その先に見たもの
やっぱりシャルロッタさんはすごい……
愛華とシャルロッタの技術の差は歴然としていた。それでも愛華は、シャルロッタに休む暇を与えない激しいアタックを続けた。
シャルロッタのタイヤは、すでにかなり暴れていたが、愛華のタイヤも攻めに転じてたちまちすり減り、コーナーではカウンターをあてるほどずるずるスライドしている。
こうなると逆に怖くなくなるから面白い。モトクロスバイクと同じだ。
はじめからグリップ力に頼らず、滑らないようにでなく、どう滑らせるかをコントロールする。
モトクロスでもダートトラックでもオンロードでも基本は同じ。縦に並んだ二つのタイヤに跨がる乗り物に変わりない。むしろグリップが期待できないほど基本が大切になる。
絶えず動きの中心軸に重心を保ち、下半身でマシンをしっかりホールド。
ハンドルはフリーに、こじるような操作は禁物。振られた時にはしっかり抑えられるように。
逆にそれさえ出来ていれば、なんとかなる。怖いのは恐怖心から固まってしまうことだ。
大丈夫!バランス感覚なら負けていないから
最初のアタックからちょうど一周、アウトに押しやられた同じコーナーで、もう一度愛華は仕掛けた。
シャルロッタは前周よりインを締めている。その分進入速度は遅い。愛華は迷わずインに飛び込んだ。
ブレーキを引きずりながらマシンを寝かす。浮きあがるリアが流れ過ぎないように腿で抑え、旋回状態にもっていく。シャルロッタが急激に距離を詰めてくる。
お尻でグッとリアタイヤに荷重をかけ、旋回状態を落ち着かせる。シャルロッタが真横に並んでいる。
インを奪った!このまま立ち上がれば前に出られる!
愛華はホイルスピンしないよう注意しながらスロットルを開け、さらに旋回力を稼ぐ。
リアタイヤが外側へ流れようとするのをお尻で感じる。シャルロッタはまだ真横にいる。
少しでも躊躇すれば前に行かれてしまう。かと言って開け過ぎれば、シャルロッタをも巻き込んで転倒。そんなことお構い無しに、シャルロッタは触れんばかりに寄せてくる。
愛華が仕掛けたチキンレース、負けるわけにはいかない。
二台が並んで立ち上がってくる。同じマシン、同じカラーリングのマシンだが、火花散らさんばかりの競り合いは、とても同じチームとは思えない。
二台は並んで膨らんで行き、外側のシャルロッタがゼブラにはみ出した。
観客席がどっと揺れる。遂に愛華が前に出た。
横から縦へとなった二台は、次のコーナーに向けてコースを斜めに横切って行く。
追う側より追われる側の方が遥かに緊張する。追っている時は目標が見えている。前を走れば、見えない相手からのプレッシャーと戦わなければならない。
愛華はインを締め、アウトにも警戒しながらぎりぎりまで耐え、マシンを傾けて行く。
外側にシャルロッタの影が見えた。
外からきた!
愛華の限界を上回る進入スピードで、アウトからかぶせてくる。シャルロッタの方が地力で上回っていることは、はじめから承知してる。しかし、ここで引き下がったら勝ち目はない。愛華はスピードを保ったままクリップポイントに向けてフルバンクさせる。
シャルロッタの影が退いたと思った瞬間、フロントタイヤが流れた。
愛華を内側に残して外へ流れようとするマシンにしがみつき、膝と肘で倒れ込むのに耐えた。
しかし、スターシアのように立て直せない。フロントもリアも滑る方向とはちがう方を向いている。無理にグリップさせようとすれば、はね上がったマシンに背負い投げをくらう。
転倒状態にまで到っていないが、愛華は体が完全に内側に落ちた姿勢のまま、アウトへと滑って行くしかなかった。
愛華がマシンを起こすことができたのは、外側のゼブラを乗り越えて完全に停止してからだった。
マシンにダメージはない。エンジンも止まっていない。愛華がバイクに跨がりなおり、再スタートしようとする横を、ヤマダワークスとブルーストライプスの集団が通過して行く。
やっちゃった……
愚かなチャレンジは、ここまでの頑張りを無駄にしただけでなく、チームの勝利まで消滅させてしまうかも知れない。
なんてバカなの、わたし……
