パドックのイケメン
ストロベリーナイツのピットにも、愛華の懐かしい友人が訪れていた。
「サーキット来たの久しぶりだけど、やっぱり生の迫力はスゲェーなぁ。テレビで観るのとは迫力が全然ちがうわ。やっぱスポーツは生で観るに限るよ」
紗季とはアメリカ大陸の反対側の東海岸からやって来た智佳である。アメリカでの大学生活は、ほとんどバスケットボール漬けだったので、レースを観るのは高校三年の時の日本GP以来だ。
レースには、ほぼ素人と言っていい智佳だが、愛華が手配してくれたパスでパドックに入るなり、いろんな人から声をかけられた。前に鈴鹿でのテレビ収録の時知り合った人たちが、今ではMotoGPの取材スタッフになっていて、しかも智佳のことを覚えてくれてたのには驚いた。YRCの(たぶん)偉い人からも声をかけられ、まわりの一般客や若いライダーから「何者?」という目で見られるのはさすがにちょっと恥ずかしかったが。
女の子としては背が高く目立っていたのもあるが、実は鈴鹿で初めてバイクに乗ったにも関わらず、フレデリカと息の合った走りを見せた智佳は、当時ヤマダのレース関係者も強い感心を持った。もちろんフレデリカが合わせてくれていたのだが、あのフレデリカが素人に合わせたという事実だけでも驚きの光景だった。智佳のセンスと可能性を見いだしたヤマダの伊藤社長とYRCの海老沢が、「彼女をMotoGPクラス初の女性ライダーに育てよう」などと冗談とも本気ともつかない会話を交わしていたなどとは、当然智佳は知らない。当時、愛華獲得に失敗したヤマダは、他ジャンルから才能の発掘、育成に意欲的で、智佳がバスケットボールでアメリカ留学をめざしていることまで調べていることからも、まるっきりの冗談だったとは言いきれないだろう。
智佳のバスケットボール選手としての評価(ヤマダのバスケットボールチームも欲しがっていた!)とライダーとしての可能性、またヤマダが必要に迫られていたのがMotoミニモで愛華に匹敵する日本人ライダーであったことからその話はそれ以上進まなかったが、一部のヤマダ関係者には強く印象に残っている。(バスケチームは今も狙っている)
そんな事情など露知らない智佳は、もしかしたら二輪レース好きで有名なバスケットボールの神様でも来てないかとのんきに捜してたらストロベリーナイツのスタッフに出くわし、愛華のパドックまで連れて来てもらっていた。
「あら?トモカさんじゃない?お久しぶりね。応援に来てくれたの?」
ストロベリーナイツのパドックに入って、愛華との再会を歓んでると、スターシアも智佳に気づき声をかけてくれた。
「お久しぶりです!こっちに留学してたんですけど忙しくて、なかなかレース観に来れませんでした」
「アメリカの大学バスケで大活躍してる話は、アイカちゃんからいつも聞いてますよ。そんな大選手が応援に駆けつけてくれるなんて、私たちも光栄ですわ」
自分のやってきたことに誇りを持っていても、そこまで言われると照れくさいを通り越して恥ずかしい。確かにアメリカの大学スポーツには、すぐにでもオリンピックやプロで活躍できるレベルの選手はゴロゴロいるが、ここは二輪レース最高峰の場だ。普通なら"大選手"とか"光栄"などと言われても社交辞令か、もしくは嫌味とすら感じてしまうだろう。しかしスターシアさんからは、そんな嫌味など微塵も感じさせない。そのかわりめちゃくちゃ顔が真っ赤になる。
「いえいえいえ、大選手なんてそんな、自分はなんとか試合に出てただけで、大選手って言うのはMJとかKBとかのスーパースターのことで」
智佳らしくない、ちぐはぐな返答をしてしまった。
「智佳、なに真っ赤になってるの?」
愛華に日本語で言われて「なってないし!」と強く否定するも、スターシアのいたずらっぽく微笑んだ顔を見るとますます赤くなる。
なんだか愛華は少し妬けてくる。
白百合の王子様と呼ばれた智佳をここまで動揺させるとは、恐るべしスターシアさん。
