チャンピオンのプライド
土曜日、今シーズン最後の予選が始まった。
前戦の惨敗からアグレッシブな設定に変更してきたヤマダ勢は、練習走行からセッティングに手間取り、満足なフルアタックを行えないまま予選に挑むことになった。ヤマダワークスといえど設定変更には時間が必要ということだろう。
ヤマダワークスのライダーが軒並み平凡なタイムに終わる中、バレンティーナだけはしっかりとまとめ、前日までのシャルロッタのベストタイムに迫るタイムを叩き出したのはさすがというべきか。もともとバレンティーナの望んだ設定変更なので、なんとか彼女も面目を保ったという見方が、チーム内ではされていた。
バレンティーナ以外のライダーがシーズン中何度も変更される設定に対応できず、翻弄されていることが、現在のヤマダの状況を象徴しているだろう。
革新的技術の導入、豊富な資金、問題に対する迅速な修正。これらは開発者にとってやりがいある環境ではではあるが、大きな成果も求められる。
結果を急ぐあまり、問題に正面から向き合うより、一時的な妥協、安易な方向修正を繰り返し、技術開発に最も大切な一貫したポリシーをうやむやにしてしまっていた。
地道な改良によって忍耐強く熟成させていくという技術屋の基本こそ、本来ヤマダの土台だったはずなのだが、自他共に認めるスターライダーの起用、早急な結果を求める上からの声に翻弄され、迷走を続けてしまった。
肝心のバレンティーナにしても、すでにタイトルの可能性が消滅しており、勝利より自分の能力をアピールしたいだけのようにも思えた。
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ラニーニは、グリップを握る形にテーピングで固められた右手親指を嵌め込むようにして、ハンドルを握った。スロットルを捻るように手首を動かしてみる。人差し指と中指をブレーキレバーにかけ、滞りなく操作できることを確認すると、深く深呼吸をした。
(大丈夫、なにも問題ない)
ちょうどアタックラップに入ったシャルロッタが、メインストレートを、全開で駆け抜けって行く。
遠ざかるエキゾストノートが、楽器のように素早くシフトダウンする調べを奏でる。ラニーニもそれに合わせて手先を動かし、頭の中でライディングイメージと重ねる。
鋭くフルバンクにもっていったことを告げる一時のメゾピアノからクレッシェンドに手首を捻っていく……
だが聞こえてきたシャルロッタのエキゾーストは、フォルテッシモだった。
立ち上がりで敵わないのはわかっていた。それにしても今のはシャルロッタらしくないと感じた。
めちゃくちゃなライディングのように見えて、シャルロッタはすごく繊細なコントロールをする。特にタイムを稼ぐ予選アタックなどでは、限界ぎりぎりのところを絶妙なコントロールして、決してタイムロスになるような操作はしない。しかし今の排気音を聞く限り、リアタイヤはかなりスピンしているはずだ。
一般のファンから見れば、「シャルロッタらしいアグレッシブなライディング」と映ったかも知れないが、タイヤにまで神経が繋がっているかのような彼女の天性のスロットルワークを知っているラニーニには、「シャルロッタらしくないラフな操作」と感じた。
頭の中のライディングイメージから目を開けると、シャルロッタのあとにタイムアタックする愛華が、コースインして行こうとしていた。観客に手を振ることもせず、背中からひしひしと緊張感が伝わってくる。シャルロッタがタイムアタックを終えるともう一周ウォームアップして、愛華がタイムアタックに入る。その次はラニーニだ。
(二人とも相当意識してるみたいだ)
直接は聞いてないが、シャルロッタと愛華の間にいつもと違うものがあるのは、ラニーニも感じていた。
この業界には、様々な噂が飛び交うものだ。その多くは単なる話題作りから拡がった興味本位だったり、願望だったり、誰かの企みだったりする。しかし、同じフィールドで走る者同士にだけわかる波長のようなものを、時々感じることがある。それは言葉や証拠がなくても、確信として伝わってくる。
(アイカちゃんとシャルロッタさん、本気で勝負しようとしてる。でも、わたしのことも忘れないでほしいな)
その原因の一端が自分にあることもわかっていた。愛華の生真面目さを改めて思うと同時に、チームメイトと対立してまで抗議の意思を示してくれていることはうれしい。
ただ気にいらないのは、まるでラニーニはもうチャンピオン争いから脱落したかのように、二人だけで張り合っていることだ。まだラニーニは諦めていない。
別の見方をすれば、万全でないラニーニにもチャンスはある。
愛華のまっすぐなところはいつも憧れているが、友情と勝負は別のもの。愛華もシャルロッタもわかっていて当然のはずで、ラニーニが遠慮する必要などまったくない。むしろ遠慮などしたら失礼にあたるだろう。
ラニーニは今年もチャンピオンを獲得するために、ベストを尽くすだけだ。
予選が終わった時、二人はどんな顔をするだろう?二人だけでなく、ここにいる観客、テレビやネットで注目している世界中のファンに、チャンピオンはわたしだってことを思い出させてあげたい。
シャルロッタが計測ラインを通過すると同時に、地鳴りのような歓声に包まれた。




