シャルロッタのジレンマ
「いつまでもこんなところで、じっとしていられないわ!今すぐGPに戻るわよ!」
リハビリを兼ねたトレーニングをしながら、アメリカで行われているGPの中継を観ていたシャルロッタは、レース終了と同時に今すぐGPに復帰すると言い出して、トレーナーのヘレナを困らせていた。
「落ち着いてください。まだ先生の許可はおりてません。気持ちはわかりますが、今はリハビリに集中することが、一番の近道です」
ヘレナは、子どものように駄々をこねるシャルロッタをなだめるが、彼女の気持ちもわかる。ヘレナも元スポーツ選手だ。自分の出られない大会で、ライバルたちの華やかな活躍を、ただ観ているだけの辛さはわかるつもりだ。
「あたしはもうぜんぜん平気よ!やぶ医者の言うことなんて、守ってられないわ!」
「まだ首のコルセットも外せないのに、レースなんてできると思ってるの!」
気持ちはわかるが、尊敬する師をやぶ医者呼ばわりされて、ついきつい口調になる。
「こんなの、もう要らないわよ!」
シャルロッタは首を固定するコルセットを勝手に外そうとする。
「やめなさい。まだ首を満足に回せすこともできないのに、どうするつもりですか!後ろも振り返れないでしょ。それに首まわりの筋肉が衰えているから、もし転倒なんてしたら、半身不随よ。最悪、死ぬかも知れないわよ」
感情的になり過ぎてることを自覚していたが、言っていることに間違っていないと確信はあった。
シャルロッタの担当が決まってから、ヘレナはMotoミニモについて詳しく調べた。
他のスポーツに比べても、体力が競技力向上の決め手となる事はない。むしろ大きく重い筋肉は、ハンデといえる。
だが、街中で足代わりに使うようなミニバイクほどの大きさしかないバイクで、ヘレナがアウトバーンを車でとばすより速い速度で走り、コーナーでは肘が擦るほど深く寝かせて曲がって行く事に驚いた。しかも、何台ものバイクが重なり合い、時には接触しながらバトルを繰り広げるのだ。
転倒した時にライダーの受けるダメージは、たとえプロテクターをつけていたとしても想像するだけで寒気がする。それを逞しい男性ではなく、平均より小柄な女性がやっている。
ヘレナにすれば、それだけでも信じ難いのに、頭を支えるのもままならない状態で走るなど、自殺行為だと断言できる。
しかし、シャルロッタの興奮は、ヘレナが少しくらいきつく叱った程度では収まるはずがなかった。
「べつに全部ぶっちぎるから、後ろなんて振り返る必要ないわよ。それにあたしは、絶対転倒なんてしないから」
まったく、“やれやれ……”だ。ヘレナは両手の平を上に向けて大きく息を吐き出した。
「ならどうして此処にいるのかしら?それに今の状態であそこに出ていって、本当にあの人たちに勝てるの?去年は怪我もしてなかったのに、ラニーニさんに負けたそうじゃない?」
「あれはレースで負けたんじゃないの!ルールを忘れてたあたしがバカだっただけよ。でも今年のあたしはちがうわ。生まれ変わったのよ。だからあのちびなんて、ぜんぜん問題にしてないわ!」
「なら落ち着いて完全に治してからでもいいんじゃない?プランに従ってトレーニングに励めば、必ず日本GPまでに復帰させてあげるわ。それも、前以上にいいコンディションでね」
プレイヤーの体力が直接成績に結びつくことはないモータースポーツといえど、これまでのシャルロッタは体力が無さすぎだ。スタートからゴールまで、バテないで走り切る持久力をつけるだけでも、ずっと安定するだろう。
ヘレナは気休めではなく、ハンス医師やエレーナたちと話し合って、シャルロッタの逆転タイトルを現実的な目標として復帰計画を立てていた。
しかし、シャルロッタはまだ納得しない。
「それじゃ遅いのよ!日本GPじゃ手遅れなの!あんたもさっきのレース観てたでしょ!?」
シャルロッタが不安になってる……?
