離れていく距離
Motoミニモチーム紹介⑥
スザキ ニレ
チーム監督 ダビッド・ブリビオ(40)
マシン スザキRJΓ
ライダー 34カレン・シュワンツ(23)
10カーリー・ロバート(16)
39青木宣子(33)
かつてはエレーナのスミホーイとタイトルも争った事もある日本のメーカー、スザキのワークスチーム。ニレは社内における二輪レース部門の略称が、外国人スタッフ、ライダーにも使われ、一般化したもの。
昨年よりMotoミニモに復帰参戦しているが、離れていたブランクは予想以上に大きく、タイトルを争えるチームには至っていない。
エースのカレンは、チームVALEのエリーと同じく、過去に一度Motoミニモを走っている。Motoミニモに近いルールになったAMAスーパーミニモでの活躍をスザキに認められ、Motoミニモに戻ってきた。
尚、本来のエースはイギリス人のマリー・シーンであったが、直前のテストで大クラッシュ負傷し、急遽カレンが格上げされた。第三ライダーの青木宣子も本来はテストライダーである。このあたりにも波に乗れてないスザキの現状を感じさせる。
第ニライダーのカーリー・ロバートは、現在ヤマダ監督のケリー・ロバートの実娘。
予選トップシードに入って二人目、つまり前年度ランキング14位のライダーがストロベリーナイツ最初のライダー、タチアナだ。
由加理にとっては、絶対に負けたくない相手。
シャルロッタさんや愛華先輩、ラニーニさんやナオミさん、バレンティーナさんやフレデリカさん、スターシアさんに抜かれるのは仕方ない。彼女たちは特別だ。だけどタチアナにだけは負けたくない。彼女は先輩の苺騎士団に相応しくない。愛華先輩のアシストとは認めたくない。
今はもうストロベリーナイツに入りたかったなんて思っていない。将来、愛華先輩と一緒のチームで走れたら、とは思っているけど、今はライバルとして全力で挑戦する。だからこそ、先輩のストロベリーナイツは最高のチームであって欲しい。
由加理とて、レース経験もテクニックも、タチアナの方が上なのは認めるしかない。しかしその程度のライダーはたくさんいる。一流のライダーは別格だ。体操をやってきた由加理は、運動センスを視る目は持ってるつもりだ。タチアナは一流のライダー───愛華の家に遊びに来てた人たち───とは違う。彼女たちのような、競技を問わず一流アスリートが持っている身体操作の美しさを感じない。それは日常の動作でも感じるものだ。歩く姿だけで運動センスはわかる。自分の方が上だ。
表に出ない悪い噂も聞いた。メカニックと関係を持っていると……
タチアナがタイムアタックに入った。由加理はモニターを睨みつける。
加速の伸びがいい。エンジンはよく回っているみたいだ。
最初の中間計測ポイントを通過。
『Fastest』
画面の中間タイム横に、ここまでの最速であることを示す文字が表示される。
由加理より速い。長い裏ストレートでタイムを稼いだようだ。
拳をぎゅっと握り締めてモニターを見つめる。
次の計測ポイントではやや詰まったものの、まだ由加理を上回っている。
最終コーナーに入った。タイムは微妙なところ……。
手のひらに爪がくい込むほど強く握り締める。
タチアナが体を伏せてストレートを加速して来る。
計測ラインを通過して、表示されたタイムは、由加理に0.5秒届かなかった。
だけど最後、思ったより音が鈍くなかった?
