エレーナの決断
イギリスGP、シルバーストーンサーキットは、愛華にとって特別な思い出のあるサーキットだ。ドイツのザクセンリンクと並んで、おそらく生涯忘れられないサーキットの一つだろう。
GPデビュー戦にして初ポールポジション、初表彰台という快挙を成し遂げたのがザクセンリンクなら、GP初優勝を果たしたのが、ここシルバーストーンサーキットである。
「結果というのは、様々な要因の積み重ねであるが、そこに神の意思だとか運命などは含まれていない」というエレーナの言葉をいつも肝に命じている愛華だが、サーキットに入る前から、なんだかいい結果が残せそうな気がしていた。
(エレーナさんは、「場合にも拠るが、ポジティブな思考がよい結果に結びつくことはある」とも言っていた。大切なのは、油断しないことだよね)
愛華は心地いい緊張感を持って、シルバーストーンサーキットに入った。
そのポジティブな思考が要因となったのか、フリー走行から愛華は好調で、予選でもポールポジションこそバレンティーナに奪われたものの、ドイツGP以来のフロントロースタート、二番手ポジションを獲得。スターシアが三番手で、エレーナも復帰後ベストの五番手グリッドを獲得した。
フレデリカがスターシアとエレーナの間に割って入り四番手、ラニーニ六番手、ナオミ七番手グリッド、バレンティーナのアシスト、アンジェラは八番手グリッドからのスタートと、ストロベリーナイツがレースをコントロールするには優位なスターティンググリッドとなった。
そして決勝は、スタートでいつものようにフレデリカとバレンティーナが飛び出したものの、アシスト不在の二人をストロベリーナイツの三人がじわじわと追いつめ、レース半ばにはリードを奪った。
後半、ストロベリーナイツの後ろにつけていたラニーニとナオミに粘られ、エレーナには体力的に厳しいレースとなったが、愛華とスターシアは、最後までトップを譲ることなく、チェコGPに続いて二連勝を飾った。
優勝 愛華
2位 スターシア
3位 ラニーニ
4位 バレンティーナ
5位 ナオミ
6位 フレデリカ
7位 エレーナ
8位 アンジェラ
愛華は25ポイントを獲得して、ついにシャルロッタを抜いてランキング二位。
ただラニーニも三位に入ったため、16ポイントを獲得、シャルロッタとの差を43ポイントに拡げた。
こうなってくると、いよいよ「エースはこのまま愛華で行くべき」との声が大きくなってくる。
実際問題、シャルロッタが日本GPで復帰したとして、日本を含めて残り四戦しかない。すべてシャルロッタが優勝したとしても100ポイント。
対してラニーニは、愛華とスターシアがいくら頑張っても、彼女の安定感なら50ポイントは稼ぐとみなければならない。次のサンマリノGPとアラゴンGPで、ラニーニとシャルロッタの差が、50ポイント以上になれば、シャルロッタが自力でタイトルを獲得する可能性はなくなる。つまり、現在二位の愛華を、ストロベリーナイツのエースとしてタイトルを狙うしかなくなる。
現在、ラニーニとシャルロッタの差は43ポイントだから、次の二戦でラニーニが7ポイント以上獲得するのはほぼ確実であろうが、エレーナはこのことを、ギリギリまで愛華に伝えるのは控えた。
これは、シャルロッタの可能性を残したというより、現在好調の愛華が、シャルロッタに代わってエースになることで精神的に揺れることを懸念したからだ。
おそらく次のレース後には、愛華にも伝えなくてはならなくなるだろうが、今、心を乱すような真似はしたくなかった。
イギリスGPから二週間後、サンマリノGPの開催されるミザーノサーキットは、以前にも記したがイタリアにある。
現在チャンピオンの可能性の高い三大ワークスチームの三人のエースライダーの母国であり、例によって熱狂的な応援団が詰めかけ、サーキットはラニーニの青、バレンティーナのイエロー、ストロベリーナイツの苺カラーに色分けされて、例年以上に盛り上がっていた。
ラニーニは、ここで高ポイントを稼ぎ、欠場中のシャルロッタとの差を決定的にしたいところだ。
バレンティーナも同様に、シャルロッタとの差を拡げ、ラニーニをも巻き返したいと必勝の構えで乗り込んでいる。今回、ヤマダワークスは、チーム全員バレンティーナと同じ仕様、エレクトロニクスブレーキでなく信頼の高い従来型ブレーキに戻したマシンに跨がっている。
異様なほど盛り上がる二チームの応援団と比べるとやや元気がないのが、シャルロッタ=ストロベリーナイツの応援団だった。
巷では、すでにエレーナはチームのエースをシャルロッタから愛華に移したという噂が流れており、シャルロッタファンとしては複雑なようだ。勿論、公式に発表された訳でなく、エレーナも日本GPまでに50ポイント差という目安は、スターシア以外に話していない。
そんな異様な雰囲気の中、愛華はシャルロッタの逆転を信じて自分のできること、自分がラニーニやバレンティーナより前でゴールすることだけをめざして、レースに集中していった。
二戦続けて優勝した自信と、チームに尽くしたいという思いは、確かな実力へと繋がり、ここでも好調さを維持して、フリー走行、予選を通してライバルたちを上回り、今季二回目のポールポジションを獲得した。ただそれによって、まわりの雰囲気は一層、エースは愛華という空気が強くなっていったのは否めない。
