競技者としての気構え
イエローフラッグ区間が終わると、即座にバレンティーナはスパートした。といってもイエローフラッグ区間も、かなりのペースで通過していたのだが。
バレンティーナと同時に飛び出したのがシャルロッタ。愛華、スターシアをはじめ、ランキング上位常連のトップライダーたちも、目標をバレンティーナに定め、一斉に動き出す。
「あんたね、いつもいつも卑怯な手使って、そんなセコい真似しないと勝てないの!」
シャルロッタは、単にトップを奪うと言うより、バレンティーナを撃墜しようかという勢いで猛烈にプッシュする。
バレンティーナの名誉のために言っておくが、いつも卑怯な手使うというのは言い過ぎだ。確かに過去何度かフェアプレーとは言い難い行為をしているが、実力でもぎ取った勝ち星も少なくない。むしろスポーツマンシップを見失ったレースに限って、アンチバレンティーナファンが溜飲を下げる結果になっている方が多いので、そんな悪役キャラのイメージが根づいてしまってはいるが。
今回の場合、バレンティーナにも言い分がある。すっきりしない形であっても、あの場面での追い越しが違反にあたるかは微妙なところだ。愛華とスターシアもアピールせず、判定は競技委員に委ねている。ある意味シャルロッタも、ルール違反にはあたらないから実力で懲らしめてやろうとしてるともとれる。
一連の是非はともかく、ゴールに向けた残り2周半のバトルがより苛烈に再開された。
我先に前に行こうとするトップグループの中で、それまで先頭だった由加理だけが呆然としていた。
(今の、イエローフラッグ出てたのに……)
自分は黄旗を見て減速した。危険があるから旗が振られてたのに、バレンティーナは追い越してそのまま走り続けている。明らかなルール違反のはず。どうして誰もアピールしないの?
「なにしてるの、ユカリちゃん!」
ラニーニが追い抜きながら叱咤した。
「でも、今のバレンティーナさんの追い越しは反則です!抗議しないと」
「そんなのみんな見てるから!ジャッジを下すのは競技長。レースは止まってないんだから、しっかりして!」
由加理は、ラニーニに言われてハッとした。
ラニーニさんの言う通りだった。およそどんな競技でも、審判が止めない限りゲームは続いているというのが原則だ。
モータースポーツでは、続行が危険な状況以外レースが止められる事はほとんどない。今バレンティーナの違反行為をアピールしても、仮にそれが認められたとしてもバレンティーナにペナルティが課せられるだけで、由加理がトップに戻れるわけではない。
(みんなそれがわかってるから、わたしと同じように追い越された愛華先輩もスターシアさんも、シャルロッタさんさえもアピールよりレースを優先してるんだ。そんな当たり前のこと忘れてるなんて、もおぅ、わたしのバカ!)
自分の甘さを思い知った。そして日本でチャンピオンになっても、YRCがなかなかGPチーム加入を認めてくれなかった理由が少しわかった気がした。確かにこんな甘い自分では、膨大な資金の掛かるワークスのシートを任せられないだろう。
(それでも無理言って乗せてもらってるんだから、こんなんじゃ「それ見たことか」って言われちゃう。だけどまだレースは終わってない!)
「ラニーニさん!今度こそわたしがラニーニさんをトップまで引っ張って行きます!」
由加理の本当のGPは、ここからだ。
『2lap to Go』(残り2周)の表示が出されたメインストレートで、最終コーナーから愛華とスターシアをかわして加速してきたフレデリカのマシンが急にエンジンの鼓動を止めた。
マシントラブルかガス欠かは不明だが、フレデリカは惰性でピット前を通り過ぎ、ピット出口のところでマシンを停めた。駆けつけたメカニックにマシンを委ねると歩いて自分のピットに戻って行く。
これでトップグループを争うのは7人となった。
「みんな血相変えて追ってきてるよ。やっぱりボクのこと妬んでるのかな?人気者はつらいよ」
見当外れな自惚れをつぶやき強がっていても、バレンティーナは薄氷の上を走っているような気分だった。
いつ割れて冷たい氷の下に落ちるか、そのまま走り抜けられるか?自分ではどうしようもないものに賭けるギャンブルだ。
競技長が、あの追い越しをイエローフラッグ区間と取るか、その手前だったと取るか。追い越した時点でバレンティーナがフラッグに気づけなかったのは、おそらく認められるだろう。その時点で追い越しに入っていたし、特に危険な状況に陥ることもなかった。さすがにあとで失格はないだろう。あるとしたらゴールまでに何らかのペナルティ、たぶんピットスルー(ピットロードに入って制限速度で通過する)ペナルティあたりが妥当か。
しかし、ピットスルーペナルティの掲示があるとしたら最終ラップに入る次の周のストレート、それに従うならチェッカーはピットロードで受けることになる。つまり提示がなされた時点で優勝は勿論、表彰台すらなくなる。従わなければもっと重いペナルティが課せられる。
今からでも、自主的に元の順位まで下がれば見逃してもらえるかも知れない。だが、そこからアシストのいないバレンティーナが巻き返すのはほぼ不可能。今さらいい子ぶっても仕方ない。僅かでも優勝の可能性に賭けた。
バレンティーナの優勝を阻む要因はそれだけではない。たった2周とはいえ、孤立無援の状況で襲いかかる強敵たちから逃げ切れるか?
ここでもバレンティーナは賭けをしていた。
シャルロッタとフレデリカの乗るLMSは、パワーは半端ないが信頼性に欠け、燃費も悪くタイヤへの負担も大きい。序盤からあれだけ攻めてきたのだから、もう限界がきてるはずだ。スミホーイのスターシアもそろそろ燃料切れする頃だろう。
もちろん、それはこれまでの経験をもとにした予想に過ぎず、裏づけるものは何もない。シャルロッタならなんとか走りきれるかも知れない。今季のニューマシンがそのあたり改良されていたら終わりだ。
だがしかし、彼女たちとくらべセーブしてきた自分のマシンさえもヤバくなってきてるんだから、シャルロッタのマシンならもっとヤバいはずだ。もう少し無茶させれば、絶対終わるはず……
バレンティーナにとっても大きなリスクである。たった一人で、頭のネジがとんでる天才二人と(この時フレデリカのエンジンは止まっていたのだが、バレンティーナはまだ知らない)、最高のアシストにサポートされる疫病神に、最新鋭のヤマダに乗る三人から逃げ切るのは、万全であっても至難だろう。マシンだけでなく体力も限界に近い。そもそも黄旗無視とされたら全て水の泡となる。
それでもバレンティーナは、気力を振り絞り、持てるテクニックの全てを駆使してトップを死守し続けた。
厳しいのはみんな同じさ。シャルロッタの方がもっと厳しいはず。このボクがあいつより先にギブアップするなんて、絶対あり得ないから。
蛇行する後輪をコントロールしながらコーナーに進入するバレンティーナの内側に、シャルロッタが際どいラインで飛び込んでくる。
バレンティーナの望みに応えるように、シャルロッタも最期の力をぶつけてきてくれた。