「ところで紗季はどうしたのかな?来てるはずなんだけど、まだ見てないんだよね」
愛華は、智佳の火照りを少しでも冷まそうと、紗季の話にふってみる。
「あ、紗季なら先にシャルロッタさんのところに挨拶行ってるみたい。愛華のあとだと、『どうしてあたしがあとなの!?』っていろいろ面倒なこと言いそうだから、まあ許してやってよ」
智佳はほっとしたように紗季の話題に乗ってきた。智佳も紗季とは、ここに着いてからまだ会っていないが、連絡は取り合っているらしい。
許すも許さないも、愛華には来てくれるだけでうれしい。だけどシャルロッタさんなら一番に会いに行かないと、確かに面倒そうだ。
智佳の顔はまだ赤い。
「智佳は行かなくてよかった?」
「わたしには愛華が一番さ」
スターシアにおだてられて真っ赤になって照れてたくせに!と思ったが、ちょっとだけうれしい。智佳がスターシアさんをチラ見してるのは気になるけど。
今の時代、離れて暮らしていてもSNSなどで一個人の活動はリアルタイムで知ることができる。それでもやはり、実際に会って話しするのは別次元だ。お互い積もる話に時間を忘れ夢中になった。
「アイカ、チームミーティングの前に打ち合わせをしたいのだが……ほう、めずらしい客人が来ているな。確かトモカくんだったか?」
愛華を呼びに来たエレーナも、智佳のことを覚えていた。
「お久しぶりです、エレーナさん!」
智佳は立ち上がって、エレーナにも明るく挨拶をする。
「ずいぶん立派になったじゃないか。ルーシーに負けないぐらいだ」
今や、かつて愛華のボディーガードの傍ら智佳にバスケのコーチをしていくれたルーシーに見劣りしないぐらい逞しくなった智佳の身体を眺め、高校時代より少しだけ背が高くなり、それ以上に筋骨が鍛えられてることを称えてくれる。
「ルーシーさんのおかげで、アメリカの学生選手たちにも当たり負けしませんでした」
「ルーシーが聞いたら喜ぶだろうな。彼女は若い頃、打倒USAに燃えていたそうだから」
ルーシーがバスケットボールロシア代表候補だったという話は愛華も聞いたことがある。どこまで本当かわからないが、智佳に言わせると十分その可能性はあるという。
「すまないが少し愛華を借りるぞ。ホスピタルブースにでも行って休んでいてくれ」
ワークスをはじめとする主要チームは、メーカーの偉い人やスポンサーなどのVIPをもてなすエリア、ホスピタルブースを設けている。特設だがちょっとしたレストラン並で、開催地やチームの特色ある食事メニューやドリンクは、一般のファンにとって一度は行ってみたい憧れの場所となっている。
エレーナは、智佳の首にぶら下げられているパスにサインをし、「これで入れる」と言ってくれた。
「ありがとうございます。でも、シャルちゃんにも会いたいし、ユカリの顔も見ときたいから、あちこちまわって来ます」
「そうか、またいつでも寄ってくれ。明日までいるのだろ?」
「もちろんです!アイカに苺ケーキ食べさせてもらうつもりですから。───じゃあ愛華、忙しいところ邪魔して悪かったね。観てるから頑張れよ」
「邪魔だなんて、ぜんぜんないよ。ミーティング終わったらわたしたちやることないからまた来て」
智佳は右手でOKを示し、颯爽と立ち去っていった。
「アイカ、苺ケーキ多めに用意しとかないとな」
「だあっ、トモカ、いっぱい食べそうですから」
愛華は勢いで答えるが、言ってしまってからその意味に気づいた。勿論優勝をめざしているが、今回もスタートグリッドはどのチームにもチャンスがある。前回同様、それ以上に激戦が予想される。正直自信なんてない。
だがしかし、いつだってそういうレースを戦ってきた。困難だからって最初から弱気になったらチャンスなんてまわって来ない。宣言してしまうことで逃げられなくなった。いや最初から挑むしかなかったんだ。
智佳に苺ケーキを食べさせてあげるために。




