チャンピオンとしてでなく、挑戦者でもなく
(やっぱり風、強いなぁ……)
日本GPの翌日、ラニーニはすでにオーストラリア、フリップアイランドに立っていた。海から吹きつける強い潮風は、ラニーニの短い髪をも乱してしまう。
日本、オーストラリア、マレーシアと三週続けてレースが開催されるアジアオセアニアラウンド。レースが終わればすぐに次の開催地に移動しなければならない強行スケジュールではあるが、コースを走れるのは木曜日からだ。時差に慣れる必要もなく、季節が正反対とはいえ、日本が秋ならオーストラリアは春なので、それほど気を使う必要もない。おそらくライダーとしては一番乗りだろう。愛華たちは日本で一日休養し、火曜日に日本を発つという。
(アイカちゃんは故郷だから)
今ごろは、中学時代の友人たちと束の間の休日を楽しんでいることだろう。
愛華の友人とはいえ、ラニーニもお正月に日本へ行った時、一緒に過ごしたからよく知ってる子たちだ。今回も誘われたが、チームの都合だからと断った。
本当はラニーニも参加したかった。紗季や美穂たちは、愛華とライバルだなんて関係なく、友だちのように接してくれる。ラニーニも彼女たちが本当の友だちに思える。
シャルロッタほどではないが、ラニーニもバイク漬けの少女時代を過ごした。バイク関係以外に親しい友だちと遊んだ思い出はあまりない。
(きっと楽しかったろうなぁ……)
「もう少し日本に居たかった?」
ラニーニの心を見透かしたように、チームの姉的存在のリンダが話しかけてきた。
「そんなことないよ。メカニックの人たちが忙しく働いてるんだから、わたしたちだけ遊んでられないよ」
メカニックが忙しく働いているのはどこのチームも同じだ。ラニーニは言ってしまってから、まるで愛華たちだけが遊んでいるみたいな言い方をしていることに気づいて、バツが悪そうな顔をした。
「まあ私たちも、早く来たからってあまりやることないんだけどね」
軽い口調でフォローしてくれるリンダに、ラニーニは心の中で感謝した。スターシアやハンナといったスペシャリストと比べ、アシストとしての経験も技術も劣っているように言われがちなリンダだが、ラニーニにとっては細かなことまで気づかってくれる頼れる姉だ。もちろん技術的にも劣っているとは思っていない。
「もしかして連続チャンピオンへのプレッシャー感じてる?今年もアイカたちの夢を潰したら、あの子たちに嫌われるって思ってるとか?」
もちろん、これは冗談で言っているとわかるが、ちょっと心外だ。
「それはないよ。逆に手なんて抜いたら、アイカちゃんだけじゃなくて、みんなにも軽蔑されそう」
もしかしたら、ラニーニ自身の気持ちをはっきりとさせるために言ってくれたのかも知れない。
「そうだね。みんないい子たちだもんね。私、GPの中で日本GPが一番好き」
「自分の国じゃなくて?」
「うん、当然アメリカも気合い入るけど、日本は自分の力を一番発揮できるっていうか、この前はコケちゃったけど、それでも観客の人たちは『よく頑張った』って温かい拍手もらったじゃん。日本のファンはみんなやさしいよ。だから自分の国みたいに思いきり走れる。ラニーニもそうでしょ?」
ヨーロッパのファンも、日本に負けないくらい熱い応援をしてくれるが、それは基本、自分の応援するライダーやチームに向けられるものだ。特にラニーニの母国イタリアのファンは、熱狂的過ぎて興奮するとライバルチームにブーイングすることもある。それどころか不甲斐ない負け方なんかすれば、ファンのはずだった人たちから心ない罵声を浴びせられることもある。ラニーニが気づいてないだけかも知れないが、日本ではそんな光景を見たことがない。
「日本は武士道の国だから」
黙って聞いていたナオミが唐突につぶやいた。リンダはちょっと困惑の表情を浮かべたが、すぐに明るい顔を取り戻した。
「う~ん、武士道ってのもあるかも知れないけど、日本のファンは、もちろん贔屓のチームに勝って欲しいって思ってるんだろうけど、どのライダーにも最高のパフォーマンスを見せて欲しいと思ってるんじゃないかな?その意味じゃ、オーストラリアも過激なファンは少ないからのびのびと走れるね。今の私たちの“そのまま”を出せれば大丈夫だよ」
リンダの話を聞いて、ラニーニは自分が落ち着かなかった理由に気づいた。
『今の私たちの“そのまま”を出せれば大丈夫だよ』
思えば力が入り過ぎていた。ここでラニーニが優勝すれば、シャルロッタはタイトル争からほぼ脱落するだろう。食い下がったとしても、ラニーニは余裕を持って残りのレースに挑むことができる。それはバレンティーナに対しても言える。リンダの言う通り、オーストラリアの観客も紳士的だ。マレーシアも過激なファンはあまりいない。だが、最終戦のスペインバレンシアは、イタリアに並ぶGP熱狂国だ。イタリアからも大勢のファンが押し寄せる。パドックでも空港でもホテルでも、絶えず注目を浴びる。プライバシーはない。友だちの愛華と普通に話しもできない。去年はまだ良かった。それほど期待されていなかったから。しかし今年はディフェンディングチャンピオンとして、リードしているポイントリーダーとして乗り込まなくてはならない。最後に逆転されたらと思うと、たまらなく怖い。出来ることならそれまでに決めてしまいたいと、どこかで思っていた。
駆け引きの苦手なラニーニが、それを避けようと自ら沼に嵌まるところだった。
「わかってる。わたしには、確実にポイントを積み上げていくしかないから」
「せめて私がもう少し力があればいいんだけどね」
リンダは冗談っぽく口にしたが、目は真剣だ。明るく振る舞っていても、自分の力の足りなさに一番悔しい思いをしているのは、彼女自身だろう。
「リンダさんにはいつも助けられてるよ。わたしには捩じ伏せる力がないから」
リンダもラニーニも、十分に優れたライダーだ。比較対象が並外れているだけだ。
「わたしたちの走りをするだけ」
ナオミの一言に、二人が頷いた。
このチームに、シャルロッタのような天才はいない。
スターシアのように完璧なライディングテクニックと容姿を持ち合わせている者もいない。
バレンティーナみたいな華やかさもない。
最先端のマシンもない。
はじめから一気に決めてしまうなんてできるはずがなかったんだ。
自分たちには地道にコツコツと積み上げて行くしかない。カッコわるくても、セコいって言われても。
でも最後は、絶対に笑って終えるんだ!




