信頼と自信
シャルロッタがバレンティーナたちに囲まれ身動き取れなくなった時、愛華の身体は無意識に動いていた。
正確に言うなら、勿論意識はあった。状況も把握していた。
一旦はシャルロッタとフレデリカに翻弄されたケリーとマリアローザも、すぐ様何事もなかったように守りのラインを固めていた。
シャルロッタがどんなに神憑ったライディングを駆使しても、あの状況から抜け出すことはできないだろう。普通ならコースアウト、なんとか切り抜けても失速は免れられなくなっていた。
速さだけならシャルロッタとフレデリカが上回っていても、まんまとバレンティーナの罠に填まってしまった。
バレンティーナの狡獪さは、愛華も前から知っている。知っていながら突進させたのはリーダーである愛華の責任であり、弾き出されるであろうシャルロッタのサポートに向かうつもりだった。
が、その時、背後の琴音とハンナが動く気配を感じた。
視界の外だったので、実際に動いたのかはわからない。
ただバレンティーナとアンジェラがシャルロッタたちに集中している今なら、目の前のケリーとマリアローザさえかわせばトップに出られると思った瞬間、身体は勝手に動いた。
スターシアも、まるで愛華の動きを知っていたかのように合わせて動いていた。
簡単には崩せないと思っていたケリーとマリアローザの壁も、プログラムされていたかのような反応で突破していた。気づいたら前には誰もいなかった。
愛華とスターシアがヤマダの壁に穴を開けると、すぐに琴音とハンナも追随する。更にラニーニたちまでがその穴に押し寄せる。
バレンティーナは、慌てて愛華とスターシアを抜き返そうとするが、ストレートだけは馬鹿速いLMSの琴音とハンナが邪魔で、思うようなラインに入れない。別のラインからは、ラニーニたちがこじ入ろうとしてくる。
ラストラップになって、トップ集団はまるでスタート直後のような混戦となっていた。
おかげで脱落したと思われたシャルロッタとフレデリカも、集団最後尾に食らいつき、かろうじて可能性を残している。
毎レース激戦続きのMotoミニモであっても、トップ4チームが、誰も欠ける事なく最終ラップに激突するのは稀である。
日本のファンは歓喜した。このまま愛華がバレンティーナやラニーニを抑え優勝し、シャルロッタが上位入賞を逃すようなことになれば、現実として愛華のストロベリーナイツエースが確定するだろう。そして日本人初のMotoミニモチャンピオンも、夢でなくなる。
それだけに、図らずも最終局面でトップに躍り出てしまった当の愛華の心境は複雑だ。
愛華がヤマダの必勝体勢を崩したことによって、結果的にシャルロッタはトップ集団から脱落しないで済んだ。
と言っても、残り僅か一周で、シャルロッタが一人で先頭まで上がって来られるのか?それは愛華とスターシアがアシストにまわっても、可能性はそれほど大きくはならないだろう。4チームのライダーが、無秩序に前へ出ようとしているからペースが落ちているのだ。二人が引けば、それだけ集団は速くなる。もう一度追いつけるほどの時間はない。
しかし愛華は、たった数周前に、シャルロッタをチャンピオンにすると誓ったばかりだ。
レース前に交わした、紗季と由美との会話を思い出す。
シャルロッタが紗季たちとの優勝パーティーを楽しみにしていた顔が浮かんだ。
「スターシアさん、できる限りスローペースに持ち込んで、シャルロッタさんを待ちます」
愛華らしいと言えば如何にも愛華らしい決断だ。
しかし、スターシアの返答は……
「アイカちゃん、気持ちはわかりますけど、その指示には従えません。今優先すべきは、バレンティーナとラニーニさんに高ポイントを獲らせないことです」
スターシアは正論で愛華の指示を拒否した。
愛華もこの状況でシャルロッタの優勝にこだわれば、彼女だけでなくストロベリーナイツのタイトルの可能性もなくなりかねないことは想像はできる。
もしここでバレンティーナに勝たせてしまえば、ヤマダワークス全体が勢いづいてしまう。ラニーニが勝てば、ランキング首位を揺るぎないものとするだろう。
「でも……」
たとえシャルロッタの展開を見誤った暴走だとしても、愛華もそこまで見通せなかった事実は変わらないし、1パーセントでも可能性があれば諦めたくない。ましてそれを利用して自分がトップを狙うなど、愛華にできるはずがなかった。
「ごちゃごちゃ考えてないで、全力で走りなさいよ!!」
振り払うことのできない愛華のヘルメットの中に響いてきたのは、シャルロッタの声だった。
「あんたが一番前で塞いでいるから、渋滞が起きちゃってるのよ!あたしが思い切り走れないじゃないの!」
「シャルロッタさん……だけどそれじゃ、わたしが優勝してしまうかも……」
シャルロッタは本気で挽回できるつもりのようだが、愛華が優勝すれば、事実上シャルロッタはタイトル争いから脱落してしまう。
「余計な心配してんじゃないわよ。あんたが全力で走っても、集団が拡がれば一周で追いついてあげるわよ」
まるで愛華が邪魔ものであるかのような言いようだ。おそらくはペースをあげて集団をバラけさせてもらいたいのは本心だろう。それで追いつけるかは別だが。
「だそうですよ。シャルロッタさんはともかく、私たちは一度下がったら、残り一周で再びトップに戻ることはできません。仮にシャルロッタさんが優勝しても、バレンティーナやラニーニさんを表彰台に立たせてしまえばタイトルは遠ざかります。シャルロッタさんを信じて、私たちは私たちのベストを尽くしましょう」
大きく離されたポイント差を埋めるには、リスクを背負わなければならない。
スターシアさんの言う通りだ。スターシアさんはいつも正しい。わたしはわたしの今できることに、ベストをつくさなくちゃいけないんだ。シャルロッタさんは、わたしなんかよりずっと速い。でもわたしにはスターシアさんがいつも見守ってくれてる。だからみんなを信じて、わたしの全力を出そう!
正直、スターシアはシャルロッタがトップでフィニッシュできる可能性は極めて小さいと考えていた。それどころか、自分と愛華の二人でフル体制の強敵たちを抑えて勝つのも、決して容易くないと見ている。それでも、自分が全力でアシストすれば、愛華なら勝てる、必ず勝たせてあげると胸の中で宣言していた。
しかし、愛華はスターシアの言葉を、そのまま受け取った。ある意味、シャルロッタを超える楽観的思考で。
「わかりました。わたし、全力で逃げますから、シャルロッタさん、追いつけるなら追いついてください!」
見放したようにも聞こえるが、疑うことないシャルロッタの速さへの信頼と、彼女以外に自分とスターシアが追い越されるはずがないという絶対的な自信は、言われた側も熱くさせる。
「はぁ?自惚れてるんじゃないわよ!」
「わたしだって少しは速くなってるんです。それにスターシアさんが一緒ですから。いくらシャルロッタさんでも、一人で勝てますかね?」
「いいわ、絶対に捕まえてやるから!」
シャルロッタがぷんすか怒るが、今さら冷静になるより期待できる。それよりなんとなく楽しそうに思えてしまうのは気のせいだけではあるまい。
「アイカちゃん、あんまり刺激しますと、本当に追いついてしまうかもしれませんよ」
「ですね。スターシアさん、みんなまとめて置き去りにしますから、全力でアシストお願いします!」




