最終戦にかける思い
毎週レースと移動が続く魔のアジアーオセアニアラウンドを終えて、最終戦のバレンシアまで二週間のインターバルがある。
「二週間もある」なのか、「二週間しかない」なのかは、それぞれ状況によるが、ほとんどの者にとって二週間はあっという間だ。
最も時間が欲しいのはラニーニに間違いないだろう。
右手親指の骨折。
ライディングには代わりの効かない重要な指だ。手術は上手くいったが、二週間でまともにハンドルが握れないかどうか。練習走行、予選も走らなければならないので実質あと一週間もない。その状態で再び転倒すれば、障害が残る危険もあると言われた。
現在愛華とのポイント差は7ポイント、シャルロッタとは9ポイント差。愛華、或いはシャルロッタが優勝した場合、二位でフィニッシュしないと、掴みかけていたシリーズ二連覇の偉業は、ラニーニの手から溢れ落ちてしまう。
勿論他のライダーが優勝すればハードルは少し低くはなる。
噂では、シャルロッタと愛華の間になにかあったらしい。最終戦では、二人がぶつかるかも知れないとネットでは大騒ぎになっている。
アイカちゃんが急にチャンピオンになりたくなるなんて考えられないから、たぶんあのことだと思う。
あれはみんなが勝ちたいっていう強い気持ちの中で起きたアクシデントだから、シャルロッタさんを責めることはできない。けど、アイカちゃんがわたしのことを思って、きっと何か言ってしまったんだ。アイカちゃんはそういう子だから。
だから二人が同士討ちで自滅するのを願うなんて、わたしには絶対にできない。結果がどうなっても、最後まで全力を尽くさなくちゃ。
ラニーニにとって、たとえ最悪の結果になったとしても、タイトルは自分の手で掴むと決意した。
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「最近は一般向けのビデオカメラも、恐ろしいほどよく写るな」
エレーナは、集められるだけ集めたラニーニとバレンティーナが転倒した場面の動画と向き合っていた。
テレビ中継されたものは勿論、別のカメラの映像から、動画投稿サイトにアップされた観客の撮った映像まで、スベトラーナに頼んだら山のように持ってきてくれた。
権利にうるさいMotoGP主催者によって見つけ次第削除される非公式にアップロードされた映像を、何故これほど大量に用意できるかは聞くだけ野暮だ。他国の大統領選挙さえ、ネットを通じて誘導してしまう連中だ。
今回は映像を公開して利益を侵害してる訳ではないので、ゴルナも目をつぶってくれるだろう。
「あまり鮮明に写りすぎると、ヘルメットの中で頬が寄った不細工な顔まではっきり映ってしまって困りものです」
不細工とは無縁のスターシアが、別の機器を操作しながら相づちを打った。その美しい瞳は、レース中と変わらぬ真剣さでモニターを見つめている。
愛華は何か隠している。その場にいた者、目の前でそれを見た者にしかわからない何かが、必ずあるはずだった。
「ここまでは、二人に変わった様子はなかったんだな?」
「ええ、シャルロッタさんも、アイカちゃんの作戦に納得して、私が先に飛び込みました。私はアイカちゃんが続くと思ってましたが……」
「ラニーニがそれを読んで動いているから、シャルロッタの判断は適切だ。ここでラニーニに前に出られたら厄介な事になっていたからな」
ラニーニに先を越されたら作戦は失敗に終わり、バレンティーナとフレデリカまで絡んだ混戦はゴールまで続いただろう。
「……?」
観客席の上の方から撮ったと思われる動画を何度か見直していたスターシアが、急におしゃべりをやめた。
「エレーナさん、この映像、シャルロッタさんのリズムに違和感を感じるのですが……」
エレーナがスターシアの指差すモニターを覗き込んだ。
「うーむ、確かにおかしい気はするが……」
エレーナも同じような映像に違和感を感じたものはあった。しかし、どこがどう違うのかはっきりとしない。どれも素人が手持ちの超望遠で撮った映像だ。いくら性能がよくなったとはいえ、カメラブレはある。確信が持てずそのまま見送っていた。
「フルバンクから逸早く加速するのがシャルロッタさんの凄いところです。でもここでは、ほんの少しだけ待ってる感じがするのですが」
「確かに、シャルロッタにしてはゆっくりしているようにも見えるな……」
エレーナは、自分の前のモニターに、プロカメラマンのコース脇から撮った高解像度スーパースロー映像を映した。
「そういうことか……。ラニーニは開けかけたスロットルを一度戻している。元々ラニーニは丁寧に開けるタイプの上に、レース後半でタイヤに気を使っているんだろうと思い込んでいたが、シャルロッタが遅れたせいでタイミングがずらされていたんだ」
「遅れたと言ってもほんの少しなので余程注意して見ないと、相対的にはいつもと変わりないように見えますね」
「だが真後ろにいたアイカはそれに気づいた 、ということか」
「でも、これだけではシャルロッタさんが故意なのかミスなのかもわかりません。故意にしても、この程度のことはレース中にはよくあることです。今回、たまたま悪い偶然が重なってラニーニさんが怪我をしてしまっただけで、シャルロッタさんを責められるでしょうか」
「そう、それはアイカもわかっているから、なにも言えなかったのだろう。ただラニーニの不運に対してのシャルロッタの態度に、アイカは我慢できなくなった。あいつはそういう娘だ」
最後の言葉に、スターシアも納得した。愛華はどんなに厳しい状況でも、他人の不幸を歓ぶようなことはしない。レース中のアクシデントすべてに心痛めるほど初心ではないが、シャルロッタのあの態度は、ライバルとはいえ同じレースを戦う仲間として許せなかったのだろう。ましてやその原因の一端がシャルロッタにあるとしたら。
「どうします?シャルロッタさんに謝らせますか?」
「シャルロッタも最初のきっかけが自分だとわかっているはずだ。故意に遅らせたとしても、ここまで大事になるとは思っていなかったろう。むしろあいつ自身が一番戸惑っているのかもしれん。ルール的には謝る必要はないが、後ろめたさがあるから、逆にオーバーな歓び方をした、ひねくれているが、わかってしまえば単純だ」
「追いつめるとますます意固地になりそうですね」
「ああ、無理やり謝罪させても、アイカもすっきりしないだろう。そういう面では意外と頑固だからな」
「「………………」」
結局、外から何か言っても、話が拗れるだけという結論に達した。下手をしたら、シャルロッタと愛華の関係が最悪になりかねない。
せめてラニーニには、完全とは言わないまでも元気な姿で最終戦に出場してくれることを願うしかなかった。




