テレビ観戦
テレビ画面に、バイクに跨がったバレンティーナが大きく映し出された。
素顔の写真と国籍と名前、バイクメーカーとタイヤ、予選順位とタイム、ここまでのランキングが表示される。今季初のポールグリッドに機嫌がいいのか、カメラに向かっておどけた仕草をして見せる。
カメラはグリッドに並んだライダーを、一人ずつ順に映していく。
「あっ!フレデリカさん」
紗季は自宅のリビングのテレビの前で、インディアナポリスGPの中継を見ていた。
「なんか、すっごく真剣な顔してるね」
夏休みで東京の音楽大学から地元に帰省中の美穂も、今日は一緒だ。
「それは今からスタートだから、集中してるのよ。たぶんフレデリカさんは、スタートに賭けてると思う。プライベートだからスタートで後れちゃうと苦しいの」
紗季の解説に、美穂はクスクスと笑った。
「なに?わたし、なにか可笑しなこと言った?」
「だって紗季ったら、レースなんて全然知らなかったのに、すっごく詳しくなってるんだもん」
紗季は少し照れたように、美穂の視線から赤くなった顔を逸らした。
「自分でもこんなに夢中になるなんて思ってもなかったんだけど……」
「見て!ラニーニちゃんだよ」
「ほんとだ!手振ってる」
紗季と美穂も画面に向かって振り返した。
「たぶんわたしたちに向かって振ってるんだよ」
「そうかなぁ?でもきっとそうだよね。わたしたち友だちだもん」
「次はナオミさんだ」
「相変わらず無表情だね」
「でもほんとはすっごく心豊かな人なんだよ。武士道とか、わたしたちより詳しいし」
「武士道と心が豊かなんて関係なくない?」
「あるよ!武士道は日本人の心なんだから」
「でも紗季は知らないでしょ?」
「わたしはいいの!日本人だから、あっ!」
紗季が絶句したのは、画面にスターシアがアップで映し出されたからだ。
ヘルメットを被っていても、奥から覗く澄んだ瞳に引き込まれてしまう。二人とも息を飲んで見とれた。
「やっぱりきれいだね」
………
「ねぇ、紗季?」
「……!、えっ、なに?」
「もう、紗季ったら、本気でスターシアさんに惚れてるでしょ?」
「惚れてるとかじゃないわよ。ただ、すごくきれいで、すい込まれてしまいそうになっちゃって、ドキドキするだけ」
「それを恋と言うのです」
そんな感じで、馴染みの選手が映る度に、きゃっきゃっ、と騒いでスタート前から大盛り上がりだ。そして愛華が映った瞬間、
「「あいかぁ~っ!頑張って~!」」
紗季と美穂は声を合わせて声援を送った。
放送では、ゲスト解説の片部範子がコメントを求められ、『そうですね、河合選手はまわりに凄いチームメイトがいるから実力以上の力を発揮できたって部分ありますから、このポジションは厳しいと思います』と答えている。
「誰?この人」
「去年までヤマダワークスだったけど、成績悪いから降ろされた人」
「そんな人がなに偉そうに言ってんの?愛華の方がずっと上じゃない。引っ込め、このヤローぉ!」
「美穂ちゃん、いつからそんな言葉使うようになったの?」
「だってこの人、愛華の実力はこんなものだって言ってるのよ!」
「そこまでは言ってないから。確かにわたしもちょっとカチンときたけど、片部さんの言ってることは、まったくの間違いでもないわね。愛華のまわりには本当にすごい人ばかりで、愛華はそのすごい人のために頑張ろうって実力以上の力を発揮できるんだから。それって本当にすごいことじゃない?」
「そうよね。音楽でも、凄い人と一緒に演奏しようとしても、実力が伴わないと緊張して、いつもならできることまでできなくなっちゃうもの。愛華なんて緊張するどころか、凄い人に頼られるぐらい凄いんだよね」
「レースの終わったあとで、この人が恥ずかしい思いするように、応援しましょ」
「あいか~、がんばれー!あれ?」
「どうしたの?」
「今、愛華の後ろにチラッて映ったの、由美さんじゃなかった?」
紗季が画面をしっかり見ようとしたが、もう次の選手に移っていた。
「まさか、だよね」
美穂はたぶん自分の見間違いだと流そうとした。
「そうよ、由美さんは夏休みを利用して、勉強を兼ねてお祖父様の会社の海外支店を見てまわるって言ってたから、こんなところにいるはずないわよ」
「由美さんのお祖父様の会社って、愛華の乗ってるスミホーイも輸入してるんだったよね?」
「そう、ジュリエッタも扱ってる。メインじゃないけどチームのスポンサーもしてるよ」
…………
スポンサーであれば、チーム関係者と同然だ。スタート前の選手紹介の時間にグリッドに立ち入ることも不可能ではない。
「「ええーっ!」」
二人同時に、驚きと嫉妬の入り雑じった声をあげた。
「由美さんずるい!」
「わたしたちも行きたかったのに~」
「日本GPの時は、わたしたちも入れてもらいましょ。関係者じゃないなんて言ったら絶交よ!」
もちろん本気ではない。紗季が絶交と口走ったのは、シャルロッタの影響か、それとも、もともと紗季の口癖だったのか?たぶんシャルロッタの悪影響だろう。
