大女王と新人
レースは終盤に入り、先頭グループは4チーム8人のライダーが入り乱れ、栄光めざした混戦を激化させていた。
ここまでレースを引っ張り、現在も首位争いの中心にいるシャルロッタ、フレデリカ、バレンティーナの三人だが、ここ数周、愛華、ラニーニたちに攻め込まれる場面が増えていた。
シャルロッタにとってこの開幕戦は、絶対に勝ちたいレースだった。
かつて失われた半身、フェリーニのバイクによって世界を制す。
それは亡き祖父の夢であり、シャルロッタの悲願でもある。
シャルロッタが子どもの頃レース活動を休止したフェリーニMC。それをシャルロッタ自身によって復活させてこそ、彼女は完全な半身半馬となり、真の大女王となる。このレースはフェリーニの復活を知らしめる第一歩だ。
"上々の結果"などという生易しい評価は許されない。世界中のレースファン、バイクメーカーに衝撃を与えてやる。特にトエニの奴らを戦慄させなくてはならない。
魔王の復活とはそういうものだ。
この件に関してシャルロッタの中二病的思考は、信念と呼べるまで成長していた。かつてのように飽きっぽく、苦しくなったら都合のいい理由をつけて背を向ける態度は(かつてほど)ない。
(それにしても、アイカとスターシアお姉様のアタックは嫌なところ突いてくるわね)
昨シーズンまでチームメイトとしてもどかしく思うこともあった愛華だが、敵にすれば本当に嫌なところに入ってくる。実のところ、二人とも本気で勝負したいと思った数少ないライダーとして実力は認めていたが、シャルロッタの走りを知り尽くしているだけに実力以上に手強い。その上、ラニーニ、ナオミ、由加理のブルーストライプスまで加わって、そつなく的確に攻めてくる。
(ユカリなんて、初めて会ったときは産まれたばかりの子鹿のように脚ぷるぷる震わせて、よたよたバイクに乗ってたのに。今じゃいっぱしのライダーね)
由加理のことは、もう何年も前のオフシーズンに愛華の家に遊びに行った頃から知っている。愛華の体操部後輩というだけに運動神経は良さそうだったが、バイクはまったくの初心者だった。
(それが僅か数年で、魔界の大女王シャルロッタ様を苦しめる勇者に名を連ねるなんて……べつに苦しめられてなんていないけど)
愛華の友だちはみんな好きだったが、シャルロッタの凄さがわかってる由加理は特に気に入っていた。鈴鹿レーシングスクールに入ったと聞いた時は、将来下僕にしてあげると勧誘したぐらいだ。
まあ子分が欲しかっただけだったが、今思えばシャルロッタの才能を見る眼は正しかったと言える。あれからたった数年で世界のトップグループを走るまでになった。
テクニックはそれなりなものの、レースにおいてはまだまだ未熟。それでも通じるのは、高い身体能力と徹底的に叩き込まれた基本とチームメイトへの信頼。それを愚直に信じて突っ走る真っ直ぐな姿は、まるでデビュー当時の愛華を見てるようだ。
(もしかしたら、日本にもチェンタウロみたいな種族でもいるの?早いとこ下僕契約交わしておけばよかったわ)
合理的に攻めてくる2チーム5人+バレンティーナに対して、シャルロッタの味方は連携のないフレデリカだけ。そのフレデリカにしても同じチームでありながら、互いに勝ちを譲ろうとしていないので味方とは呼べないだろう。もっとも、予想できないフレデリカの動きによって、愛華たちが攻めきれていないのも事実である。
だがやっぱりシャルロッタとしては、一人ぐらい有能で文句も言わず、面倒なこと引き受けてくれる程度には頼れる下僕は欲しい。
由加理は、初めて体験するGPトップライダーたちの本気バトルに圧倒されながらも、必死について行っていた。
スポット参戦した日本GPでは、トップから離れたところでの順位争いだった。それとは密度と質が違う。ましてや合同テストや練習走行で時々起こる予定調和の模擬レースとはまったく違う。カウルが、タイヤが、身体が触れ合うほどの激烈なバトル。
もし誰かにぶつけられたら、確実に転倒する。
もし自分がミスすれば、確実に誰かを巻き込む。
そんな危険な競い合いをしながら、誰も躊躇することなく、あたりまえのように繰り返している。端から見れば譲らないぶつかり合いに見えても、互いに信じ合ってなくてはできない競い合いだ。恐怖と重責に圧し潰されそうになる。
何度も順位の入れ替えを繰り返し、由加理は愛華と並んでコーナーに入った。自分とラニーニとの間に割り込まれたくない由加理は、頑張って愛華に対抗した。
その時、ブレーキングを遅らせた由加理のフロントが滑った。
グリップを失ったフロントは外へ流れ、車体は急激にバンク角を深める。瞬間、由加理は転倒を覚悟した。
愛華の肩が、由加理の外膝に当たる。
(先輩を巻き込みたくない!)
