やさしいスターシアさん
シャルロッタは、ピットロードに設置された特設ステージの上で、じっと目を閉じ、溢れるエネルギーを解き放つ時を待っていた。
やっとこの場所に帰って来た。
ここは、あたしの生まれ育った故郷……
観客席がどっと沸いて、自分の世界に入りかけていたシャルロッタを現実に呼び戻す。
おそらく、コントロールラインを通過したフレデリカが、トップのタイムを記録したのだろう。場内アナウンスが、なにかがなり立てているが、歓声にかき消されてなにを言ってるのか聞き取れない。
まあ、その位置なら、トップタイムは当然よね……
フレデリカの好タイムに興奮醒めやらぬメインスタンド前を、スターシアが通過して行く。次の周にタイムアタックに入るはずだ。
最後に出走するラニーニのアタックが終わるまで、会場のボルテージは下がることはないだろう。
係員がシャルロッタの肩を叩いて、コースインを指示した。
以前なら、くどいほどのパフォーマンスで、早く出て行くように促されるシャルロッタだったが、静かにクラッチをつなぐと、ゆっくりとスロープを下った。
感覚は、まったく鈍ってはいない。
マシンも意思通りに動く。それどころか、まるで翼が生えたように早く羽ばたきたがっている。
もう少しのがまんよ。思いきり翔ばせてあげるから。
リハビリ中のトレーニングは、シャルロッタの感覚と筋肉を、以前以上に研ぎ澄ましていた。
ライディングに余計な筋力など必要ないと思っていたシャルロッタだが、この体の切れがトレーニングの成果であることを認めた。
フレデリカのタイムは見なかった。そろそろタイムアタックに入っているスターシアが、どれくらいのタイムを出すのか、このあとのバレンティーナ、愛華、ラニーニのことも、頭から追い払った。
せいぜいがんばりなさい。どんなタイムを出したって、すべての魔力を1分50秒に集中したあたしの敵じゃないわ。絶望を味わわせてあげる!
追い払ったつもりでも、かなり意識はしているようだった。
アラゴンGPMotoミニモ予選リザルト
Top アイカ・カワイ 1:54.22
2 アナスタシア・オゴロワ 1:54.24
3 フレデリカ・スペンスキー 1:54.41
4 バレンティーナ・マッキ1:54.74
5 シャルロッタ・デ・フェリーニ1:55.01
6 ラニーニ・ルッキネリ 1:55.07
7 ナオミ・サントス 1:55.10
8 アンジェラ・ニエト 1:55.21
9 ケリー・ロバート 1:55.33
10 コトネ・タナカ 1:55.40
11 マリアローザ・アラゴネス 1:55.56
12 ハンナ・リヒター 1:55.76
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「おもしろいことになってきたな」
「性格悪いですね、エレーナさん」
予選終了後、エレーナとスターシアは控え室代わりのトレーラーの中で、プリントアウトされたリザルトを見つめていた。
今回は愛華たちに聞かれないよう、ドアのロックは確認してある。
「シャルロッタさんのスタート位置では、決勝は難しいでしょう」
「スターシアはアイカを勝たせたいと思っていたが?」
「もちろん、現状アイカちゃんの方がエースに相応しいと思ってます。でもそれは、チームが好成績を修めるための選択であって、シャルロッタさんが負けることを望むものではありません」
スターシアは、5番手タイムに終わったシャルロッタに、少しだけ罪悪感を感じていた。
「彼女には少し気の毒でした。今回、彼女は勝つだけでなく、ラニーニさんに9ポイント以上の差をつけて勝たないと、実質チャンピオンを諦めなくてはなりません。しかも、私とアイカちゃんのサポートなしで。それは大変なプレッシャーだったでしょう」
「すべてあいつの責任だ。しかもサポートの拒否は、あいつから言い出したことだ」
予選タイムアタックで、シャルロッタは途中まで最速の区間タイムで走り抜けた。
しかし、後半の裏ストレート手前で、手痛いミスをおかしてしまった。
中速の13コーナーを、他の誰よりも速い速度で通過したシャルロッタは、その分、14コーナーへの進入を突っ込みすぎてしまった。リアが浮くほどのハードなブレーキングから、かなり強引に曲げて入った。
それでも大きく乱すことなく、マシンの向きを変えたのは、さすがなのだが、膨らんだラインのまま続く90度に折れ曲がるタイトな15コーナーに入らねばならなくなった。
ここでも、シャルロッタは猫科を思わせる身のこなしで切り返し、観る者をあっと言わせた。そしてこの区間もトップのタイムを記録している。
しかし、この区間で一番重要なポイントは、通過タイムより、そこから続くバックストレートへと如何にスピードをつなげられるかだ。
窮屈なラインで15コーナーを曲がったシャルロッタがストレートに入った速度は、他のトップクラスのライダーより遅くなっていた。
如何に天才といえど、直線で巻き返すことはできない。そのまま長いバックストレートの終わりまで、どうすることもできなかった。
