モーターサイクルは、テクノロジーと人間のロマン
この日本GPをヤマダは、シーズンタイトルの上でも、ホームであるモテギで二年連続して優勝を奪われているという屈辱からも、絶対に負ける訳にはいかなかった。そのために、シーズンの始まる前から万全の準備をしてきた。
コースの舗装の状態から天候、気圧と気温から路面温度の変化まで、ホームのアドバンテージを活かした膨大なデータと完璧なマシンセッティング。
雪辱にかける意気込みと執念は、フリー走行からワークスチームの全てのライダーが、これまでのコースレコードを上回る形で表れていた。
予選が始まると、先ずマリアローザが昨年の予選タイムを軽く上回り、続くケリー、アンジェラも次々と記録を更新していった。
ランキング5位のスターシアがアタックに挑む時点で、アンジェラがトップタイム、ケリーが二番手、三番手に同じヤマダエンジンを積むLMSのフレデリカが入っているが、四番手のマリアローザまで、暫定グリッド一列目はすべてヤマダに占められていた。
スターシアの走りは、決して悪くなかった。いつものようにほぼノーミスで、ライディングの手本のような走りを日本のファンに披露する。あまりに優雅な走りにタイム短縮への執着がないようにも見えるが、これもいつものスターシアだ。速く走ろうと力んだところでタイムは縮まらない。むしろ遅くなる事の方が多い。派手ではないが、流れるような美しいフォームは、目を吸いつけられてしまう華やかさがある。
ただ、この予選ではヤマダの技術者たちの執念が上回った。
なにしろ、スターシアがグリップと相談しながら慎重に操作していかなくてはならないところでも、ヤマダを駆るワークスライダーたちは、フルブレーキングから思いきりよくマシンをバンクさせ、躊躇なくスロットルを開けて立ち上がって行ってるのだ。
スターシアのタイムは、ヤマダワークスの中では一発の速さに欠けると言われるマリアローザに、僅かに届かなかった。
もう出力特性の違いというレベルではない。まるでモテギのすべてのコーナーのスロットルワークが、プログラムに組み込まているのではないかと噂されるほど彼女たちはスムーズだった。
ランキング上位四人を残すも、その中にはヤマダのエース、バレンティーナがおり、ここまでのヤマダ勢の好タイムから、ポールポジションへの期待が高まる。もしかしたらフロントローをすべてヤマダエンジンが占めるのでは、とまで思われた。
そんな中、前日までのフリー走行では平凡なタイムしか記録していないシャルロッタが、トライアルラップに入る。ヤマダ関係者は息を詰めて見つめるが、スタンドのヤマダ応援席は浮ついた空気が漂っていた。
メインストレートを通過して1コーナーへの減速姿勢に入ったところで、大型モニターにストレートのトップスピードが表示される。
スタンドがどよめいた。
フリー走行では、単独のストレートスピードでワークスヤマダより5㎞/hは遅かったはずのスミホーイが、暫定トップのアンジェラと変わらない最高速度が表示されている。
つまり最終コーナーからの立ち上がりスピードが速いのだ。
折り返しと直線が繰り返される前半の区間計測では、アンジェラから0.01秒遅れ。
しかし、ダウンヒルストレートを下ったブレーキングからホームストレートに戻って来るまでの後半部分では、時計を見なくてもわかるほどの速さの違いを見せつけてくれた。
練習走行で見せていたコースとマシンを合わせるような走りとはまるで違い、好き放題暴れ回る従来のシャルロッタの走り。バイクに乗っているというより、タイヤもサスペンションも身体の一部のように自由自在に動かしているかのように爆走する姿は、従来より数段パワーアップした感がある。勿論、マシンでなくライダーがだ。
シャルロッタは後半部分だけで0.5秒以上縮めて、暫定トップのタイムを記録した。
次にトライしたバレンティーナもプレッシャーの中、マシン性能を引き出す素晴らしい走りを見せたがシャルロッタの理屈を超えた走りには届かない。
日本のファンと友だちの応援に後押しされた愛華は、頑張ってマリアローザを上回るが、二列目6番グリッド。
ラニーニはスターシアに次ぐタイムを記録するも三列目9番グリッドで、決勝は厳しいスタートポジションとなった。
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予選上位者のインタビューに姿を見せたシャルロッタは、これまでのうっぷんを晴らすかのようなドヤ顔を晒していた。
二番手三番手のバレンティーナとアンジェラに向けられた「ヤマダのマシン仕様は、モテギスペシャルだったのか?」という質問に、横から割り込む。
「コンピューター制御とか、誰でも安全に走れる装置としてはいいと思うわ。でもそれであたしに勝とうなんて、ちょっと頭の方が『大丈夫?』って心配ね」
訊かれてもいないことをムカつく顔でしゃべりはじめるが、あの圧巻のタイムアタックを見せつけられては、バレンティーナもすぐに言い返せなかった。
