ラストダンスは私と
ラニーニは、淡々と走っていた。
シャルロッタと愛華たちとの差は、前周のメインストレートで15秒差。残りの周回数では、相手にトラブルでもない限り追いつくのは不可能な差だ。
毎周拡がっていた差が、終盤に入り平行線になってきているが、二位以内に入らなければタイトルは奪われる。
ラニーニは、努めて意識しないようにした。焦ったところで速く走れるものでない。大抵はロスが多くなるだけだ。
必要なのは、冷静に、ただ速く走ること。
決して諦めない。
レースは何が起こるかわからない。もっと大きな差があっても、最後はコンマ差の勝負になったこともある。
チャンスはくるかも知れないし、来ないかも知れない。
確かなのは、諦めた者にチャンスは来ない。
ナオミとリンダに協力してもらい、自分たちのベストを尽くすしかないと決めていた。
不可解なのは、バレンティーナたちの動きだった。
当初、セカンドグループでの争いを予想していたが、ヤマダワークスチームは張り合うような素振りを一切見せず、ここまで協力的、どちらかと言えばラニーニたちが引っ張ってもらっている割合が多い。
おかげで最小限の消耗で、速いペースを保って来られた。
なぜそこまでするのか?バレンティーナが何を狙っているのかわからない。
チャンピオンはなくなったとしても、少しでも良い順位をめざすのは競技者として当然のはず。
ラスト勝負を挑む時、ラニーニたちを利用するつもりなら、すでにストロベリーナイツとの差がつき過ぎている。そもそもヤマダのマシンは、混戦になればその優位性が活かせない。それに彼女たちが受け持つ負担が大き過ぎる。
かつてバレンティーナは、ジュリエッタでデビューし、スーパースターになった。しかし二年前、ジュリエッタと契約条件で散々揉めてヤマダに移籍。今さら恩返しなど、思ってもいないだろう。
無理に前に出たところで、引き離せるわけでもなく、互いにペースが落ち、無駄に消耗するだけだ。とにかくラニーニたちも、今は相手を利用するしかない。いずれ答えはわかる。
バレンティーナの狙いがわからぬまま、ラスト5周に入った時、1コーナー観客席の視線が2コーナーの方へと動くのがラニーニの目に入った。
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バレンティーナは、2コーナーを通過する際、コースサイドで係員に助け起こされるスターシアを見た。
共に年齢は若くとも経歴はすでにベテランの部類に入る二人だが、スターシアがコースサイドで砂まみれになっている姿を、バレンティーナは初めて見た気がする。
スターシアの完走率は決して高くはないが、転倒することは極めて稀であり、リタイアの多くはガス欠であったり、タイヤなどのマシントラブルがほとんどだ。その場合もレース続行不能になったマシンを上手く操って、安全なところに停止させている。
エース同士としてチャンピオンを争ったこともあり、同世代の最大のライバルと言われたこともある。
だがバレンティーナの中でスターシアは、エレーナやシャルロッタのような敵対的ライバルとは違うライダーに分類されていた。
勿論、過去も現在も、手強いライバルであることに変わりない。技術的にはエレーナやシャルロッタより高く評価している。
エレーナのように力と根性で捩じ伏せてくるのではなく、シャルロッタのように常人には反則としかいえないような才能で攻めてくるのでもない。
バレンティーナが理想とするライディングを、完璧なテクニックで具現化する、敵であっても親近感を感じるライダーであった。
バレンティーナの使うテクニックには、スターシアを参考にしている部分も少なくない。
決して口にはしないが、親近感というより目標、美しいフォームに憧れを抱いていた。
あいつら、本当にスターシアを弾き飛ばしちゃったよ。どういう状況だったかわからないけど、これでチーム内のいざこざが本物だってはっきりした。ボクの読みはまちがってなかった。スターシアが最初に飛んじゃったのは残念だけど、シャルロッタとアイカの潰し合いは避けられなくなったってことだ。誰も邪魔しないから、どんどんやってよ。
すでにチャンピオンの可能性がないバレンティーナにとって、このレースは自分の実力をアピールすることが目的だ。来シーズンの運命がかかっていると言っていい。
ヤマダワークスがMotoミニモに復帰参戦して2年、莫大な資金と最新の技術を投じながら、結果は散々たるものとなっていた。
新技術の熟成不足という要因もあったにせよ、ライダーの責任、とりわけGP史上最高額といわれる契約金をもらっておきながら、2年間で優勝たったの3回(今回優勝したとしても4回)という成績は、期待外れと言わざるえない。