「アイカちゃんをエースにするという噂は、おそらく彼女も耳にしています。変な噂に動揺するより、そろそろ本当のところを伝えるべきではないですか?表には現れてませんが、スタッフの人たちも気になってるでしょう」
スターシアは、日本GPに挑む時点で50ポイント差という判断基準を、チーム内だけでも伝えることをエレーナに提言した。
愛華が出所のわからない噂を気にしていないのは知っていたが、一人歩きした噂が、思わぬ影響を及ぼすこともある。
「決勝の結果次第だが、おそらくレースが終われば、嫌でも伝えなくてはならなくなるだろう。決勝直前にプレッシャーを与えることはない」
「そうですね。ここでアイカちゃんが取りこぼすと、バレンティーナさんまで調子づくでしょうしね。そうなるとうちとしては、どちらの可能性も厳しくなりますからね。でもアイカちゃん、レースのあとならすんなり受け入れられるでしょうか?あの子、あんなシャルロッタさんでも尊敬してますから」
「現実を見れば、アイカも受け入れるしかないだろう。四レースで50ポイントをひっくり返すのが厳しいことだと、わかるはずだ」
スターシアは、この件についてそれ以上言うことはなかった。
スターシアも、ここまで来たらはっきりとシャルロッタでなく、愛華をエースにすると宣言した方がチームの士気も高まると考えていた。しかし、愛華本人の気持ちを考えると、エレーナの言ってることも理解できる。
愛華がデビューしたのは、シャルロッタの怪我のおかげだった。
この世界では、他人の不幸でチャンスを掴むのは、決して恥じることではない。ベテランが満足して引退してくれるのを待っていては、チャンスなど回ってこない。チームとしても、代役がレギュラーを上回る活躍をしてくれるのは大歓迎だ。要は怪我をする方が悪い。
愛華もそのことはわかっているだろうが、今回は少し事情がちがう。
愛華とラニーニの差は、現在26ポイントある。二連勝した今の勢いなら逆転できない差ではないが、一般的には大きな差だ。まして相手は確実に上位入賞してくるラニーニだ。この場面で誰もが実力を認めるエースシャルロッタを差し置いて、タイトルを狙えと言われるのは大きなプレッシャーとなるだろう。少なくともシャルロッタのために頑張ってきた気持ちを切り替えなくてはならない。
愛華の驚くほどの心の強さは、これまで何度も実感してきたスターシアだが、それはすべてチームメイトのために発揮される強さだ。現在二連勝中という成績も、シャルロッタが戻って来るまで守るという強い思いがあってこそと言える。
確かに実力的には、ラニーニやバレンティーナにも引けを取らないまで成長してるが、愛華の本当の強さは、仲間のために頑張るという思いにある。その精神的強さは、スターシアも自身のどんな優れたテクニックも敵わないと感じている。
でも、これまで尽くしてきたシャルロッタさんの復帰を目前にして、自分が正式なエースとなることを、思いの強さゆえに、アイカちゃんは簡単に割り切れないでしょう。
もしも彼女が、シャルロッタさんを押し退けてでもチャンピオンになりたいと思うなら、私も全力で……
スターシアは頭に浮かんだ個人的な感情を、慌てて打ち消した。
アイカちゃんだろうとシャルロッタさんだろうと、私は全力を尽くすだけ。
第11戦イギリスGP終了時点でのシリーズランキングと獲得ポイント
1 ラニーニ・ルッキネリ(ITA)ブルーストライプス ジュリエッタ 193p
2 アイカ・カワイ(JPN)ストロベリーナイツ スミホーイ 167p
3 バレンティーナ・マッキ(ITA)team VALE ヤマダ 154p
4 シャルロッタ・デ・フェリーニ(ITA)ストロベリーナイツ スミホーイ 150p
5 アナスタシア・オゴロワ(RUS)ストロベリーナイツ スミホーイ 138p
6 フレデリカ・スペンスキー(USA)リヒターレーシング LMSヤマダ 120p
7 ナオミ・サントス(ESP)ブルーストライプス ジュリエッタ 113p
8 アンジェラ・ニエト(ESP) team VALE ヤマダ 82p
9 コトネ・タナカ(JPN)リヒターレーシング LMSヤマダ 82p
10ケリー・ロバート(USA)team VALE ヤマダ 71p
11 ハンナ・リヒター(GAR)リヒターレーシング LMSヤマダ 66p
12 リンダ・アンダーソン(USA)ブルーストライプス ジュリエッタ 61p
13 マリアローザ・アラゴネス(ITA)team VALE ヤマダ 47p
14 エレーナ・チェグノワ (RUS)ストロベリーナイツ スミホーイ 44p
15 エバァー・ドルフィンガー(GAR)アルテミス LMSジュリエッタ 18p
16 クリスチーヌ・サロン(FRA)プリンセスキャット ジュリエッタ 12p
17 アンナ・マンク(GAR)アルテミス LMSジュリエッタ 11p
18 ソフィア・マルチネス (ESP) アフロデーテ ジュリエッタ 4p
19 ドミニカ・サロン(FRA)プリンセスキャット ジュリエッタ 4p
20 ジョセフィン・ロレンツォ(ESP)アルテミス LMSジュリエッタ 3p