心の中で叫びながら、由加理は内側の膝を路面に押しつけ必死に耐える。
愛華は、由加理の焦りなど知らぬかのように隙間ぎりぎりで前に出て行く。
由加理は少しだけヘルメットのシールドを開け、新鮮な空気を吸い込んだ。心臓はバクバク早打ち、全身から汗が噴き出している。
前に出た愛華は、フレデリカに手こずるラニーニとナオミの隙をうかがっている。
先ほどの場面で、由加理がフロントを滑らせたのを見てたはずだ。転んでいたら先輩だって巻き込まれるのもわかってるはず。それでも気にせず横を抜けて行った。もし訊いたら「そうだったの?」って言われそうだ。
(感覚が麻痺してるんじゃない。ここにいる人たちは、自分のテクニックと反射神経に絶対の自信を持ち、相手も同じように信用してる人たちなんだ)
由加理には、愛華が気にもしなかったことが、自分を一人前のライダーとして扱ってくれてるように思えた。
(わたしを信じてくれてる)
その信頼に応える方法は一つしかない。
(先輩は、ラニーニさんとフレデリカさんたちの隙間から、シャルロッタさんを狙ってる)
その時はスターシアも動くだろう。ラニーニたちはフレデリカに手一杯だ。由加理は彼女たちの足手まといにならないよう頑張ってきたが、そうじゃないと気づいた。今こそチームの一員として、GPライダーとしての務めを果たす時だ。
といっても、由加理に自力で愛華の前に出る力も、スターシアを抑える実力もない。
(チームのためにわたしのできることは……こんな時、先輩ならどうする?)
愛華先輩は、どんな時でも決して諦めない。由加理が世界一尊敬し、憧れる手本が目の前にいる。こんなチャンスを逃す手はない。
由加理は、愛華の視点でラニーニ、ナオミ、フレデリカだけでなく、シャルロッタとバレンティーナの動きを観察した。
フレデリカさんはコーナー奥まで直接的に入って、ドリフトで減速しながら向きを変えてる。エンジンの回転を落とさず、すぐに加速体勢に移行するファーストイン ファーストアウトの特異なスタイルだから、スローイン ファーストアウトのラニーニさんたちでは噛み合っていない。
シャルロッタさんとバレンティーナさんは基本的にはラニーニさんたちと同じオーソドックススタイルだけど、状況に応じて変幻自在のラインを取れる。
シャルロッタさんの方がキレはあるけど、バレンティーナさんは周りの状況をよく見てて対応が早い。
愛華になったつもりでシミュレーションしようと試みるが攻略法が浮かばない。
(どうやったって勝てないんじゃ……ダメダメ由加理!先輩は諦めないよ)
もう一度よく観察してみると、シャルロッタのリヤタイヤがかなり暴れているのがわかる。序盤からアグレッシブに攻めていたからそんなものと思ってたが、ここにきて暴れ方が明らかに大きく不安定になっている。
(考えてみたら、最初からあれだけ攻めてるんだから、タイヤの消耗も激しいよね)
バレンティーナもスムーズに走らせているように見えるが、前より攻め方がおとなしくなっている。ゴールまでもたせようと、或いは勝負どころのために温存しているようにも見える。
とはいえ、由加理の敵う相手ではない。フレデリカなど、序盤も今も、暴れるのなどおかまいなしに攻めている。
しかし、愛華ならチャンスを見逃さない。シャルロッタのことは、おそらく誰よりもよく知っている。由加理にはわからなくても、愛華は必ず訪れるチャンスを待っている。
(スターシアさんをブロックするんじゃなくて、ラニーニさんたちが先輩のあとに続けるよう穴を開けるんだ!)
愛華の動きに合わせれば、スターシアを抑えられなくとも同じタイミングで入れるはず。それでもかなり難易度は高いが、自分なら愛華先輩に合わせられると強く信じた。
シャルロッタが前後のタイヤが滑らせた時、それほど危ういとは誰も思わなかった。ただ一人を除いては。
シャルロッタにとってそれは日常で、往々にして意図的に滑らせている。
だがその時は、意図したものでなく、外側の足がステップから離れるほどバランスを崩すまで大きく乱れた。他のライダーがそれに気づいた時にはシャルロッタは動物的動きで収束させていたが、そのタイミングを待っていた愛華は、一連の挙動が起こり始めた瞬間から最短でシャルロッタのインをめざしていた。
フレデリカ、ラニーニ、ナオミを一気にパスし、シャルロッタのインに入る。オーバースピードでの進入にコーナー後半詰まるが、コースアウトするほどではない。
大事なのは集団の先頭に出ること。立ち上がりにはスターシアが前に出てくれるはずだ。愛華はスターシアのスリップに入ればいい。
愛華は狙い通りシャルロッタの前に出た。スピードロスを最小限に抑え、スロットルをいっぱい捻りながらスターシアが前に来てくれるのを待った。
だが愛華が目にしたのは、スターシアではなく由加理のテールだった。