昨年の1勝はシャルロッタ失格による疑惑の繰り上げ優勝、今季の2勝もシャルロッタ欠場中にあげたもので、まともに勝ってないという声まである。今季からの新規参戦で、ヤマダがベースエンジンを提供しているLMSですら1勝をあげている。ワークスの面目はない。
もはやYRC総監督の辞任は確定的であり、バレンティーナの契約更新もないだろう。
となると、バレンティーナは新たに来季のシートを獲得しなくてはならない。契約金額に目をつぶったとしても、彼女の条件を満たすチームは限られていた。
LMSは、チャンピオンを狙えるチームではない。あれは特殊なマシンだ。乗り手とコースを選ぶ。コースによっては1勝か2勝はあげられるかも知れないが、サポートライダーも含めてコンスタントに速く走れなければ、今のMotoミニモでタイトルは狙えない。
無論、その他のプライベート、サテライトのチームは論外だ。
名実共に最強を誇ろうとも、ストロベリーナイツはあり得ない。向こうも拒否するだろう。
残るはジュリエッタワークスのブルーストライプスだけとなる。
ここには、今やイタリアのエースに成長したラニーニがおり、一度チームを離れたバレンティーナが戻るには、自身のプライドが許さない。
が、プライドを少し明後日の方向に向けられれば、一番有力で、唯一望みのある候補だった。
このレースでラニーニを引っ張ってやり、もしチャンピオンを獲らせてやることができれば、ジュリエッタに対して大きな貸しになる。それにバレンティーナにチームを率いる能力もあることが証明できる。
ラニーニがエースで、ボクがサポート役、ってのは不本意だけど、入ってしまえばどうにでもなる。実力で奪うことだってできる。
バレンティーナは、密かにもう一つの可能性にも期待していた。
これはあくまで非公式な、噂話以上のものではないが、ジュリエッタはシャルロッタか愛華のどちらかを狙っているらしい。
正確にはジュリエッタを傘下におくトエニ社の意向なのだが、同社には以前からジュリエッタとは別ブランドのチームを参戦させる計画があった。
ジュリエッタと同じマシンをシャルロッタの家であったフェリーニMCの名で新チームを作ろうとしたことがある。
その計画はトエニグループを揺さぶるスキャンダルによって立ち消えになったが、同社は幾多の栄光を誇った名門メーカーの商標を買い漁っていた。
バイク好きは夢を見たがる。
ロマンを誘う伝説ブランドを、本来つながりのない自社製バイクで復活させるなど、この業界ではよくあるビジネス手法だ。
昨シーズン、ラニーニがチャンピオンとなり、一時落ち込んでいたジュリエッタ市販車の売り上げも上向いてはいる。だがラニーニの人気は、彼女のレース運びと同じで爆発的とはならない。玄人には好まれても、レプリカバイクに飛びつく層に対して、購買欲をそそるほど吸引力がないのも事実。
そこに降って沸いたのが、シャルロッタと愛華の確執騒動だ。
シャルロッタのハチャメチャな性格は、ライダーとしては欠陥あるものの、スター性は十分。
愛華も、今後の二輪主要マーケットとなるアジア地区でも人気高騰中だ。
どちらかがストロベリーナイツから離れるとしたら、放っておく手はない。
ついでに栄光ある名門復活も合わせれば、市販車も爆発的に売れる。
参戦するニューマシンは、ジュリエッタと同じものにすれば開発は共有できる。というよりはじめからジュリエッタのクローンなので、開発費に関して今まで以上の出資は必要ない。GP経験のあるスタッフも揃っている。
それで日本製やロシア製にまでおされている市販車市場を、一気に拡大できるのだ。以前見送られた計画が復活しても不思議はない。
もし本当なら、バレンティーナはトエニ社の偉い様方の目論見の甘さを、ほくそ笑まずにいられない。
商売としては合理的で悪くないと思う。頭の軽い奴ほど見せかけの名門だの伝統だのの言葉に弱い。ただライダーに関しては……
シャルロッタは大のジュリエッタ嫌いだ。たとえ名前を変えても、同じマシンに乗るはずがない。
そしてアイカは熱烈なエレーナ教の信者。エレーナの下以外で走るとは思えない。あるとしたら日本のヤマダぐらいだろう。
レースをビジネスの道具としか思ってない連中にはわからないだろうね。ボクもあまり他人のこと言えないけど、ボクはレースに人生かけてる。
で、結局そのシートは、レースを誰よりも愛するボクのものになるのさ。
もちろん、どれほど信憑性があっても、その計画の復活には、シャルロッタか愛華のどちらかがストロベリーナイツを離れるのが前提であることも承知していた。
要はどっちかがストロベリーナイツを解雇されればいいのさ。恨みはないけど、彼女たちにタイトルはやれない。ボクだけが責任を取らされるなんて理不尽じゃないか。みんなもボクのために踊ってもらうよ。そしてラストダンスは、二人で潰し合うのさ。




