タチアナの孤独
第2戦アメリカGPの舞台はテキサス州オースティンのCOTA(サーキット オブ ジ アメリカ)。
開幕戦で多くの予想を覆し、復活したフェリーニに執念の初優勝をもたらしたシャルロッタは、ここでもフリープラティスク初日から調子に乗り、早くも昨年の予選を上回るタイムを連発した。前戦リタイアに終わったフレデリカも、同じマシンで母国グランプリの意地を見せようと対抗する。
二人の半人半馬を横目に、ストロベリーナイツ、ブルーストライプスの両チームは、慎重に走り出した。それでも周回を重ね、セッティングが決まってくると昨年のベストタイムに迫るタイムを出してくる。
開幕戦を最終ラップにペナルティを課せられるという異例の処置でノーポイントに終わったバレンティーナも、静かに闘志を燃やしている。
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初日のフリープラティスクを終えたタチアナは、汗も拭かず革つなぎを着たままプリントアウトされたタイムリストをじっと見つめていた。
レース用の革つなぎは、バイクに跨がった形で型が作られている。怪我を防ぐという目的のために、硬く、ライディングフォーム以外の姿勢では息苦しさすら感じるほどだ。走行を終えて汗が染みた状態なら尚更だろう。本来ならすぐにでも脱いでしまいたいところだが、レーシングスーツは謂わばライダーの正装、機能性だけでなく見せるためのものでもある。表面にはスポンサーのロゴが貼ってある。スポンサーにとって、より多く自社のロゴを見せられるライダーは良いライダーとなる。
タチアナは、走っていない時もできるだけ長くレーシングスーツを着ているようにしていた。それだけスポンサーへの心証をよくしたい。スポンサーは時にチーム監督以上にライダー抜擢の権限を持つ。だが今、彼女が革つなぎを着替えない理由はそれだけではない、スポンサーへの気づかいも忘れるほど、感情が昂っていた。
タチアナのベストタイムは、全ライダー中5番手タイム。上位陣は予選までにまだまだタイムを詰めてくるだろうが、タチアナも詰められる。初日としては悪くない発進だ。しかしタチアナの顔には、苛つきの表情が浮かんでいた。
午後のフリープラティスクのタイムリストには、タチアナの名前のすぐ上にAika.Kawaiの名前が記されている。その差は0.14秒。まだ本格的なタイムアタックに入っていない段階では、ほとんど気にする必要のない差ではある。
だが、午前のタイムも愛華に負けていた。それだけじゃない。開幕戦のアルゼンチンGP予選でのマシントラブル以来、決勝も翌日行われた合同テストでも、ツェツィーリアでのチームテストでも、いつも愛華が上回っていた。それも実力に差があるとは言えないほどほんの僅かだけ……。
マシンは同じ、条件も同じ。はじめはメカニックのユリアが手を抜いているのかもとも疑った。
しかし走行中のデータを見る限り、回転の伸びも出力も差は見られなかった。むしろピークパワーはタチアナのマシンの方が出ているぐらいだ。
もっと大きな差があるならタチアナも割りきれる。自分はまだ100パーセント本気で攻めていない。しかし愛華も100パーセントではないはずだ。そしてタチアナがペースをあげても、必ず愛華は上にいた。しかもほんの少しだけ……。
まるで意図的にやっているとしか思えなかった。しかし狙ってそんなことができるのだろうか?歴然とした差があるならともかく、同じマシン、同じ条件で同じ時間枠の中であっても一緒には走ってはいない。タチアナのタイムも知らされていないはずの中で、セッティングを変えてもタイヤを変えても、必ず愛華が少しだけ上回ってくる。
「よーい、ドン」で同時にスタートするのでなく、一人ずつスタートしてタイムを競う競技をしてる者なら身に覚えがある者もいるだろう。たまに圧倒的な差があるわけでもないのに、何度やっても負ける相手が現れることがある。練習でも本番でも、届きそうで届かない。それがたとえ優勝を争うようなレベルでなく、他人から見ればどうでもいいことであっても、当人には悔しくて堪らない。ましてや開幕前は、タチアナの方がいいタイムを連発していたのだ。一部でエース交代との声もあがっていたぐらいなので、苛立ちも一入だ。
(どうして?アイカが急に速くなったとは思えない。私が遅くなったなんて、もっとあり得ない。他のライダーと比べても変わってないはず)
タチアナは、客観的に見て自分と愛華の実力は同じレベルだと考えていた。強いて言うならテクニックではやや自分の方が上。ワークススミホーイの扱いと体重の軽さは愛華が有利。
他人がどう判断するかは別として、タチアナの見積りはそれほど外れてはいない。少なくともラップタイムでいつも必ず負けるというほどの相手ではない。愛華がタチアナを意識して、少しだけ速いタイムで走っているというのも現実的でない。なにか人の力の及ばない意思が働いているようにしか思えなかった。レースには実力だけでなく、運が結果を左右する。愛華にはレースの神にも愛されているのか?
(いいわ。たとえあいつに神が味方していても私は負けない。私はレースに処女を捧げたのよ。悪魔とだって契約してやる)
これまでタチアナは、ライバルたちから「スポンサーに媚びてる」「色仕掛けでGPのシートを手に入れた」と陰口を囁かれてきた。しかしタチアナには、そんな声を払拭する実力があった。レース結果で黙らせてきた。運さえも自分の力でねじ曲げてきたと自負していた。だからこそ、誰からも愛され、幸運まで味方にしている愛華には、絶対に負けたくなかった。




