めざしてきたのは栄光か、それとも……
「それよりシャルロッタの様子はどうだ?」
エレーナは、話題をレギュレーションの問題からシャルロッタに替えた。将来のGPのあり方より、先ずは今季のタイトルだ。
代役で一時現役復帰していたが再び専業監督に戻ったエレーナには、やはりピットからではわからないコース上の生の空気が知りたかった。愛華もチームリーダーとして着実に成長しているが、経験と冷静な分析力という点では、まだまだ未熟な部分がある。シャルロッタの好調さを、無邪気に歓んでいる時点で、一人前とは認められなかった。
もっとも、ギスギスしてしまうよりマシなのかも知れないが……。
「ここまでは文句のつけようのないほど完璧です。でも調子がいいとお調子に乗り過ぎてしまうのがシャルロッタさんです。それはたぶん、彼女には世間で思われているより遥かに繊細なところがあって、それを悟られないために必要以上に大きく見せようとしてしまうからでしょう。だから今回もうまく行きかけたところで暴走しなければいいのですが」
スターシアの報告は、緩いようでポイントはいつもしっかり抑えていた。
「その点は問題ないだろう。散々馬鹿な失敗を繰り返してきたが、今度ばかりはこたえているようだ」
「でも彼女、アイカちゃんの友だちにいいところ見せようと張り切りすぎてしまいそうで……」
「その可能性もない訳ではないが、彼女たちの存在は、シャルロッタにとって今一番のモチベーションになっている。無意味なパフォーマンスより、表彰台の一番高いところに立つところを見せたいと思っている」
「そうですね。チームの雰囲気もよい緊張感に包まれていますし、下手に水をさしてもマイナスの効果しかないでしょうから」
正直なところ、エレーナもスターシアも、シャルロッタの集中力を保ったまま落ち着かせる方法が思い浮かばない。今のままを維持できるなら、それが彼女にとって最も実力を発揮できる方法なのは間違いない。
二人とも本当に心配しているのは、そのことではなかった。
問題はその先だ。
おそらくチームのスタッフも、ほぼ全員、気になってているだろう。中心の二人以外は……。
「ハンス先生は素晴らしい仕事をしてくれた。シャルロッタは完全復活したと言っていいだろう」
「以前以上です。今回は体力的にも途中でダレることはなさそうですし。アイカちゃんも調子良さそうです。もちろん私も万全です。どのチームも、今のストロベリーナイツを負かすことはできないでしょうね」
シャルロッタの欠場中、愛華とスターシア、完全とは程遠い状態のエレーナの三人で、ブルーストライプスやワークスヤマダと対等に渡り合い、二勝あげることができた。そこに負傷前より更に強さを増したシャルロッタの復活は、残り四戦を全勝で飾るというのも現実味を帯びて来る。
「私たちが厳しい決断を迫られることも、現実味を帯びて来ましたね……」
スターシアがようやく心に澱んでいた不安を切り出した。
それはこういう事だ。
現在、シャルロッタとラニーニとのポイント差は44ポイント。これからシャルロッタがすべてのレースで優勝しても、ラニーニの順位次第では届かなくなる。バレンティーナにも、入賞ポイントを重ねられれば逃げ切られる可能性がある。
そこで愛華とスターシアがその間に入らなくてはならない訳だが……、実際今のストロベリーナイツなら表彰台独占も不可能ではない。だが、愛華のランキングは、バレンティーナの上にいる。
つまり、シャルロッタをチャンピオンにするために愛華が表彰台に上がり続けると、シャルロッタの逆転タイトルを阻む最大の驚異は愛華となってしまうというジレンマが生じてくる。
チームオーダー……
日本GPを迎える時点で、50ポイント以内ならシャルロッタのエースで行くと約束した。彼女に可能性がある段階で愛華をエースにした場合、シャルロッタがどういう態度に出るかわからない。そもそも口頭であっても、交わした約束を反古にする事は、チームの長として許されない。
こうなる事は、もっと前から、考えていなかった訳ではない。
しかし、エレーナもスターシアも、シャルロッタのためにと頑張る愛華の前では口にしなかった。シャルロッタはおそらく、間に合わないと踏んでいた。
シャルロッタ欠場中のライバル達の勝ち点の分散。
そんな中、十分とは言えないサポートであげた愛華の二勝。
予定より早くなったシャルロッタの復帰。
前回、ラニーニが下位に沈んだ事。
そして今回の予想以上の好調さ……。
一見、シャルロッタ逆転チャンピオンが着実に進んでいるように見えて、大きな誤算を生じさせていた。
一つ一つは小さな予想のずれだが、それが重なり、タイトルに近づけば近づくほど、判断を難しく、厳しい状況に向かわせていた。
少しでもシャルロッタが優位になるように、スターシアの後ろでゴールしろと言えば、愛華は指示に従うだろう。最初から愛華はそのつもりだ。愛華が受け入れたとしても、いつもスターシアが二位に入れる保証はない。シャルロッタの全開ペースに合わせれば、ゴールまで燃費がもたない場合も出てくるだろう。
従って愛華には、これまで通り走ってもらうしかない。
シャルロッタの逆転チャンピオンが見えて来た。だがその目標が近づくほど……
場合によっては、愛華に棄権してもらわなければならなくなる可能性も出てきた。
それよりも、愛華が唯一自分の前にいる存在となった時、シャルロッタはありがたく譲ってもらうだろうか?
一見落ちついたように見えるシャルロッタだが、本能を抑えきれるとは思えない。
「気が早いな。レースはなにが起こるかわからない。前のレースではナオミに優勝を持っていかれたのを忘れたか。ホームであるモテギで二連敗しているヤマダも、今回はなんとしても雪辱を果たそうとしてるぞ。まだ手にしていない勝ち点を計算するより、レースに集中しろ」
エレーナは自分自身に言い聞かせるように、きつい口調で吐き棄てた。
「私もアイカちゃんに、最後までそう言い続けられるならいいんですけど。なにが起こるかわからないからこそ、エレーナさんの本音を知っておきたいのです」
現実から目を逸らしているようにも見えるエレーナの態度に、スターシアも苛立つように迫った。
「私の本心は、目の前の日本GPの確実な勝利だけを考えている」
どちらにチャンスがあるにしろ、勝ち続けるしかない。
勝ち続ければ、遠からず愛華も気づくだろう。そしてシャルロッタも……
気づかずに終わるとしたら、ラニーニかバレンティーナのタイトルが決まった時だ。
いっそシャルロッタにチャンピオンの可能性がなくなれば、愛華を全面的に押し出せる。
心優しすぎるところが歯痒かった愛華も、行くしかなくなる。
だがエレーナは、心の奥底で、もっと大きくどす黒い期待していることを自覚していた。
二年前、自分に牙を向けてきたGP史上最狂最速の天才。
年甲斐もなく、受けて立ってしまった。身体に流れる血が、あの才能を見せつけられて、背を向けることなどできなかった。
今となっては到底敵わなくなってしまった自分に代わって、その剥き出しの才能に噛みつかれた時、愛華はどうするだろうか?
それでも役割に徹するのか、それとも……。
シャルロッタの牙には、立場だとか責任感など麻痺させてしまう猛毒があることを、エレーナは身を持って知っている。否、麻薬と言うべきか。あれほどの興奮は他にない。
どうするアイカ?あいつの牙は、おまえの殻など容易く噛み砕いてしまうぞ。
運命論など鼻で笑うエレーナだが、まるでそれが運命で定められているように思えた。




