ファイナルラップ
ファイナルラップを迎えてバレンティーナにピットスルーペナルティの提示が出された。
ラストラップでピットスルーペナルティとは、極めて珍しいことだ。バレンティーナは2周以内にピットロードを通過しなくてはならないが、レースはあと1周。ピットロードに入れば表彰台すら絶望的となる。
誰もがバレンティーナはそのまま走り続けると思った。その場合タイムペナルティ(フィニッシュ後にタイムを加算。この場合おそらくフィニッシュタイムに1分程度加算したタイムが公式なフィニッシュタイムとなる)の処置がとられるだろう。バレンティーナはレース後にペナルティに対して異議を申し立てるだろう。今回はバレンティーナにも正当性はある。少なくともバレンティーナ本人はそう思っているだろう。
バレンティーナがストレートでシャルロッタをかわして、そのままゴールしたなら、抗議が認められれば優勝はバレンティーナのものとなる。認められなくても、ピットロードに入るより多少順位が下がるだけだ。最悪、失格も考えられなくはないが、上位入賞以外、バレンティーナにとっては同じようなものだ。
シャルロッタを前に、僅かに遅れてバレンティーナの順でメインストレートをトップグループが加速してくる。
シャルロッタは、最終コーナーを小さく曲がった上に、タイヤの消耗でフェリーニLMSの爆発的パワーが存分に発揮できてない。
タイヤの消耗はバレンティーナにも言えたが、最終コーナーを大きく曲がってスピードを保っていた分、伸びている。ストレートエンドでは前に出られるだろう。
コントロールライン(フィニッシュライン)手前で並びかけるが、突然バレンティーナはスロットルを握る右手の力を緩めた。
会場が騒然となった。後ろを走っていた愛華たちさえ、マシントラブルかと思った。
一周回ってピットロードに入るにしても、そのままゴールでチェッカーを受けるにしても、少しでも前にいたいはずだ。自分の意思で下がるとは考えられなかった。
「あたしに勝てないとわかって、またバイクのせいにしようとしてんでしょ!」
シャルロッタは、少しちがう見方をしていたが、それも当たっていない。
勝てないとわかったのは事実だが、シャルロッタにではない。バレンティーナはシャルロッタに勝ったと思っていた。だがもう、走る力が残っていなかった。
あと一周、愛華やラニーニたちと競争する体力はもう残っていない。タイヤも限界だ。シャルロッタとのバトルで気力も体力もタイヤも使い果たした。ペナルティがなければ、あるいは最後の力を振り絞れたかも知れない。だがゴールしたあと、オフィシャルに抗議したり、煩わしいアンチファンの批判に晒されるのも面倒になった。
「ボクはシャルに勝った。それだけで十分さ。レース結果なんてもうどうでもいい。燃え尽きたよ……」
まるで伝説的アニメの最終回のもようなセリフをつぶやき、ゆっくりと1コーナーへ向かった。
もしシャルロッタが聞いたら、戻ってきて尻を蹴飛ばしてでももう一度走らせようとしただろう。
幸いシャルロッタには、バレンティーナのつぶやきは聞こえなかったし、髪も白くなっていない。彼女のめざすものは、バレンティーナに勝つことではなく、レースに勝つことだ。まだレースは終わっていない。
フェリーニLMSの暴力的パワーを、路面を掴むコンパンドの大半を失ったタイヤをなだめ走るシャルロッタに、愛華とスターシア、ラニーニとナオミと由加理が襲いかかる。
スターシアとラニーニが同時にシャルロッタのインに飛び込む。しかし二台も入るスペースはない。
二人は接触しそうになり、どちらも減速を強いられた。
かろうじてトップを守ったシャルロッタが、先に1コーナーを抜ける。
「くっ、どうやら、あたしも本気出さなくちゃいけないみたいね……」
今さら本気出すもないが、シャルロッタもバレンティーナ以上に疲れきっていた。彼女の気力を支えているのは、中二病の設定になりきるだけしかない。
2コーナーが迫る。今度はラニーニだけが出てきた。ラニーニはここでもインをさして来るだろう。何年もタイトルを争ってきたライバルだ。ラニーニの狙いは手にとるようにわかる。そして愛華のことは、本人以上にわかっている!
