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最速の女神たち   作者: YASSI
進化する世界
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可愛い後輩

 ホテルの部屋に入った愛華は、まず移動中にスマートフォンに届いていたメッセージの返信をする。

 ほとんどは白百合女学院時代の友だちからだ。だいたいは日本GPの応援に行くという内容か、来られない子からの応援メッセージだったが、一つずつ順に丁寧に返信していった。

 そんな中で、ある一つのメールで手が止まった。ちょうど飛行機の中で思い出していた後輩の由加理からだ。


 由加理も今、水戸にいるという。愛華はメールで返信するより、直接電話をすると、なんと同じホテルに泊まっているらしい。部屋の番号を伝えるとすぐに会いに来た。


 半年ぶりの再会に抱きつかんばかりの喜ぶ由加理に、両手のハイタッチで距離をとり、再会の挨拶を交わす。別に嫌っている訳ではないが、部屋にはシャルロッタとスターシアさんもいる。由加理の過剰なスキンシップはちょっと恥ずかしい。どさくさ紛れにスターシアさんが抱きついて来る危険性もある。


「でもどうしてここにいるの?学校はまだ休みじゃないよね。進学はこっちの大学とか?」

 再会の興奮が落ち着いたところで、愛華は由加理が水戸にいる理由を尋ねた。


 インターハイで3位に入賞すれば、体操の強い大学から声ぐらいかかるだろう。関東の体育大学あたりへ進学するために来ているのかもと思った。しかし、由加理の返答は意外なものであった。


「いえ、大学へは進学しません。体操は大好きですけど、自分の限界はわかってます」

「え?それって体操はやめるってこと?どうして?インターハイで3位に入ったなら、頑張れば日本代表だって夢じゃないでしょ!?」

 大学進学だけが体操を続ける道とは思わないが、由加理が自分の限界を口にしたのが、まるで体操をやめることを決めているように感じた。

「3位に入れたのは、わたしの一番得意種目の跳馬だけです。それもわたしのベストの演技して、やっと立てた表彰台です」

 力を出し切って全国で3位という成績なら誇っていいのでは?なのになぜ限界なんて言ってしまうのか?


 納得できない愛華の顔に気づいた由加理は、さらに言葉を続けた。

「そんな顔しないでください。順位は3位ですけど、正直わたしと1位2位の子との間には、埋められない差があるのを感じたんですよね。あと先輩のライバルだった一つ上の人いましたよね。今、この三人が同世代では抜きん出てます。本当だったらこの三人に河合愛華選手を加えた四人が、日本の女子体操界を引っ張って行くはずだったんですけど」

「わたしなんて……ってそれより由加理だってポテンシャルは負けてないはずだよ!跳躍力なんてもう女子のレベル超えてるから」

「でも表現力の無さは致命的です。あの人たちは、本当に小さな子どもの頃から英才教育受けていますから。わたしなんて、競技としての体操を本格的に始めたの、中学に入ってからですよ」

 トップクラスのほとんどの選手が小学校に上がる前から体操教室に通っている。愛華のライバルだった子は、両親とも日本代表だったサラブレッドだ。

 愛華も遅い方だったが、由加理は小学校高学年まで、鉄棒や跳び箱で遊ぶのが大好きなだけの普通の少女だった。六年生の時、愛華も所属していた体操クラブの体験教室でコーチに才能を見出だされ、白百合女学院の体操部に入った。

 愛華の当時の記憶では、ものすごく上達が速く、抜群に運動神経が良かった印象だ。特に身体のバネは、垂直跳びで年上の愛華を超えるほどのものを持っていた。

 ただ、なまじ才能があるために、しっかりと基本をマスターするより新しい技に挑みがちで、どうしても雑な演技と見られていた。

 遅く始めて髙難度の技を身につけようとすれば仕方ない部分もあるが、だからこそ、研いていけばトップも夢じゃないはずだ。怪我で体操選手の道を断たれた愛華にとってはやるせない。


「先輩の言いたいことはわかります。でも、知ってると思いますけど女子体操選手のピークは二十歳手前ぐらいです。頑張っても二十代前半までですよね」

「三十近くまでトップで頑張ってる人もいるよ」

「もちろん知ってます。だけどそういう選手は、十代で一流の仲間入りしてた人です。長くモチベーションを保ち、競技力を維持するのは凄いと思いますけど、若い頃にすでに飛び抜けた実力があってこそですよ。高校生の中でも3位がやっとなのに、どんどん成長してくる次世代と年々進化する技術に対抗できるはずないじゃないですか」

