頼れるものは
たとえエレーナが黙認しているとしても、チームの勝利を危うくするのをわかっていながら手助けするのは、ミーシャ自身にもリスクがある。
子どもの頃からGPに憧れながらライダーとして夢かなわなかった彼にとって、Motoミニモのトップチーム、ストロベリーナイツのレギュラーメカニックの仕事は、GPに関われるもう一つの夢だった。
もし愛華のマシンの不具合が原因でチームの勝利を逃したとしたら、ミーシャも責任追及されるだろう。それに愛華のやろうとしてることは、愛華自身を危険に晒すことでもある。
「いいかい、アイカちゃん、大事なことだからよく聞いてほしい。問題はタイヤや燃費だけじゃないんだ」
ミーシャは、これまでより一層真剣な顔で話し始めた。愛華も何かを感じて、黙って頷く。
「今のレーシングマシンは、極限までパワーを搾り出すより、ライダーへの負担を減らす方が速いって考え方が主流なのは知ってるよね。その極端な例がMotoミニモではヤマダYC213なんだけど、もともとはもっと大きな排気量、大パワーのマシンから始まった流れなんだ」
再び愛華は頷いた。その辺の経緯はアカデミーでも教わっている。
「昔は最高峰クラスが2サイクル500ccだったのは知ってるよね?その頃のマシンは凄く過激で、当時のライダーはライバルと戦うというより、怪我との戦いって言われるぐらいクラッシュが多かったんだ。凄く速いんだけど危険と背中合わせで、一流のライダーでも今とはくらべものにならないぐらいよく大怪我していた」
レジェンドライダーに名を列ねるチャンピオンたちでも、その時代は五体満足な身体で引退した者の方が少ないと言われてるほど、何かしら大怪我を経験している。
「ギリギリまでパワーを追求した結果、エンジンはとてもピーキーで、タイヤも突然盛り上がるパワーを受けとめきれない。一瞬も気を抜けない狂暴なマシンになってしまった。そこからいろいろな思考錯誤があって、4ストローク化で排気量が2倍になったり、電子制御技術の進歩なんかもあったりするけど、無理矢理搾り出した最大出力より、制御された常用出力の方が速いって気づき始めたんだ。その流れは他のクラスにも伝わって、今はMotoミニモでもピークパワーはむしろ抑える傾向にある。つまりスミホーイでも、バランスを無視すればパワーをあげられる余地はあるけど、凄く乗りづらいマシンになって速く走れるとは限らない。それどころか、とても危険なマシンになってしまうのを覚悟しなくちゃいけない。仮にタイヤとか燃費とかの耐久性がクリアできたとしても、勝てる可能性は低いと思う」
ミーシャは愛華にもわかりやすく説明した。
彼の言うことは、愛華も実感としてわかっているつもりだ。バレンシアに持ち込まれた新しいマシンも、コーナリングマシンと呼ばれるスミホーイのバランスを崩さないよう改良されているのは、誰よりも乗っている愛華自身が一番感じている。エンジンの躍動、タイヤが路面をとらえる感覚、サスペンションの動きが乗り手にリアルに伝わり、スロットル操作に過敏すぎることなくそれでいて即反応する。ヤマダのように人工知能が巧くやってくれるみたいな安楽さでなく、自分とバイクが繋がっているような一体感をめざしてして作られた、スミホーイらしいスミホーイ。おそらく今できるベストの改良だろう。もちろん、愛華にとっても、ベストマッチのマシンといえる。
だがそれではシャルロッタに勝てない。バイクを操る感覚では、シャルロッタの方が遥かに上なのだから。
「乗り難さは集中力でなんとかします!どっちみちコーナーじゃ敵わないんですから。ずるいかもしれませんけど、立ち上がりとストレートでなんとかなりませんか!ほかにないんです!」
確かに立ち上がりはパワーがある方が有利ではある。しかしそれもコーナーリングからスムーズに繋げられてこそだ。余程長いストレートと圧倒的なパワーアップでもしない限り、シャルロッタに勝てる場面はないだろう。
「やっぱりやめた方がいいよ。アイカちゃんの集中力と体力なら走らせられるかも知れないけど、それでシャルに勝てるとは思えない。それにリスクが大きすぎる」
ミーシャは今のままで走る方が賢明だと根気強く説得しようとした。しかし愛華は、
「この前、レース中にバレンティーナさんは電子コントロールを全部切ったって聞きました。タイムはそんなに変わらなかったそうですけど、一緒に走ってたわたしには、突然速くなったように感じました。なによりシャルロッタさんがすごくやりづらそうでした。本当はシャルロッタさん、すごくイラついていたんです。だからあんな……」
シャルロッタがバレンティーナとラニーニの接触の原因を作ったということは、ミーシャに言わなかった。これは愛華だけがこだわっている問題だ。ミーシャに話してシャルロッタを貶めるような真似はしたくない。
「まともに競争してもシャルロッタさんに勝てるとは思ってません。だからわたしには、しつこく粘って粘って、シャルロッタさんがイラついてミスをするまで粘るしかないんです」
愛華贔屓のミーシャから見ても、もし愛華が勝てるとしたら、シャルロッタがミスをする以外考えられない。鬱陶しくストレートの度に並んで、短気なシャルロッタをイラつかせるのは作戦として一つの方法だろう。だがその前に、愛華がミスをする可能性の方が高い。
「今のアイカちゃんなら、ついて行くだけなら無理にパワーアップしなくてもできるんじゃないかな?これまでもそうしてきたじゃない?」
「あれはシャルロッタさんがわたしをチームメイトとして見てたからです。競争相手として本気で振り切りにきたら、あっという間に引き離されてしまいます」
客観的に実力を把握している……。だが冷静そうに思えて、隠しておくべきことを口走ってしまっているのを、ミーシャは聞き逃さなかった。
「アイカちゃん、やっぱりシャルがけしかけてるんだね」
競争相手と言っただけで、シャルロッタにけしかけられたとまでは言ってない。だがミーシャには、シャルロッタが挑発したとしか思えなかった。
ミーシャの読みは、概ね間違いではない。ただ愛華にしてみれば、シャルロッタだけが悪いのでなく、そうさせたのは自分にも責任があるとの意識を持っていた。
「もういいです……。やっぱり無理ですよね。忘れてください。今のままで頑張ります。あと二日、よろしくお願いします」
今シーズンも、あと二日で終わる。その後どうなるのかは、わからない。もしかしたらストロベリーナイツには居られなくなるかも知れない。
これ以上シャルロッタを悪者にするのも、ミーシャを巻き込むこともできない。同じマシンで勝負して、それで勝てないならそれが実力=地位だ。自分にはなにも言う資格がない。
力なく頭を下げる愛華を前に、自分の不甲斐なさを罵るしかできないミーシャだった。




