本当の実力
フレデリカ、バレンティーナ、ラニーニとナオミのトップ四人と、彼女たちのチームメイトの差は、もはや別の集団と言えるまで開いていた。ラニーニとナオミのペア以外、この中でエースを直接サポートできるアシストはいないのだが、他のアシストたちの仕事が終わったわけではない。
彼女たちには、ストロベリーナイツの追い上げを止める仕事が残されていた。
エース不在とはいえ、開幕から六連勝の圧倒的強さを見せつけたストロベリーナイツは、今でも最も警戒すべきチームにかわりない。シャルロッタが復帰すれば再び脅威となるのは勿論、スターシアとてチャンピオンを狙うには十分な実力の持ち者だ。そして愛華も、きっかけさえあればチャンピオン候補として躍り出る事は十分考えれる。ライバルチームとしては、シャルロッタとはちがった意味で器の量れない愛華を、ここで調子づかせたくはなかった。
互いに認め合い、普段は愛華と仲のよい琴音やリンダ、ハンナやケリーたちも、コース上では譲れない。
自らの怪我によってシャルロッタの連勝はストップした。不本意ながら、それを各チームは、流れを変えるチャンスとみなした。それが勝負の世界であり、これを活かせなければレーサー失格だ。況してや新たなエース誕生のきっかけにしては、自分たちの立つ瀬がない。
トップチームの意地にかけても、ストロベリーナイツの追い上げを遅らせなくてはならなかった。
──────
一方、先頭にいるフレデリカは、コーナーとコーナーの間の区間とストレートでしかバレンティーナの姿を目視することはできていなかった。従って、ラニーニの気づいたバレンティーナのブレーキトラブルにも、まだ気づいていない。
フレデリカの走りは、コーナーの奥深くまで突っ込んで行き、一気に減速から向き合え、そこからすぐにスロットルを開けてパワードリフトしながら立ち上がるという、ファースト イン ファースト アウト(コーナーに速い速度で入って、速く出る)の攻撃的スタイルだ。
一般的なライディングと比べて、ブレーキングポイントが奥になるので、前走車をパスするのに非常に強みを発揮する。
しかし、それより先にインを塞ぎに来られると、たとえコーナー半ばで無理が生じる入り方だったとしても、クリップでラインがクロスして最大の武器である立ち上がり加速が殺されてしまう。
勿論、相手も失速してしまうのだが、トータルバランスの優れたワークスヤマダの方がスムーズに加速できるだろう。それを繰り返されれば、ピーキーなフレデリカのマシンには、ボディブローのように効いて来る。
当然バレンティーナは、そういう走りに徹するだろうと予想して、インに入られないよう注意してきた。だがバレンティーナから進入で仕掛けて来てる様子がない。
まだゴール前に確実に勝てる秘密兵器を隠していて、リスクが高く、ペースの落ちる進入での仕掛けを避けているのか?或いは、ブレーキングに何らかの不安があるのか?
アンジェラの1コーナーでのブレーキングミスを考えると……
それまでフレデリカは、進入で内側に入られないように警戒したラインをとってきた。しかしバレンティーナのブレーキトラブルがあるのなら、その注意が本当に必要なものなのか、疑問が浮かんだ。
(バレンティーナがインを刺せないのなら、速く走ることだけに集中してもいいのでは?コースをフルに使うラインなら、立ち上がりで煽られることもない)
フレデリカがそう思ったのとラニーニが仕掛けたのが、同じタイミングだったのは、まったくの偶然だった。
決死の覚悟でフレデリカとバレンティーナのインに飛び込んだラニーニとナオミは、拍子抜けするほど呆気なくトップに出ると、最低限の失速でコーナーを曲がれた。前には誰もいない。あとは二人で速く走る事に全力を尽くすだけ。
予想外の二人に、一瞬の集中力の隙を突かれたフレデリカは、すぐに抜き返そうとスロットルを開けるが、慌てるあまりラフな操作で大きくリアを流してしまう。元々豪快なドリフト走行が特徴的な彼女だが、見た目とは裏腹の繊細なスロットルワークあってのドリフトコントロールだ。焦るほどリアタイヤを空転させてしまい、エンジンの回転力を前へと進ませる事に転換できず、長々とドリフト状態を続ける結果となった。
その後ろのバレンティーナも、すぐに加速すると予想していたフレデリカがいつまでもリアを大きく流した状態で前を塞いでいるため、優位であるはずの立ち上がり加速が発揮できない。そうしている間にラニーニとナオミの背中が離れて行く。
ここで誰の目にも、バレンティーナのマシンが何らかのトラブルを抱えている事が明らかになった。それでも彼女は、冷静に最善の対処に徹っしたのはさすがだ。