 愛華は何か言おうとしたが、言えなかった。由加理の言ったことは事実だ。楽しむため、健康のためなら生涯続けられるスポーツだが、現実、女子体操の選手生命は幾多のスポーツの中でも特に短い。世界でトップを争っているのは、多くが十代の選手だ。

 もし愛華が体操を諦めるしかないような怪我をせず、そのまま続けていたとしても、そろそろ最終的な引退時期を視野に入れている頃かも知れない。

 体操ができなくなったから今の自分があり、レースの世界ではまだまだ新人だ。人生はわからない。さみしい気持ちもあるが、由加理が才能を活かせる世界を見つけたのなら、応援してあげたい。


「それで、どうするの?」

「そうそう、先輩を驚かせようと内緒にしとこうと思ったんですけど、もう我慢できません!」

 愛華の質問に、由加理は顔をパッと明るくした。

「じゃーん、発表しま~す。わたくし加藤由加理は、鈴鹿レーシングスクールMotoミニモコース第一期生に合格しましたーっ!」

 由加理が突然大きな声をあげたので、大人しくテレビを観ていたシャルロッタとスターシアが振り返った。まあ二人とも、わからない日本語を一生懸命聞き取ろうと聞き耳を立てていたようだが。


「スズカレーシングスクール?」

 愛華が聞き直すと、由加理は褒めて欲しい子どものように詳しく説明を始めた。

「はい!日本版GPアカデミーみたいなもんです。鈴鹿レーシングスクールは昔からあったんですけど、先輩の活躍で日本でもMotoミニモ人気が高まってきたのに合わせ、Motoミニモコースを開校することになったんです」


 愛華も以前、YRCの人から「日本でも若手育成のためのレーシングスクールを始めるから、良かったらゲスト講師でもいいから顔を出してくれるとうれしい」と声をかけられたことがある。正式な依頼ではなく、YRCの人も詳しくは言えない段階だったようで、その時はそれで終わったが、まさか由加理が生徒として入るとは思わなかった。


「定員10人のところに500人近くの応募があった狭き門を突破しました。オートバイに乗ったことは、先輩たちとお正月の番組収録の時しかないから、実技はほぼビリでしたけど、運動能力テストはぶっちぎりの一番で、唯一のレース未経験合格者です」


 愛華のGPでの活躍で、本家のGPアカデミーでもレース未経験者枠を広げたという。おかげでレースとは別世界にいた女の子たちの中からも、オートバイに興味を持ち始める子が増えてるらしい。

 ヤマダが親会社である鈴鹿レーシングスクールもそれを狙った訳ではなかろうが、愛華と同じ体操部出身で直の後輩なら、それだけで話題性はある。もっとも、由加理の運動能力を見れば、誰も文句はつけられないはずだ。むしろ他のレース未経験でテストに挑んだ子に同情する。引き立て役にしかならなかったことだろう。


 本格的には、レースシーズンの終わった11月から鈴鹿サーキットで基本トレーニングが始まり、春からはレースへ参戦しながらの世界をめざしたカリキュラムが組まれているという。


「今回は日本GPの会場で御披露目と本物のMotoミニモレースを(ライブ)で見るって名目ですけど、レース運営のお手伝いに駆り出されるみたいです。明日の早朝サーキット集合なんですけど、足がない人はここから連れてってもらえることになってるんです。でもまさか先輩たちと一緒のホテルなんて、びっくりです」

「わたしも驚いた。やっぱりこのホテルって、レース関係者御用達だったんだね」

 愛華と由加理の楽しそうな声が部屋に響いた。


 シャルロッタが不満そうな目で睨みつけてくるので、愛華はシャルロッタとスターシアに由加理が日本版GPアカデミーに合格したことを説明した。


「おもしろじゃない。GPに来たら可愛がってあげるから、早く上がって来なさい」

「一緒に走れるといいわね。もしかしたらライバルになるのかしら?」

 GP史上最狂最速と吟われるシャルロッタとGPで最も美しいライディングと容姿を誇るスターシアから祝福されて、由加理は今にも舞い上がりそうだ。無理もない。愛華だって初めてエレーナとスターシアから声をかけられた時、頭が真っ白になった。

 

 

「それにしても、500人も応募があるなんてすごいね。もちろんその中から10人に残った由加理はすごいよ」

 由加理が冷めるのを待って、愛華は話を戻した。

「そうなんです。正確には500人にはちょっと届かなかったらしいんですけど、入学するには全部ひっくるめて300万円近く必要だってのに、先輩のおかげで日本でもすごい人気です」