それにしても、シャルロッタから頭を心配されてしまったヤマダの技術者たちは、さぞショックだったろう。
ただし記者たちにとっては、これぞシャルロッタらしい発言と食いついた。
「まだまだコンピューター制御はレースで勝てる段階にないと?」
当初質問を向けていたバレンティーナをさし置いて、シャルロッタへの質問が飛ぶ。
「オリンピックの100m走をコンピューター制御で走るやついる?おんなじよ」
例えとしてよくわからないが、確かにシャルロッタの予選アタック、特に後半部分は、まるで陸上のダッシュを見ているような人間(野生?)の躍動感があった。
加速や制動力を決定づけるタイヤのグリップ力は、タイヤの性能と回転だけで決まるものではない。ライダーの荷重のかけ方一つで、瞬間的に高まったり弱まったりしてしまう。コンピューターではライダーの動きまで制御する事は出来ないので、タイヤ性能の最も引き出せる域で回転を制御し、ライダーには余計な動きをさせないのがヤマダの考え方だ。
最も丁寧にマシン操作するスターシアですら、今回マリアローザのタイムに及ばなかった事実からも、その考え方が間違っているとは言えない。通常のレベルなら、明らかに人が操作するより優れているだろう。
それでも、陸上短距離ランナーが自分の脚でトラックを蹴るように路面を踏みしめるシャルロッタには追いつけないと言う事だろうか。
すべてが自動化されていく現代において、最先端のハイテクに生身の天才が勝つという構図は、ワクワクするものがある。
「ワンラップのタイムアタックなら全力疾走出来ても、一時間近く走らなければならない決勝では息が続かないのでは?ヤマダはアシスト全員が上位グリッドに揃ってますが」
GPを追いかけている記者の中では古株の記者が質問した。シャルロッタの生まれる前、エレーナがこの世界に登場した頃、GPを走っていた元ライダーでもある。
「あんた、わかってないわね。何年レース見てんの?レースってのは一人で走るんじゃないのよ。モテギスペシャルだかなんだか知らないけど、レースがプログラム通りに走れると思ってんの?ラインが一台分ずれたらもう別のコーナーよ」
実際にヤマダもそこまでシビアにセッティングを突き詰めてはいないだろうが、ラインの僅かなずれ、進入速度の違いで別の顔を見せるコーナーは確かにある。極端な話、敵味方のライダーが入り乱れて走るレースでは、毎周ちがうコースを走っていると言っても過言ではない。
当然、そのベテラン記者もわかっていたが、小馬鹿にしたシャルロッタの口振りに不機嫌になるどころか、むしろ歓んでいるようにも見えた。
彼もマシンの電子化を快く思っていなかった。
レーシングマシンが進化していくのは当然であり、していかなくてはならないとは思っている。記者として、速さを追求していくには電子化は避けられないと理解はしていても、やはりブラックボックスの中の信号のやり取りで行われるレースに、根っからのライダーである彼には馴染めないものがあった。
シャルロッタやフレデリカのようなライダーに、もっともっと暴れて欲しい。常識をぶった切る痛快な記事を発信したい。
彼の読者もそれを待っている。
「でもヤマダは今回、全員が安定した速さを示しています。そのようなチームにレース全般を通じて堅められると、さすがにシャルロッタさんでも厳しいのでは?」
別の記者が質問した。彼も否定する事でシャルロッタらしい発言を期待しているのだろう。調子にのったシャルロッタの口も軽くなる。
「はい?なに言ってるの。ポールポジションはあたしなんですけど。堅めるってあたしの後ろで?もし仮に、あたしが独走しすぎて退屈になって途中で寝ちゃっても、スターシアお姉様が蹴散らしてくれるわよ。今日の予選結果がスターシアお姉様の実力だと思ったら大間違いだから。アイカもあたしがいない間に少しは速くなったみたいだから、束になって相手してあげるといいわ」
そこは自分でいかないのか?と突っ込みたくなるが、当たり前のように愛華の実力を認めるようになった事がシャルロッタの成長を感じさせる。
果たして、その愛華が、最大のジレンマになるとまでわかっているのか……
「そのアイカさんのポイントなんですけど、」
「もうこれくらいでいいでしょ?あたし、友だちを待たせてるの。またレース後の勝利者インタビューでね」
バレンティーナへの質問に割り込んで、言いたい事だけ言って勝手に打ち切ってしまった。
これもシャルロッタらしいと言えばシャルロッタらしいのだが、インタビューとしては肝心なところに迫れず終わってしまった。
タイトルの行方を予想している記者なら誰でも気づいている。しかし今の時点では、まったくの肩透かしに終わる可能性もある。常識的にはその可能性が高い。
慌てることはない。もう少し熟すのを待とう。きっと期待を裏切らないはずだ。
かつてはGPのおまけのような扱いだった最小排気量クラスだが、今Motoミニモは、GPで最もおもしろくエキサイティングなクラスになっている。