シャルロッタなら一人でも逃げ切れるだろう。だが二位にラニーニが入ればすべて水の泡だ。
自分では何もできず、ただラニーニにトラブルが起きるか、バレンティーナに負けることを願うしかない状況が、堪らなく情けない。
勝利とは、同じ目標をめざす他者の希望を打ち砕くことだ。だがそれは、互いに全力を出してこそ許されるものであり、何もしないでただ相手の不運を願うなど、愛華の中では恥ずべき行為だった。
そうなったのは、全部わたしの責任……
自分が負けるのはいい。でも、わたしと本気で相手してくれたシャルロッタさんが、わたしのせいでチャンピオンになれないなんて……
スターシアの顔、エレーナの顔、チームスタッフの人たちの顔が浮かんだ。
応援してくれてる紗季や由佳理、白百合のクラスメイトや後輩たち……。
チェコGPの時出会った、自分に憧れる少女を思い出した。
自分のために働いてくれるチームの人たち、世界中のファン、憧れてくれる大勢の若いライダーたちに申し訳なかった。
愛華は泣きそうになりながらバイクを走らせた。
残り僅かな周回で、それもたった一人で前の集団を突破するなんて、いくら諦めの悪い愛華でもできるとは思えない。涙で目が霞んでくる。
わたしのレースは終わった。今シーズンも終わり。最悪な終わり方で……
来季はないかも知れない。せめてゴールだけはしようとスミホーイを走らせていた愛華のヘルメットの骨伝導スピーカーが、今日初めての振動をした。
『なにモタモタしてんのよ!走れるんでしょ!?』
響いたのはシャルロッタの声。
「シャルロッタさん……?」
使用が許されてる無線は、数十メートルしか届かないはず。間に障害物や起伏があれば、さらに短くなる。集団のずっと前にいるシャルロッタと交信できるはずがなかった。
愛華はシールドを開けて、潤んだ目を拭って前を見た。
シャルロッタがそこにいた。
「どうして?」
愛華もマイクをオンにした。
『なに言ってるの?バカなの?計算もできないの?あんたが二位にならないと、あたしのチャンピオンがなくなるでしょ!』
「でも、ラニーニちゃんがバレンティーナさんに負ければ」
『冗談じゃないわよ!運命を他人に預けるなんてゴメンだわ。しかもバレンティーナに頼るぐらいならビリの方がマシよ。チャンピオンはあたしがこの手で掴むんだから!おしゃべりなんてしてる暇ないわ!これから劇的な奇跡の大逆転劇のはじまりよ』
シャルロッタの相変わらずくどい(自分への)称賛の言葉に、愛華は思わずくすっとした。同時に、一度は諦めた闘志に再び火をつけられていた。
シャルロッタさんとならできるかも知れない。いや、絶対にやるんだ!バレンティーナさんもラニーニちゃんも抜いて、二人でワンツーフィニッシュを飾るんだ!
愛華はすぐにシャルロッタのぴったり後ろに入る。シャルロッタは最速の走りで愛華を引っ張る。
コーナーを抜けると愛華が前へ。
愛華のスピードが頭打ちになる直前にシャルロッタがスリップから飛び出す。
先ほどまでの激しいバトルとは打って変わって、ぴったりと息の合ったペアが、クライマックスに向けてテンポの速いダンスで盛り上げていく。
観客もラストバトルへの期待に、一度鎮まった興奮が再び燃えあがっていた。
「シャルロッタさん」
『なによ?』
「ごめんなさい。わたし、まだまだ敵いませんでした」
『そうね』
「それから、ありがとうございます」
『………』
シャルロッタは言うべき言葉を考えているのか、間があいた。
「わたしのところまで来てくれて、ありがとうございます」
『べ、べつに、あんたのためなんかじゃないんだからね!あたしがチャンピオンになるためよ!勘違いしないでよね!それに下僕の世話するのは、主なら当たり前でしょ!あんたも下僕らしく尽くしなさい!』
「だあっ!」
シャルロッタらしくてうれしくなる。ヘルメットの中で顔を真っ赤にしてる気がした。
『くだらないこと言ってないで、ど真ん中から突破するわよ!ちゃんとついてくんのよ、このバカ!』
いつの間にかヤマダワークスとブルーストライプスの集団の真後ろに追いついていた。
シャルロッタらしいセリフと共に、猛然と飛び込んで行く。
愛華も遅れず飛び込んだ。