ピット前を通過したエンジン音に、由加理は違和感を感じた。
───────
「何考えてるんだ!」
メカニックの総責任者ニコライは、ミーシャを怒鳴りつけた。
タチアナが最終コーナーを抜け、ストレート計測ライン手前でエンジンが逝ったのは、音を聞いていただけでわかった。
「もう少しでポールも狙えるところだったのに、逝っちゃったみたいです」
怒鳴られたミーシャは、カウルを取り外す作業を続けながら、悪びれる様子もなく答えた。
「おまえ、何年そのエンジンさわってるんだ?どこまでやったら逝かれるか、わかってるだろ!?」
最新のスミホーイSu50は、エンジンはSu35から大きく変わっていない。年々改良されて性能アップしているが、基本設計はそのままだ。
「限界までチューンすることは、これまでも何度もあったじゃないですか」
「あったさ。だが1ラップもたないようなチューニングなんてしたことないよな。それにどうしてもって時は、スターシアさんもアイカちゃんも、シャルロッタだって細心の注意を払いながら乗ってくれた。新加入のターニャに、しかも開幕戦の予選で……」
エンジン使用基数制限の厳格化で、エンジンは封印されている。開けたらもうそのエンジンは使えない。つまり直せない。開けなくてもわかる。一応動いてはいたが、おそらくピストンリングがイカれて、シリンダーの内側は深く傷ついているだろう。
タチアナが限界まで要求したのは容易に想像できた。それにしても信頼性あるエンジンが、たった1周のアタックで焼きつくなんて、ミーシャのミスとしか言えない。
「7基しか使えないうちの1基を、最初の最初で潰したんだぞ!色ボケするのもいい加減にしろ!」
「わかりましたよ。すみませんでした。これからは気をつけます。それよりもうスターシアさんが走る時間ですよ」
ミーシャの開き直った態度にますます怒りがこみ上げてきたが、スターシアのアタックの時間が迫っているのも事実だった。
「この事はエレーナさんにも報告しなきゃならん。もっともあの音を聞けば誰だってわかるだろうが、覚悟しておけ」
「はいはい、エレーナさん、エレーナさん、ですか?」
その一言に、ニコライは遂にキレた。
気がついた時には、ミーシャの襟首を掴んでいた。
ミーシャの鼻から赤い血が滴っている。
ミーシャが何か言おうとしたところで、近くにいたスタッフによって、二人は引き離された。
その頃、愛華は予選アタックに集中しようと試みていた。もちろん、ニコライとミーシャが騒ぎを起こしてるなんて知らない。
腕を広げて大きく息を吸う。
不安や恐れ、勝ちたいという欲までも腹に集め、息とともに絞り出すように吐き出す。
オフシーズンに覚えた集中の仕方。これで雑念を外に追いやり、無になれる、はずなのだが、なかなか上手くいかない。
もう一度新しい空気をゆっくり吸い込んだ。
「ユカリ、マダイチバン、タイシタモノダ」
集中しようとする努力を邪魔したのは、セルゲイおじさんだった。彼は若い頃日本にいた経験があり、時々片言の日本語で話しかけてくる。
集中を邪魔されたことより、由加理がトップと聞いて心臓がドクンと脈打った。
愛華は、予選アタックの前は、それまでのタイムや順位を見ないようにしている。タイムアタックは自分との戦いだ。今日も見ていなかったが、由加理がトップと聞いて思わず電光掲示板を見た。
(本当だ、すごいよ。よく頑張ったね、由加理ちゃん)
初めてのフル参戦、最初の予選で実力を発揮できるのは、セルゲイおじさんの言う通り大したものだ。
「コトネのタイムからすると、フレデリカとシャルロッタなら42秒台乗せてくるだろうな」
たった今アタックを終えた琴音のタイムを見て、セルゲイがつぶやいた。
琴音は由加理に0.02秒届かない1分43秒126。まだ由加理がトップだ。だがこれから速いライダーが登場する。
愛華の顔が再び強張る。このあと、スターシア、フレデリカ、バレンティーナ、ナオミ、ラニーニ、そして愛華の後にはシャルロッタが控えている。おそらくフロントローに並ぶには、最低でも43秒を切らなくてはならないだろう。
愛華の今朝の練習走行でのベストは43秒台半ば。気温が上がってることを考慮しても、相当頑張らないと厳しい。
「日本人は禅をやってるから、デビュー戦でも精神が強い」
セルゲイは膝をつき、マシンの最終チェックをしながら、誤った日本人像を語った。
そういえば自分もデビュー戦でポールポジション獲得したんだった。でも禅はしていない。
「今の若い日本人で禅なんて知ってる人、あまりいないと思いますよ。たぶん外国の人の方が詳しいんじゃないかな。わたしもユカリも、禅って言われてもよくわかりません」
どうでもいい話だが、一応訂正しておく。
「フフフ、ゼンゼン、ワカリマセン。ワハハハ……」
なぜだかセルゲイおじさんは、一人で笑い出した。
「…………」
『禅』と『全然』をかけたオヤジギャグだと気づくまで、少し時間が掛かった。
「クス……」
つまらないオヤジギャグを自分で大笑いするセルゲイおじさんを見てると、愛華まで可笑しくなってきた。
自分をリラックスさせようとしてくれてるんだ、きっと……たぶん、そう思う……
愛華は胸が暖かくなるのを感じた。禅はわからないけど、心のセッティングもしてくれた。わたしが頑張らないと。
愛華は身体を動かし、筋肉を目覚めさせる運動を始める。
硬いブーツに革のツナギを着てるので動きに制約あるが、徐々に血液が全身の筋肉に送り込まれ、心地よい火照りで愛華を戦闘モードにしていく。やっぱり自分には動いてる方が余計なこと考えなくていい。
セルゲイおじさんが立ち上がり、特設ステージの方を見た。ちょうどラニーニが上がるところだ。
「さあ、次はアイカの番だ。マシンもタイヤもバッチリ暖まってるぞ。そっちは?」
愛華に笑顔を向けて、愉快そうに尋ねる。
「だあっ!いい感じに暖まりました」
愛華は膝を曲げ伸ばししながら笑顔で答えた。