「わたし、去年は日本GPの応援も行けなかった。お正月の鈴鹿でのバイク教室の時は、見てるだけだったし……」
「それは美穂が音大受験控えてたから……。来年は一緒に乗ろうね!」
「来年もやってくれるかな?」
「由美さんに頼んでみましょ」
「でも、いくら由美さんでも、そこまで無理言えないよ」
「だったら愛華やシャルロッタさんに直接頼みましょうよ。『バイクの乗り方教えて』って。きっとシャルロッタさん、喜んで教えてくれるよ」
「そうだね。よぉーし!わたしもバイク乗るぞぉ」
そんなことを話し合っている間に、中継画面はライダーの紹介が終わり、コース上はライダーとバイクだけとなって、サイティングラップへと動きだした。
解説者の上野は、『順当ならバレンティーナで堅いですけど、予選三位のファーストフレデリカに前に出られると、レースはわからなくなりますよ。おそらくフレデリカは、得意のロケットスタートを狙ってるでしょう』と紗季の予想と同じような解説をした。
紗季は、ほらね、と顔を美穂に向けるが、美穂には意味がわかっていないらしい。
『範子さんは昨年、フレデリカ選手のパートナーだったということですが、一言で言ってどんな人ですか?』
アナウンサーはゲストの片部範子に、フレデリカについて尋ねた。
『そうですねぇ、一言で言って、デタラメなやつです』
『……』
一瞬、実況席が凍るのが伝わった。
『それは既成の枠に収まらないという意味だと思いますが、現在のGPライダーの中でも独特のライディングスタイルで』
『独特と言うより目茶苦茶ですよ。たぶんまともにバイクの知識すらないんじゃないですか?』
アナウンサーがフォローしようとしたのに、言い足りないとばかり口を閉じようとしない。
『とにかく“速く走りたい”だけで、エンジンは壊れるまで回す、力づくで曲げるからセッティングもなにもない。彼女に振り回されて、私まで調子が狂ってしまいました』
『相当強引なスタイルのようですが、その強引さがどこまでバレンティーナに通じるか、じっくり見ていきたいと思います。ほかではブルーストライプスが……』
フレデリカが地雷だと感じたアナウンサーは、慌てて話題をラニーニとナオミに移した。
「フレデリカさんて、そんなにメチャクチャな人なの?」
シャルロッタとスターシアはクリスマスパーティーの時にもいたし、ラニーニとナオミも、愛華の家に泊まって餅つきしたり、一緒に初詣やショッピングに行ったりしているが、鈴鹿のイベントは見学してただけの美穂は、フレデリカのことをよく知らなかった。
「そんなにメチャクチャな人じゃないと思うけど……シャルロッタさんとは向いてる方向がちがうけど、同じように突き抜けてるみたいなところはある、かな?」
「そりゃメチャクチャだ。でもシャルロッタさんは楽しくて、わたし好き」
「バイクの運転は、セックスと同じだぁ!とか言う人」
「うわぁぁぁ……ちょっとあぶないかも?」
「でも智佳に言わせると、すっごくわかり易かったって。セックスもバイクも、下手な人ほど自分勝手で乱暴だけど、気持ちよくするには相手を感じることが大事なんだそうよ」
「智佳も危ないかも?どっちも可愛い子もてあそんでそう」
「それでウマが合ったのかもね」
「でも、音楽の世界でもそんな話あるわ。天才って言われたバイオリニストなんだけど、その人も『演奏者とバイオリンは、男と女みたいな関係』って言ったそうなの。人間的には目茶苦茶な人だったらしいけど、誰も真似できない凄い音を奏でるのね。それで彼の使ってるバイオリンが特別なんじゃないか?ってなって、ある人が、その人も有名なバイオリニストなんだけど、一度彼のバイオリン借りたんだって」
「自分の恋人貸しちゃった?」
「オーケストラならよくある話よ。まあ彼は、オーケストラには向かなかったと思うけど」
「それで、特別だったの?」
「特別だったのは間違いないんだけど、彼のような音は出なかった。それどころか、まともな音すら出せなかったんだって」
「このフレデリカの元チームメイトも、そんな感じだったのかしら?だとしたらちょっと気の毒ね」
「この話は天才バイオリニストの伝説的な逸話みたいなものだから、どこまで真実かわからないけど、今でもあんな演奏は彼以外できないって言われてるわ」
テレビ画面は、ホームストレートに戻ってきたライダーたちを映していた。
紗季と美穂は話をやめて、テレビを見つめる。
各ライダーがそれぞれのスターティンググリッドにバイクを停めていく。
二人は愛華の姿を追っていたが、真正面からのカメラに切り替わり、よくわからなくなった。
『Motoミニモシリーズ第9戦インディアナポリスGP、間もなくスタートです』
そこにいる関係者、観客はもちろん、世界中のテレビの前のファンが、時間が止まったように動きを止めて、その瞬間を見つめた。
シグナルタワーの赤いランプが消える。
『バレンティーナ、いいスタート!フレデリカもいいスタートだ!後ろからラニーニとナオミも詰めている』