「ちょっと待って。由加理そんなお金、どうするつもり?」

 GPアカデミーは、スペインの石油会社がメインスポンサーで、二輪業界全体が支援しているので基本()一つでよかった。それでも渡航費用などでけっこう祖父母に負担をかけてしまった。女子高生の由加理が簡単に用意できる額ではない。

「親に土下座してお願いしました。大学行かないかわりにお金出してくれって言ったら、激怒されて、しまいには泣かれて、説き伏せるの大変でした」

 それはそうだろう。体操選手の選手生命が如何に短くても、またたとえ大成しなくても、大学に進学すれば、その後の人生に役立つ。

 レーシングスクールなど、レースに関わる以外何の経歴にもならない。しかも命を落とすリスクだってある。


「由加理、本当によく考えた?」

 愛華は自分のことを棚に上げて、慕ってくれる後輩をやくざな世界に引き込んでしまったのではないかと不安になった。

「自分でバイク買ってレースしようと思ったら、全然安上がりですよ。ヘルメットもつなぎも支給で、練習環境もレースのサポートも支援してもらえるんですから。もちろん、親へは成功してもしなくても、少しずつ返していくつもりです」

「そういうことじゃなくて……なんていうのかな、幸せを求めるなら大学に進学した方がいいんじゃないかと」

 由加理はきょとんとした顔で愛華を見た。それからシャルロッタとスターシアも見る。

「先輩は、幸せじゃないんですか?」

「幸せっていうか、レースにはすごく大変なこともいっぱいあって、たぶんみんなが思っているほど華やかじゃないし、シャルロッタさんほどの人でも怪我して痛くて苦しい思いすることもあるし」

「先輩だって体操で怪我しましたよね」

 確かに怪我のリスクで言えば、体操もあまり変わらないかも知れない。

「…………」

「先輩は、今、幸せじゃないんですか?」

「大変だけど、充実してる……でもそれは、わたしがエレーナさんに憧れて、自分もそうなりたいって決めた道だから」

「わたしにとっては愛華先輩が憧れなんです。白百合の中等部で先輩に出逢ったときからずっと憧れでした。先輩がいなくなっても、先輩のいた体操部は守ろうと頑張ってきました。大学には先輩の大切なものはどこにもありません。わたしは役目を果たしました。白百合の体操部は後輩が引き継いでくれます。だから体操に未練はありません。遅くなりましたけど、これから先輩を追いかけます。先輩がエレーナさんのようになりたいと思ったのと同じで、わたしは先輩のようになりたいです。わたしは先輩より不器用ですから届かないかも知れないけど、これがわたしの選んだ道です!絶対に後悔はしません」


 なんてことだろう……涙が溢れてくる。

 愛華も不器用だけど、本当に、この子はもっと不器用だ。

 白百合女学院の体操部は、愛華の活躍によって全国の強豪校の仲間入りし、中学時代の愛華が一番輝ける場所であり、一番大切な居場所だった。

 もちろん、由加理自身に体操の才能があり、好きだったこともあるだろうが、愛華の愛した体操部を守りたいからずっと頑張ってきたなんて……。そんなこと言われたら、もう涙が止められなくなる。


「由加理ちゃん、ずるいよ……」

「どうしてですか?」

「勝手にわたしの大切なもの守るとか……卑怯だよ」

「先輩の方が卑怯です。先輩が世界で戦っている姿見せられたら、わたしだって頑張るしかないじゃないですか」

「わたしなんて目標にしてたらダメだよ……」

「どうしてですか?」

「すぐに追いついちゃって、そこで終わるから……」

「わたしは愛華先輩みたいになりたいんです」

「エレーナさんは……?」

「今、走ってないし」

「スターシアさんは……あっ、ちょっと残念なところあるからあまりおすすめできないな……。シャルロッタさんは……もっと真似しちゃいけない人だし……。そうだ、ラニーニちゃんなら上手だし、真面目で努力家だし」

「先輩、ラニーニさんのこと好きなんですか?」

「え?好きって……ライダーとして尊敬してるっていうか、真面目だし努力家だし可愛いし」

「絶対に嫌です!」

「どうして?」

「嫌だから嫌ですっ!」

「だからどうして?いい子だよ!やさしいし真面目だし努力家だし可愛いんだから!」

 由加理がキレ気味に大きな声で拒否すると愛華も大きな声で反論した。反論というより単純な褒め言葉を繰り返してるだけだ。それがますます由加理をキレさせる。

「あの人は泥棒猫です!」



「ちょっとあんたたち、ケンカしてるの?アイカのことが嫌になったんなら、あたしのところに来なさいよ。下僕にしてあげるわ」


 愛華の大切な後輩が、一番ついてはいけない人から勧誘された。


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