シャルロッタはインぎりぎりに寄せて、ゼブラの縁にタイヤを引っ掻けるようにして曲がる。
行き場を塞がれたラニーニは、急遽シャルロッタの外側に狙いを変える。そこでクロスラインを狙ってきたスターシアと再びニアミス。両者が膨らんだ後ろから、愛華が飛び出してくる。
「やっぱり来たわね!でもあんたの動きは最初からわかってたから!」
シャルロッタはスロットルを捻って加速する。
しかし、シャルロッタの意思よりラインは膨らんだ。どんなに踏ん張ってもタイヤが路面を掴めない。
コース中央で愛華と接触。おかげでスライドは収まったが、シャルロッタも愛華も一瞬フラついた。
スターシアもラニーニたちも、間近で見ていたが動けなかった。間近だからこそ動けない。傍目には少し肩が触れた程度にしか見えなかっただろうが、間近だとけっこう強く当たったのが見えた。バランスを崩した二台の横をすり抜けるなど、自殺行為だ。
どちらも走行妨害をアピールすることなく、すぐにカウルに伏せた。
「痛~、今のは効いたわぁ。ダメージ4ってところかしら。でも勝てるなんて思わないことね。あたしはまだ100%の本気は出していないんだから!」
とっくに120%の力を出している。そう思わないとやってられない。ゴールまでまだ三分のニ周も残っている。
そこから3、4とだんだんRの大きくなっていくコーナーを経て、長いバックストレートにつながる。
シャルロッタは3コーナーで愛華、そしてラニーニに並ばれる。このタイヤではマシンが起きるまで耐えるしかない。4コーナーでも滑るタイヤを感じながら慎重にスロットルを開けてなんとか粘った。
あまりホイールスピンさせると残り少ないタイヤが一気に終わる。
タイヤはもうボロボロだが、エンジンは気持ちよく回っている。出口が近づくに従い、マシンを起こし大きく開けていく。
バックストレートに入ると、フェリーニLMSがぐんと前に出た。
観客が大いに沸く。シャルロッタはカウルに伏せ、つかの間の休息に大きく息を吸い込んだ。
トップスピードからのフルブレーキング勝負を挑んでくるのは誰か?
(度胸ならアイカ。でも怖いのはスターシアお姉様ね。ラニーニとナオミも侮れないけど)
要するに今の状況では、誰が来ても勝てる気がしない。ここを通過してやっと残り半周だ。
「ちょっと厳しい戦いになるみたいね」
ほとんど勝ち目はないと言える。だが絶対絶命のピンチを切り抜け最後に勝ってこそ、GP史に残るチェンタウロ復活劇だ。シャルロッタは萎えそうになる気持ちを中二病発想で無理やり奮い起たせる。
愛華とラニーニは、ここまでのシャルロッタの戦いぶりを敬しながらも、最終的には自分たちの勝負になると思った。
たった一人でここまでトップを守り抜いたシャルロッタに対して、尊敬と畏怖の念を抱かずにいられないが、優勝を譲ってあげるわけにはいかない。もしそんなことしたら、誰よりもシャルロッタが怒るだろう。
このサーキットの最高速を記録するバックストレートから最もタイトな5コーナーへ。
シャルロッタのスリップストリームから、スターシアが出て右側に並ぶ。反対側にはナオミが並んでくる。
ブレーキング競争は根性より冷静さだ。やはりクールな正確さを持つ二人が出てきた。
横一列に三台が並ぶ。スターシアの後ろに愛華、ナオミの後ろにはラニーニと由加理がつく。
一番早く減速したのはシャルロッタだった。
ここで意地張っても、ゴールはまだ先。
以前のシャルロッタなら、どんなことあっても退いたりしなかっただろうが、四年連続チャンピオンの経験は、冷静さというより女王の余裕を与えたようだ。
すり減ったタイヤのシャルロッタのブレーキングポイントは的確だった。その瞬間、集団の一番後ろまで下がるも、現状できる最小限の遅れに留めるアプローチでコーナーに入る。
一方、スターシアとナオミは、それぞれのエースに優位なポジションへと送り込むために、ぎりぎりの勝負を続ける。
外側のナオミは早くクリップに寄せたかったが、内側にスターシアがいるため入れない。インに寄るにはスターシアの前に出るか、愛華の後ろまで下がるしかない。ナオミはスターシアの前に挑んだ。
スターシアがフルブレーキング。同時にナオミもフルブレーキングする。
二台が並んでインにマシンを向ける。
内側のスターシアの方がコーナーリング半径が小さくなるので曲がるのがきつい。一方外側はコーナーを大きく使える反面、スピードを高く維持する必要がある。インを押さえられてる以上、スターシアより速くコーナーを抜けなくてはならない。
並んでコーナーの頂点を通過する。スムーズに走らせているように見えるスターシアも、小刻みにリアが振れているのがわかる。
無理はしてなくても、ラストラップともなればタイヤは良好な状態とはいかない。シャルロッタよりマシというレベルで、長く激しいレースを走ってきたタイヤは本来のグリップ力は望むべくもない。ナオミのタイヤも、一瞬でも気を抜いたらズルッといきそうだ。
少しでも横Gを減らそうと、スターシアが膨らんでくる。旋回から立ち上がりに入っても、並んだまま慎重にスロットルを開ける。両者ともスピードが上がるほど膨らみ、ナオミは外側ゼブラまで押しやられた。
ナオミは一歩も退かず、そのまま走り続ける。スターシアは次の左高速コーナーに備え、少し中央に寄せるが、ナオミはゼブラの端まで使い、一瞬土煙をあげてコースに戻る。だがスターシアほど中央まで持っていかない。インベタで高速5コーナーに入る。
後ろには、それぞれ愛華とラニーニ由加理がぴったりついて行く。シャルロッタもなんとか愛華の後ろにへばりついている。
インベタを走ってきたナオミが僅かにリードして7コーナーに差し掛かる。
(さっきは押されたけど、今はわたしの方が前にいる。5コーナーよりRはきついけど、あそこほど回り込んでいない。出口に行くほど広くなるから、加速が有利な外側なら勝てる!)
ナオミは5コーナーと並ぶパッシングポイントであるここで勝負をつけようと、再びブレーキング競争を挑んだ。