「場所が悪かったな。もっとも、並みのライダーならもっと大きなタイムロスになっていたろう。コースアウトもあり得た場面だ。やはりあいつはイカれてるな」
「それだけのミスをしてあのタイムですから、怪我する前より速くなっているのは間違いないでしょう。練習では一度もミスしなかったところですから、過度のプレッシャーが想像以上に彼女にのし掛かっていたと思います」
「フッ、あいつでもプレッシャーを感じるのか」
エレーナは鼻で笑うように言い棄てた。
「笑うところではありません!怪我からの復帰戦が、大きなストレスなのはエレーナさんも知っているはずでしょう」
「私の場合は、肩も膝も満足に動かせない状態だったからな。物理的な問題でなく、精神的な問題なら制御できるはずだ」
「だからそれを制御してあげるのが、エレーナさんの務めでもあるはずです」
「スターシアも容赦なく追い詰めていたようだが?」
「私も大人気なかったと反省しています。シャルロッタさんを正しく導いてあげてれば、今回私たちで表彰台の独占どころか、最終的にランキング上位独占も夢ではありませんでした」
「それはそれで、困った事態だな」
エレーナはまったく困った様子もなく答える。
「だが残念ながら、すでに私がアドバイスしてやれる段階にはいない。シャルロッタもアイカも」
「アイカちゃんも?どういう意味でしょう」
「スターシアの言う通り、今の私の務めは、若い世代に道を作ってやることだと思っている。しかしそこには、私にも動かせない壁がある。それを飛び越えるのは、怖がらず思いきりアクセルを開けられた者だけだ」
MotoGPの開催されるような近代化されたサーキットに、大きなジャンプをするようなセクションはない。だが、シャルロッタや愛華のめざす頂点へと至る道には、飛び越えなくてはならない壁がある。怖がったり疑いを持ったら、先に進むことはできない。
「シャルロッタも最初にチームに来た頃と比べたら、随分成長した。前が最悪だったからまともになったとは言えんが、口惜しい思いは人より多くしたはずだ」
幼い頃から天才と言われ、実際速さでは誰にも負けなかったシャルロッタだが、未だチャンピオンと呼ばれることはない。チャンピオンになる難しさ、負ける悔しさは、ある意味、誰よりも強く味わっているといえる。
「不器用なやり方だが、あいつなりに自分に厳しくなろうとしているのだろう。結果はどうであれ、私はその根性を尊重したい」
確かに昨年、最後の最後にチャンピオンを逃した時、「誰にも文句を言わせない、完全なチャンピオンになってやる」と宣言した。あまり頭がいいとはいえないシャルロッタだが、卑怯と呼ばれるようなことは決してしない。謂わばこれは、シャルロッタ自身のケジメなのかも知れない。
スターシアにとって、それをさせられるエレーナも、やはり偉大な女王だと感じた。
シャルロッタも普段はどつかれてばかりでも、こういったエレーナからの信頼を感じるから、ついていけるのではないだろうか。
「それではアイカちゃんも……?」
「今回はアイカも、さぞ悩んだことだろう。だがあいつは、私の期待に応えてくれた。シャルロッタにミスがあったとはいえ、フレデリカやバレンティーナ、本気になったスターシアから、ポールポジションを奪ったんだからな」
「私はいつでも本気で走ってます」
「そうだったな」
エレーナは意味ありな微笑みを返した。
スターシアは、予選で手を抜いたことなど一度もないと誓って言える。
ただし、今回シャルロッタの前にタイムアタックしたスターシアは、絶対にシャルロッタより速いタイムを、目標としていた。もしシャルロッタのミスがなければ敵わなかったかも知れないが、自分では完璧な走りが出来たつもりだ。それを上回るタイムを愛華が叩き出したのは、驚きであると同時に、教えることがなくなったようなさみしさも感じた。
やっぱりエレーナさんとは器がちがうと思わされてしまう。
「迷いがあっては、あんな走りはできない。アイカは、壁を一つ越えた」
「ではアイカちゃんがエースで決まりですね」
「いや、まだシャルロッタが終わったわけじゃない。アイカにもまだまだ越えなくてはならない壁がある」
こういう、本当は私は知ってるけど、あなたどう思う?的なエレーナさんの態度には、前から腹ただしく思うことがある。サイコロでも振って答えましょうかと言ってやりたい。
「エレーナさん、正直に言ってください。どちらに任せたいのですか?」
しかし今回は、エレーナにも答えが出ていなかった。
「私には決められない。もし私が決めても、おそらくロクな結果にならないだろう。あいつらが走って決めるしかない」
エレーナにとって運命は、誰かが握るものでもサイコロに託すものではなく、自らの力で掴み取るものだ。
「決勝では予定通りスターシアは、アイカとチームを組んでくれ。シャルロッタは同じチームと考えるな。もしそれでタイトルを逃すとしたら、所詮それだけの実力だったということだ。シャルロッタもアイカも、このチームも」
冷酷な言葉にも、二人に対する期待と覚悟を感じるスターシアだった。
「わかりました。それなら私も、アイカちゃんとシャルロッタさんに、このアナスタシア・オゴロワの本気を見せてあげないといけませんね」




