強くなりたい
エレーナは、今でもサーキット周辺をランニングすることを日課としていた。現役でなくても、身体は朝から動くことを求めている。ハードなトレーニングはできないが、筋肉をほぐしながら30分ほどのウォーキング+ランニングと軽い運動は欠かせなくなっていた。
その日も、前日にアメリカGPの開催されるテキサス州オースティンのCOTA(サーキット オブ ジ アメリカ)に入ったエレーナは、早朝からいつも通りストレッチしながら歩いていた。
そんな静かな一時を、スターシアの慌てた声が割り込んできた。
「エレーナさん!!またアイカちゃんに変なこと教えたんですか!?」
スターシアは愛華と共に朝トレをしてるはずだ。しかしスターシアだけが息を切らせて駆け寄ってくる。
「どうした?アイカになにかあったのか?変なこととは、一体なにを言ってるのかわからないのだが?」
「トレーニングのことです!あんなこと教えるのは、エレーナさんしかいません!」
愛華に強制的につき合わされる朝のトレーニングも、最近はスターシアも習慣になっている。朝だって起きられるようになった。だがなんとか身体が起きられるようになると、さらにきついメニューを用意され、それにも慣れるとさらに強い運動と、今ではスターシアもすっかりアスリートのような生活になってしまった。(ようなでなく、れっきとしたアスリートなのだが。それも世界トップクラスの!)
愛華が新しいトレーニングを始める時、大抵エレーナに相談する。エレーナが何度も選手生命を危ぶむ大怪我をしながらも、長く現役を続けられたのも、たゆまぬフィジカルトレーニングのおかげだ。愛華だけでなくスターシアもその点は承知し尊敬している。
当然スターシアは、愛華に新たなトレーニング法を教えたのはエレーナだと思ったらしい。
「私はなにも知らんぞ。だから一体なにをしてるんだ?」
エレーナの口ぶりは、惚けてるのでなく、本当に知らない様子だった。
「とにかく口で説明するより見てもらった方が早いです。まだやってるはずですから早く来てください」
スターシアに連れられて、まだ人気のないメインスタンド正面入口付近に行くと、愛華が一心不乱に身体を動かしていた。
左右の拳を交互に突き出すような動き。そして脚を高々と上げて回し、続けて反対の脚を後ろから回し上げる。
どうやら空手の型稽古の真似事をしてるらしい。本格的な武道をしてる者から見れば、映画かなにかのアクションシーンを真似ただけの体重も乗ってない形だけのパンチやキックだが、運動神経の良さと柔軟性の高さからそれなりに様になってる。少し工夫すれば、映画ぐらいなら通用するだろう。
「スターシアのためにプリキュラの真似してるようだが、まあエクササイズとしてはなかなかいいんじゃないか?」
「なに言ってるんですか!?あれは格闘技です!アイカちゃんがエレーナさんみたいに暴力的になったらどうするんですか?やめさせてください!」
おそらく次はスターシアにもやるように言ってくるだろう。そしてスパーリング相手までさせられるかも知れない。なにより可愛い愛華ちゃんが、エレーナのような暴力女になったらスターシアには耐えられない。
エレーナは愛華に歩み寄っていった。スターシアは当然愚かなトレーニング法を止めてくれるものと思った。
「あっ、エレーナさん、おはようございます!」
愛華が気づいて、体を動かすのを止めて挨拶をする。
「おはよう、アイカ。かまわないから続けろ」
「だあっ!」
エレーナに促されて、愛華は再び拳を突き出す。やはり空手の正拳突きっぽい。
「もっと下半身の力を使って、腰の回転力を肩に伝えるように!ナックルに力を込めるのはインパクトの瞬間だけだ」
「だあっ!」
エレーナも空手を修得してるわけではないが、ソ連時代は軍所属だ。普通一般の兵士ではないが、軍人としての基礎訓練は受けている。中でも格闘術は性格からか率先して取り組んでいた。後に何度も役に立っている。
「なに教えてるんですかッ!?」
止めると思ったのに逆に教えているのを見て、スターシアが慌てて割り込んだ。
「なに?って、どうせするなら使える技術をだな」
「使えなくていいです!アイカちゃんは可愛いのが武器ですから!」
「可愛いくても強い方がいいぞ。いや可愛いからこそ、自分の身を守れるぐらいじゃないといかん」
「必要ありません!もしもの時は、私がアイカちゃんを守ります!」
実はスターシアも、護身術はなかなかの腕前だったりするのだが、ごく一部の者しか知らない。
「そのスターシアから身を守るためにも、強くならなくてはならんだろ?」
「エレーナさんじゃあるまいし、私は力づくで襲ったりなんてしません!」
「そうだな、スターシアはお色気でかどわかすのだったな」
「そんなことしません!」
エレーナとスターシアのこういうやり取りは、愛華も最初の頃は戸惑ったが、もう当たり前の光景となっていた。ただチームの人以外にはあまり見られたくはない。
「ところでアイカ、どうして武術などやろうと思った?プリキュラの真似にしては真剣そうに見えたが」
「そうです!変身とか必殺技の練習なら歓んでおつきあいしますが、叩いたり蹴ったりの暴力的なのはダメです!アイカちゃんには似合いません!」
「必殺技は暴力的でないのか?」
「プリキュラの必殺技は暴力ではありません。みんなの魂を救うための技です」
エレーナの突っ込みに平然とスターシアは答えるが、エレーナにはよくわからない。
「そんなことより、どうしてカラテの真似なんて始めたのですか?私も気になります」
「……わたし、強くなりたいんです。エレーナさんみたいに……」
スターシアにも問われて、愛華はぼつりとつぶやいた。
「アイカちゃんが今でも(不本意ながら)エレーナさんに憧れてるのは知ってますが、暴力的なところまで真似することありません」
「私のようになりたいというのは理解できるが、どうして格闘技だ?なにか思うところがあるのだろう?まあ、おまえは筋がいいから覚えも早いだろうが、付け焼き刃は怪我の元となりかねん。目的を訊かせてくれないか?」
「…………」
愛華はなにか言ようとしたが、声にはできなかった。