バレンティーナにとっては、後方のストロベリーナイツを考慮すれば、無理にフレデリカの前に出て競り合うより、ラニーニとナオミに引っ張らせるのも一つの手だ。
─────
愛華は、シャルロッタのいない間も、自分がチームを引っ張ろうという思いが強すぎたのかも知れない。
予選で失敗し、スタートでも出遅れた愛華だが、今、快調に走っていた。
エレーナ、そしてスターシアと交代しながら三人で走るチームトレインは、気負う事なく、それでいて愛華の最高のパフォーマンスを引き出してくれる。
ピットからのサインボードは、トップがラニーニとナオミに変わり、再びペースが上がった事を伝えていた。
あの二人の安定感であれば、よほどの事でもない限り、おそらくそのペースのままゴールまで走り切るだろう。
愛華もまだ優勝を諦めたわけではないが、ラニーニがトップに立ったことは、ちょっとうれしい。バレンティーナとフレデリカが、狡猾な駆け引きやアクシデントに巻き込んだりしないで欲しいと願った。
実際のところ、愛華が逆転するには、トップグループにアクシデントでもない限り無理だ。それでも、そんな形で勝つことは望んでいない。トップを走っているのが親友のラニーニだからではない。
(甘いって言われるかも知れないけど、みんなが持てる力を出し切ってゴールして欲しい)
追っている立場なのを忘れるほど、愛華は、エレーナとスターシアに囲まれて、驚くほど安定した気持ちで走れている。
コーナーが迫る。スロットルを戻し、指が的確な力加減でブレーキレバーを握り込む。
重心を移動して、すっとインに切れ込む。
まったく不安がない。
体が自然に動く。流れるようにスムーズに……それでいて、とてつもなく速く走っている。
自分とバイクがひとつになったみたいだ。
リンダが抜かせまいと警戒していたが、一瞬でパスした。
ハンナと琴音の緻密なディフェンスも、ケリー、アンジェラ、マリアローザのしつこいブロックも、ストロベリーナイツの三台は、急流を昇る魚のように、激しくもそれが当たり前のように抜けて行く。
素早く的確なラインを見極めるエレーナの能力があっての事なのは、承知している。
綺麗なフォームで手本を示してくれるスターシアは、無理なく愛華の実力を引き出してくれる。
そして愛華は、二人に遅れる事なく、それどころか積極的にチームを引っ張っていた。
いつも、こんな風に走れたら……
予選とスタートのミスを振り返ってみても、技術的に未熟だったわけではない。愛華にはすでに、エレーナとスターシアをも従えてペースをつくるだけの力は持っていた。おそらく気持ちの問題だろう。
決して自惚れてはいけないという真面目な性格が、エレーナやスターシア、それにシャルロッタさえにもついて走れるというハイレベルな実力を持ちながら、「自分の実力じゃない、先輩たちのおかげで速く走れるんだ」という自身に対する過小評価となり、チームリーダーとしての立場と彼女の中で折り合ってなかった。
今の愛華は、ありのままの自分を受けとめてくれるチームメイトと、自身を素直に認められるゆとりがあった。
エレーナとスターシアが、愛華をチームリーダーとして引き立ててくれているのは確かだが、ずっと憧れていた二人をリードしているという事実は、愛華に本来持つべく自信を呼び起こしてくれた。
少し意外なのは、エレーナもスターシアも、愛華の内面にそこまでの変化が起こっているとは思ってない事だ。ここに来て今なお、二人ともそれが愛華の実力だと思っている。
テレビを観ているレースファンも、スタンドから生で観戦している観客も、ストロベリーナイツの追い上げには興奮しているが、さすがに大逆転はないだろうと観ていた。レース残り僅かとなった彼らの注目は、やはりラニーニとナオミが、フレデリカ、バレンティーナから逃げ切れるかであり、ほとんど者は愛華の変化まで気づいていない。
だが、あっという間に突破されたトップチームのアシストたちは、単なる「ストロベリーナイツ得意の猛追」では済まされない。
彼女たちは、エレーナやスターシアより敏感に、愛華の変化に気づいていた。いつも間近で見ているより、その変化がわかりやすいのかも知れない。
今、抜いていったのが本当に愛華なのかと一瞬疑うほど自信に満ちた走りに、恐れていたものが現実になる予感に震えた。
これでシャルロッタ欠場中の流れを掴むのは一段と難しくなるだろう。だが、これはこれでチャンスが生まれた事でもある。
彼女たちは、この先起こるであろうストロベリーナイツチーム内の問題に、興味と期待を抱かずにはいられなかった。




