包囲網
Motoミニモ開幕戦アルゼンチンGPは、全車一斉に動き出し、きれいなスタートで幕を明けた。
予想通り、シャルロッタとフレデリカが最初から飛び出し、それを追うノエルマッキを駆るバレンティーナ。彼女としては、チームのアシストが追いつくまでペースを遅らせたいところだが、チェンタウロの二人はかまう事なく全開で飛ばして行く。
決してチームワークがとれている訳ではない。ほっとけば勝手に潰し合って自滅してくれる可能性もある。だがシャルロッタの四年連続チャンピオンは伊達じゃない。チームメイトの功績はあるものの、速いだけでは達成できない偉業だ。バレンティーナはいつまでもシャルロッタが気まぐれな天才だとは思ってない。大口のスポンサーを掴んだフェリーニLMSも、どれくらい進化してるか正確にはわからない。特に耐久性については、テストで明かされていない。最後まで走り切る可能性は捨てきれない。
仮にこの先二台とも潰れるとしても、三人揃ったブルーストライプスがついている。それにストロベリーナイツ。タチアナが出遅れたとはいえ、愛華とスターシアの二人なら、シャルロッタのペースについて行けるだろう。バレンティーナはペース配分など考えなしに突っ走るトップグループから遅れる事は、許されなかった。
アクシデントもトラブルもなくスタートし、僅か数周でグリッド二列目、つまり予選タイム8番手までのライダーと、それ以降のライダーの間に明確な差ができていた。5ラップした時点で5秒近い差、1周につき1秒離された事になる。
勿論、個々にそれほどまでの差がある訳ではない。上位8台が、フェリーニの名を冠したマシンを魅せつけるように飛ばすシャルロッタに引っ張られ、ハイペースで周回を重ねてるのに対し、後続は激しいポジション争いが繰り広げられていた。
タチアナは、サポートのいない状況に苛ついていた。まわりはすべて敵。チームVALEのエリー・ローソン、ジョセフィン・ロレンツォ。チェンタウロの琴音、アフロディーテのアンジェラ、ソフィア、ローザの三人。スザキのカレンと青木もいる。
タチアナから見れば、すべて自分より格下のライダー、しかしこれだけ囲まれると、どうしようもない。
得意のブレーキングで突っ込もうにも入り込むスペースがない。強引に割り込んでも前が塞がっていて、身動き取れず逆に割り込み返される始末だ。そうしてる間にも、どんどんトップグループは離れて行く。
「あなたたちと遊んでる暇ないの!遅いなら退きなさいよ!」
叫んだところで聞こえるはずもなく、聞こえたとしても状況は変わらない。ここにいるライダーは皆、自分の方が速いと思っている。
中堅のサテライトチームで二年走っているタチアナは、こういったセカンドグループでの混戦には走り慣れているつもりだった。その頃と比べたら、ワークスマシンを手に入れた今なら容易く抜け出せると思っていた。しかし実際には、トップ争いをする上位ランカーと同じワークスマシンに乗っても、楽に抜け出せるものとはならなかった。それどころか前より厳しい状況に追い込まれている。
(完全にメカニックの子たちに嫌われたみたいね)
タチアナは理由を、メカニックに求めた。
昨シーズンまでのタチアナも、自分がセカンドグループにくすぶっているのは、マシンのせいだと思ってた。確かに当時もサテライトチームの中では常に上位にいた。そのためメカニックたちとよく揉めた。もっと速いマシンを用意したらトップ争いに食い込めると。彼女の求めるメカニックは、自分に献身的に尽くす腕のいいメカニックだけだ。
だがストロベリーナイツに来てあてがわれたのは、愛華にぞっこんのミーシャ。腕は問題なかったが、愛華に惚れているのが気にいらない。ミーシャに献身的な仕事をさせるには、愛華以上に惚れさせる必要があった。
ミーシャを落とすのは容易かった。誤算は容易すぎて骨抜きにしてしまった事。
(言いなりにしたまではよかったけど、誰が壊れるまでパワーアップしろって言った?何年スミホーイをいじってるのよ!おかげで私が悪者みたいに言われて、こんな状況よ。まったく使えない男ね)
急遽担当となったユリアは、スタート前にも関わらず、ろくに顔を合わせようともしなかった。あまり好意的でないようだ。
原因はすべてタチアナにあると言っていいのだが、過剰な自信とやっと掴んだチャンスを逃すまいとする執念が、彼女の心を曇らせていた。
実際のところ、現在ワークスとサテライトとのマシン性能差は、サテライトチームのライダーが思っているほど大きくない。ストレートのトップスピードでは、スミホーイワークスがヤマダのサテライトに負けているぐらいだ。
ユリアにしても、不本意な担当変更ではあっても、仕事に決して手を抜くなどあるはずもなく、むしろ向上心ある若者らしく、認められようと完全な仕事に努めていた。
タチアナの負の感情が、自分自身を追いつめ、苦しい状況を生み出している。
さらに言えば今この瞬間も、タチアナのまわりを囲んでいるライバルたちからの当たりは、以前より激しいものだった。
申し合わせた訳ではないが、セカンドグループにおいてタチアナは、徹底的にマークされていた。
潰しておきたいライバル、チャンスを手にした者への嫉妬、それらはトップクラスより、下へいくほど強くなる。だがこの場では、タチアナのライダーとしての人間性に対する嫌悪感の方が大きいだろう。
タチアナのシーズン前からの言動は、他チームのライダーも耳にしている。特に愛華に対する態度は知れ渡っており、同じレース仲間として認められないものがあった。
自分のチームのエースすらリスペクトしない者が、他人をリスペクトできるはずがない。事実琴音は、合同テストで愛華の指示を無視したタチアナにぶつけられている。
レースとは、敵味方関わらず、信頼がなければ走れない。アクシデントになれば死の危険すらあるスピードの中で、数センチ、時には触れあう事もあるバトルを繰り広げるには、互いのテクニック、人間性を認めていなければ到底できない。
タチアナを単なるライバルの一人というより、活躍させたくない筆頭、GPを走る仲間とは認めたくない、というのが彼女たちが心の奥底に持っている本音だろう。
タチアナが自分に対する一致した敵意に気づくのに、それほど時間はかからなかった。
「そういうこと……。上等じゃない。私も仲良くしたくてレースしてるんじゃないから。もっと上まで這い上がらなくちゃならないの!邪魔するなら蹴落としてやるわ」