体が思い通りにならなくて、焦る気持ちはわかる。確かに、レース経験のないヘレナから見ても、思わず熱くなるレースだったが、自分の才能に絶対的自信を持ってるシャルロッタが焦るほどのものだったのだろうか。
レースには素人だが、一応自身も元スポーツ選手だ。スポーツトレーナーとして評価も受けているし、多くの一流選手のコンディショニングを手伝ってきた。普通の者よりも選手の能力を見る目はあるつもりだ。
ヘレナにはむしろ、エレーナの調子がよくなり、スターシアや愛華たちとの連係もよくなってきたように思えた。シャルロッタほど自意識が強く、実際に才能ある者でもこれほど不安になるものだろうか。
「今はリハビリに専念することが、チャンピオンへの唯一の道です。歯痒いでしょうけどエレーナさんたちも、前のレースより調子よくなっているようですし、きっと次は、もっといい成績であなたのランキングを守ってくれるでしょう。私を信じられなくても、チームの人たちなら信じられますよね」
「あたしが気にしてるのは、そのチームのことよ!あたしがラニーニやバレンティーナなんかに負けるはずないでしょ」
………?
「どういうことですか?私には、エレーナさんも調子良さそうに見えましたし、スターシアさんもチームのために尽くしてました。アイカさんもスタートこそ出遅れましたけど、素晴らしい追い上げだと思いましたけど?」
「そのアイカよ!あいつ、とうとう化けたわ。ついに覚醒しちゃったのよ!次のレースに勝つのはアイカよ」
ヘレナにはわからなかったが、愛華の走りに大きな変化があったらしい。特別な者にしかわからない進化は、どの世界にもある。元GPライダーのドイツ人解説者でもそのような事は言ってなかったが、彼らは優勝争いを中心に解説していた。シャルロッタは時々映る愛華の姿に、その進化を感じたのだろうか。
「でも、アイカさんが優勝してくれたら、あなたとしては助かるんじゃないですか?」
「あんたね、バカなの?いい?アイカはエレーナ様やスターシアお姉様と同じレベルになったのよ。次のレースもその次のレースも、きっとあいつは勝つわ。そしてあたしよりランキングが上になるの」
シャルロッタにバカと言われるのはちょっとムカつくが、どうやら彼女は愛華に嫉妬しているらしい。その気持ちもわからなくはないが、猜疑心は今のシャルロッタにとってマイナスにしかならない。
「それは、あなたが長期欠場が免れられないとなった時点でわかっていたことです。それでもエレーナさんは私に、シャルロッタでタイトルを獲るから頼むと、はっきりおっしゃいました。本当です」
「その時はアイカが化けるなんて想定してなかったからよ。でも今は状況が変わったわ。今でもあたしより下手くそだけど、エレーナ様もスターシアお姉様も、あたしよりアイカの方が大事にしてるから、勝てるならアイカをエースに代えるかも知れないのよ」
エレーナとスターシアが、シャルロッタより愛華を大事にしてるかは別にしても、肝心な場面でよくポカをするシャルロッタより、愛華の方が信頼されているのは間違いないだろう。
「でも、エレーナさんが簡単にチーム方針を変えるとは思えません。今、シャルロッタさんは走れないから、すごく不安な気持ちになってます。本当にアイカさんがエレーナさんやスターシアさんのレベルまで進化してるとしても、簡単に勝ち続けられるものでもないでしょ?」
それでもシャルロッタは、自信たっぷりに断言した。
「あたしのいないレースだったら、勝って当たり前よ。そんなの勝ってもらわないと困るわ!張り合いがないじゃない」
ヘレナは最初、愛華にエースの座を奪われることにシャルロッタが焦っていると思ったが、もしかしたら、同じチームに一番戦いたい相手がいることに、彼女は苛ついているのではないだろうか?と思えてきた。
だとしたら、シャルロッタの復帰は、Motoミニモに想像以上の波乱をもたらすことになるかも知れない……。




