターシアは、取り囲んでいたマークが外れたのはいいが、トップクラスのライダーたちがチームで全力疾走するのについて行くには、かなり無理しなくてはならなかった。「このコーナーはヤマダの後ろで立ち上がり、次のコーナーはノエルマッキの後ろに入る」と引っ張ってくれる相手を取っ替え引っ替えして前に行こうとするが、特性の違うマシンは、スリップに入るにもアクセルを大きく開けないと、あっという間に置いてかれる。
(せっかくアイカちゃんに追いついても、大事なところでガス欠じゃ、またエレーナさんに嫌味言われてしまいます)
スミホーイの燃費は、以前と比べたら随分改善されてるが、フルスロットルフルパワーを繰り返せばたちまち減っていく。スリムな体型をずっと維持しているスターシアであっても、やはり燃費計算からは逃れられない。バレンティーナやラニーニより早く愛華に追いつきたいところだが、スターシアのテクニックをもってしても難しい状況だ。
さらに後ろから、琴音まで上がって来ていた。シャルロッタ、フレデリカのアシストというより、フェリーニLMSの開発ライダーの色が濃い彼女は、実戦での天才二人の特異な感覚ではないデータ収集を担っている。トップチームの全速力相手に、実戦テストとしては絶好の機会だろう。
フェリーニLMSが常勝チームをめざすには、やはりアシストの増強が不可欠となる。今季は間に合わないにしても、資金面さえ許せば本格的にチーム体制を整えるつもりだろう。
それはともかく、スターシアは琴音にも気を使わなくてはならなかった。只でさえ燃費とタイヤを気にしながらブルーストライプスとチームVALEのスリップに入ってるのに、同じような走りをする者がもう一人いては、相当神経をすり減らす。一見、ライディングスタイルが近いから合うように思えるが、マシン特性の差が僅かずつタイミングを狂わせる。決して強引に割り込んで来るようなことはないが、同じようなラインを狙っているだけに噛み合わない。テクニック的にはスターシアが上回っていても、普通の人間にはまともに走らせることもできないと言われるほど超ピーキー&ハイパワーなマシンを使いこなされては、スターシアとて思うように走れない。かと言って相手していれば、前を行く一団から引き離されてしまう。
何度も接触しそうになり、互いに見合ったり交差を繰り返しながら、一刻も早い愛華との合流をめざした。
「だいぶ苦労してるみたいですね。お手伝いしましょうか?」
なかなか埋まらない愛華との距離に焦りを感じ始めたスターシアのインカムに、ストロベリーナイツ第三ライダーの声が入ってきた。
一瞬、スターシアは耳を疑った。タチアナは集団の一番後ろ辺りにいたはず。シャルロッタのスパートによって集団はばらけ、後ろの方も走りやすくなったにしろ、上位集団はかなりのハイペースだ。集団から溢れたライダーを利用して、スミホーイの性能以上のスピードを稼いだとしても、タチアナが追いつけるとは思ってもなかった。しかもこれほど早く……。
スターシアがどう返答しようかと迷ってる間に、タチアナはさらに横柄な提案してくる。
「ここまでは大したことない連中だったけど、さすがに上位集団となると、私も一人じゃきつそう。行き先は一緒なんですから、ここは一つ協力しませんか?」
まるで余所のライダーに共闘を持ちかけるような口ぶりだが、スターシアもタチアナも同じストロベリーナイツのライダーだ。協力するのは当たり前というか、しなければならない。
スターシアは引っかかるものを感じつつも、この状況を突破して愛華に追いつくには、チームメイトの協力を必要としていた。タチアナのテクニックに疑う余地はない。
「わかりました。手伝ってもらいます」
「それじゃあさっそく、スターシアさんが前の奴らに穴をあけてください。私が潜り込みますから」
綿密な打ち合わせなどしてる暇はないにしても、チームに入ったばかりの若いライダーから勝手な指示をされるのは、やさしいスターシアでも気分いいものではなかった。
確かにスターシア自身も、自分が的確なタイミングを見極めて仕掛け、元気いいタチアナに突進してもらおうと考えていた。タチアナの状況判断は適切だろう。技術もある。
(それだけの実力があるなら、色仕掛けだの小細工なんて使わなくても、いずれエースとしてMotoミニモの中心ライダーの一人になれるでしょうに、どうして正道を歩まないのですか?)
スターシアは問いたかったが、今そんな暇はない。タチアナの教育係でもない。
スターシアは現在のストロベリーナイツのエース愛華のために、バレンティーナとエリーの間の僅かな隙間にマシンをねじ込んだ。




