めざすのはトップでゴールすることだけ
バレンティーナにとって、アシストであるアンジェラの脱落は、まわりが考える以上の不安要因となっていた。
サポートがいなくなったからではない。1コーナーで、アンジェラが減速しきれなかった理由こそ、バレンティーナの抱えていた不信感を裏付けるものに他ならないからだ。
アンジェラはいつもの位置で、ブレーキング体勢に入っていた。なのに減速しきれずオーバースピードで、コーナーに進入していった。
フレデリカとブレーキング競争をしていたわけでもない。路面状況も前の周とほとんど変わりなかった。となると、アンジェラがブレーキングをミスしたからなのだが、本当にミスで片付けていいのか?
YC214のブレーキシステムは、今季から通常の油圧式ではなく、ブレーキバイワイヤと呼ばれる電気信号による伝達方式を採用していた。
はじめは信頼性を疑問視していたバレンティーナたちも、油圧式を超える繊細なタッチとそれをリアルに反映する操作感、コンピューター解析によるマシン全体の制御システムは、従来より確実で、タイムもよくなった事実に採用を認めた。
レーシングライダーにとって、速さこそ絶対の正義だ。
しかしその反面、彼女はいまだに信頼性において不満を持っていた。
極稀に、本当に極、極、稀に、正常に機能しなくなる場面がある。それがこのレース後半に入ってから、バレンティーナのマシンにも何度か発生しているのだ。
ブレーキという安全性に関わる重要な装置なので、何重もの対策が施されてはいるが、一瞬のレスポンスの遅れ、僅かな操作感の違いは、限界で命を預けているライダーにとって、なんとも攻めきれない不信感につながる。
考えてみれば、突発的トラブルの起きる可能性は、電子制御に限った事ではない。
人為的ミスによる、ボルトナット類の締め付けが適正でなかったというトラブルは、プロフェッショナルの現場でも残念ながら皆無とは言えない。
それらは電子制御だろうと物理的制御だろうとリスクは同じではある。むしろ電子部品の方がチェックが容易な面もある。
油圧式であっても、条件によって効き方は変化するし、タイヤや路面の状況は絶えず変わっていく。そういった部分をコンピューターで補おうとするのが、ヤマダの目的だ。
しかし人は、確率より自分に理解できない仕組みに、より大きな不安を感じるものらしい。
馴れ親しんだシステムであれば、多少の不具合は誤魔化して走れる。ある程度起こり得るトラブルは予見できるからだ。完璧な状態で走り切れるケースの方が珍しいと言っていい。しかし今、このマシンの中で何が起こっているのか、バレンティーナには全く把握できなかった。
フレデリカとの熾烈なトップ争いという過酷な状況の中で、なにかのパーツが壊れてしまったのか、あるいは、特定の条件で発生するプログラムのバグなのか。原因もわからなければ、対策もない。
これだから、わけのわからないハイテク装備に頼り過ぎるのは気が進まなかったんだよ!
即、走れなくなるほどのトラブルではない。ほとんどのブレーキングシーンで、ほぼ完璧に作動している。しかしそれだけに、予兆なく突如発生するタイミングのズレに、従来以上に神経をすり減らさなければならない状況に陥っていた。
バレンティーナの異変に最初に気づいたのは、アンジェラの脱落によって三位にポジションアップしたラニーニだった。
はじめは多くの人と同じように、アシストがいなくなった事で慎重な走りに切り替えたと思った。
だが、かつてアシストとして間近に見てきた経験と、今、最もよく観察できるポジションから見て感じるのは、慎重というのとはどこか違う違和感だ。
「ナオミさん、バレンティーナさんの走り、なにかおかしくないですか?」
同じようにバレンティーナのアシストをしてきたナオミに訊いてみる。
「フルバンクからの加速は、ヤマダのポテンシャルを限界まで使い切っていると思う。でもそのわりに、進入があまい……」
やはりナオミも、バレンティーナの走りに不合理性を感じていた。
スロー イン ファースト アウトは、コーナーリングの基本中の基本だ。しかしそれは、初歩レベルのセオリーであり、慎重とは次元の異なる話だ。フレデリカを抑えるなら、先にコーナーへ入って、LMSの爆発的な加速を塞いでしまう方が合理的だ。彼女にはその技術がある。いくら安定したコーナーリング性能を誇ろうと、フルバンクから限界までの立ち上がり加速を繰り返すような走りは、慎重とは程遠い。そのくせ進入のブレーキングは、バレンティーナにしてはあまい……。
アンジェラの先ほどの減速ミスと合わせて、ヤマダのマシンにブレーキの欠陥があるのでは?という疑問が浮かぶ。
それ以外に考えられない。コーナーとコーナーの間で、無理してまでフレデリカさんに並ぼうとするのも、ブレーキのトラブルを気づかれないように敢えて煽っているんだ!
だとすれば、前にいるフレデリカさんは、一人で突っ込まされているだけ。
ラニーニは、勝負をかけるのは今しかないと思った。もたもたしていては愛華たちに追いつかれるかも知れない。差はまだまだ十分あるが、ストロベリーナイツの底力を侮ってはいけない。それにフレデリカがバレンティーナの異変に気づくのも、おそらく時間の問題だろう。
バレンティーナさんに気を取られている今なら、前に出られる!
「ナオミさん、行きます!」
「いつでも準備できてる」
仮にバレンティーナのブレーキトラブルが当たっていたとしても、そこからナオミと二人で、フレデリカを振り切れる自信はないが、このレースを自分から動かす決断を、ラニーニはした。
わたしだって、ポイント狙いばかりじゃないから。
わたしはチャンピオンなんだから!




