智佳の野望
ジャンプして投げ放たれたボールは、きれいな放物線を描き、夕陽を浴びて輝くリングに触れることなく吸い込まれた。
智佳の耳に、コンクリートにボールが弾む音だけが聞こえる。
「ここでシュート練習するのも、もうないかな……」
ニューヨークの隣、ニュージャージー州にある大学に留学して以来、ほとんど毎日寮横の屋外にあるバスケットゴールにボールを投げ入れてきた。
希望に胸膨らませ、初めて寮にやってきた日から、アメリカの大学のレベルの高さに落ち込んだ日も、初めて試合に出してもらえた日も、ここでシュート練習をした。チームメイトと喧嘩した時も、試合に出られない時も、ここで一人練習をしていた。
そして来月、大学を卒業して日本に帰る。
智佳は、チームの司令塔として全米大学トーナメント《NCAA》でも活躍した。これは凄いことだ。智佳も誇りに思う。WNBA(アメリカの女子プロバスケットボールリーグ)のチームから指名の話もあった。しかし智佳は、日本のWリーグを選んだ。
WNBAのチームから指名されるのは嬉しかった。しかし同時に、アメリカでプレーする限界も感じていた。
WNBAは、アメリカ中、世界中からスター選手が集まる。特に智佳のポジションのポイントガードは花形だ。智佳に指名の話を持ってきたチームにも、アメリカを代表するポイントガードのスター選手がいる。控えの選手も強豪国の代表候補だ。そんな中へ大学で少し活躍したぐらいの智佳が入っても、試合に出られる機会すら少ないだろう。
限界を感じたと言っても、バスケットボール選手としての限界ではない。智佳はまだまだ自分は進化できると信じている。もっともっとバスケットをプレーしたい、上手くなりたい。
中学の頃、体操をやっていた親友と誓った目標がある。
それぞれの競技でオリンピックに出場する。
親友は怪我で体操はやめたけど別の道に進み、ほとんど実現したと言っていい。智佳も約束を果たさなければならない。
WNBAのプレーヤーになることは、日本代表に一歩近づくことでもあるが、試合に出られないでは代表に選ばれるどころではない。
今の日本代表チームには勢いがある。それはWリーグのレベルが高くなってる証だ。
世界最高のプレーヤーが集まるWNBAも魅力的だが、そこでベンチを暖めるより、活気ある日本で経験を積みたい。WNBAへの挑戦は、日本でプレーして代表に選ばれ、世界選手権やオリンピックで活躍して知名度をあげてからでも遅くない。
高い目標をめざすなら、遠回りでも思い切り走れる道を選べ。
智佳より先にそれを証明したのが、親友の後輩(智佳の後輩でもある)の由加理だった。
愛華のあとを追いかけてレースの世界まで行ったのは驚いたけど、根性あったからなぁ……
由加理が何度も日本チャンピオンになっても世界に行かせてもらえないと言ってた頃、自分ならスポンサー集めて走らせてくれるチームさがすのに、と思ったこともあった。だが由加理はじっと耐え、着実に経験を積んだ。
結果的にそれが正解だったのだろう。先週のアルゼンチンGPで愛華を抑えて二位になったのは、うれしくもあり、悔しくもあった。
「愛華を負かしたのはいいけど、なんか私より先に行ってるみたいで悔しいんだよね。テキサスまでめちゃくちゃ遠いけど、一度顔見に行かなくちゃね」
智佳は日本に帰る前に、来週行われるアメリカGPをどうしても観に行きたくなった。
インディーでMotoGPが行われていた頃は毎年観に行けると思っていたが、智佳がアメリカに来た年からインディーGPは行われなくなった。もっとも、行われていたとしても、毎週練習や試合がある智佳には行ってる暇なんてなかっただろうが。年末年始も帰っていない。
愛華に会うのも久しぶりだ。メールでならいつもやり取りしてるけど、愛華を困らせているチームメイトというのがどんなやつか、この目で確かめてやらないと。生意気なチームメイトの扱いなら自信があるよ。トレーナーとコーチの資格もあるんだぜ。大学でバスケだけしてたんじゃないから。
そういえば、紗季も絶対来るはずだよね。まったく、私が帰る年にアメリカ来るなんて、避けてるのか?まあ、彼女はカルフォルニア、私はニュージャージーだから、気楽に会える距離じゃないけど、優等生のお嬢様に先輩顔してやりたかったな。
もしかして由美も来るのかな?アルゼンチンGPの時は、マネージャーみたいな顔してシャルちゃんのピットで映ってたけど、彼女何してんだろ?絶対仕事だけじゃないよね?
智佳は、高校時代から由美を苦手としていた。嫌ってるわけではないが、どこか対照的な二人はなにかと比較された。
大財閥創業者一族のお嬢様とスポーツ特待生のバスケバカ。おもしろい組み合わせだが合うはずがない。なのに不思議と縁が切れない。
智佳が希望してるWリーグのチームは、愛知フォーリーフス。Wリーグの強豪で日本代表のキャプテンもいる。バスケ以外常識知らずの智佳は、その四つ葉のクローバーのマークを意外なところで目にして驚いた。アルゼンチンGPでシャルロッタの乗っていたフェリーニLMSに、大きく描かれていたのだ。
愛知フォーリーフスって、四葉石油のチームだったんだ!
そんなことも知らないで入団したいなんてよく言えたものだが、ビジネスとか石油会社なんかに興味などなかったバスケバカだから仕方ない。それでも四葉石油が四葉グループなのはバカでもわかる。
愛知フォーリーフスに入ったら、由美の下に入るってこと?いや、待て待て、由美のいるのは四葉スポーツ。同じ四葉グループって言ったって、四葉石油は四葉スポーツとは比べ物にならない大企業だぞ。いくら由美でもそこまで口出せないでしょ!?でもどうしてシャルさんのスポンサーしてる?スポーツ関係の宣伝広告活動には、けっこう力あるのかも?
普通なら同窓生の立場を最大限利用したいところだが、そこは智佳、高校時代から王子様、お蝶夫人と張り合っていた由美に頭を下げるなど許されない。本人以外誰も気にしないし、社会的には由美の方が上なのは智佳もわかっているが、プライドが許さない。コネで入ったと言われるのも我慢できない。
まあコネについては実力で証明できる自信あるし、一般のバスケファンには経営者より選手の方が上だから、活躍すればプライドも満たされるだろう。だけど由美の思惑通りになるみたいで面白くない。
もし由美がバスケチームにも関わっているのなら「あなたが必要だから、フォーリーフスに来てください」ぐらい言わせてやりたい。
智佳はテキサス行きの飛行機チケットを、ウキウキしながら予約した。




