エレーナインタビュー
窓の外が明るくなり始めた頃、シャルロッタは病室のベッドで目を覚ました。
GPを転戦中で、愛華から早朝ランニングに行きますよ!と起こされてる夢をみていた。
うとうとしながら、自分がいるのは病院のベッドで、怪我でGPには欠場中なのを思い出す。
ここに来て毎日、トレーナーのヘレナから課せられたトレーニングメニューによって体は疲れきり、おかげで大好きなアニメも観ずに夜8時には眠りにつく生活をしていた。寝る子は育つと言っても、夜の8時に寝れば自然と目覚める時間も早くなる。それでも、いつもならすぐにはベッドから抜け出せず、一時間はぐだぐだとしているのだが、今朝に限っては、ハッとして体を起こし、自分のスマートフォンを捜した。
昨夜観ようと思っていて寝てしまった、インディアナポリスGP予選の結果が気になったのだ。スマフォを手にすると即、ブックマーク登録してあるゴルナのGP公式ページを開いた。
「ちょっとアイカ!あんたなにやってんのよ!」
予選リザルトを見るなり、思わず悪態をついた。自分の指定席である一番最初のところに、憎っくきバレンティーナの名前があるだけでなく、愛華の名前は随分下の方だった。
苛つきながら、いつもなら目も向けないリポート記事まで読み始める。
それは、ヤマダの好調さと電子制御技術の完成度ばかりが評価されていて、締めくくりにはシャルロッタが復帰しても前半戦のように簡単に勝てなくなるだろう、とまで書いてあった。
「はあ?なに言ってるの、このリポート。あたしがこんな電気仕掛けのおもちゃに負けるわけないじゃない」
今すぐ飛んで行って、バカンティーナを捩じ伏せるところ見せてやりたいところだが、そこはグッと我慢する。
(戻ったら、嫌というほど思い知らせてやるから)
自分のことを正しく評価している記事はないかと関連する記事にも目を通してみるが、似たようなものばかりだ。
ムカついてスマートフォンを置こうとした時、別の見出しがに目に止まった。
『女王復帰、エレーナ独占インタビュー』
シャルロッタはすぐにタップしたが、会員登録しないとその動画は観られないらしい。
もどかしく同意文章もろくに読まず同意して、インタビューページを開いた。
はじめの方はエレーナの体調、ストロベリーナイツの現状とこれからの見通し、シャルロッタの復帰時期と彼女への罵倒など、わざわざ会員登録までして読まなくても、(シャルロッタには)わかっていることばかりだった。
「エレーナ様のファンって、もしかしてバカなの?なんでお金払ってまで罵倒されなくちゃならないのよ!」
罵倒されているのはシャルロッタだけである。そして間違いなくそいつはバカである。
しかしインタビューが進み、話題が電子制御システムの事にとなると、シャルロッタの目は輝いてきた。エレーナは自分と同じ考えをしていたのだ。
───MotoGPクラスではトラクションコントロール(以下TC)システムが当たり前になってますが、Motoミニモにもその波は押し寄せると思いますか?
エレーナ:確かにTCはMotoGPクラスのライディングスタイルを変えるほど変革をもたらした。今ではなくてはならないものとなったろう。しかし私はMotoミニモまでそうなるとは思わない。
───なぜそう思われるのですか?
エレーナ:第一にパワーがまったく違う。噂では300馬力近いと言われるMotoGPマシンのパワーを、一本のタイヤだけで路面に伝えるのはもはや人間の感覚だけでは不可能だ。或いは可能かも知れないが、パワーの出方をコンピューターで制御した方が速く走れる。Motoミニモのエネルギーはそれほど強力なものではない。確かに2サイクルエンジンは4サイクルより構造がシンプルな分だけ特性は過激で扱い難い。パワーバンドでは一気に吹けるし、スロットルを閉じてもすぐに回転は落ちない。乗り手はエンジンを直に感じ、バイクの動きを予測しながら操っている。それだけに、勝手にスロットルを調整してしまうTCとは相性が悪い。スミホーイもTCを試しているが、やはりライダーが直接開け閉めした方が速いと思っている。誰でもが速く走れるという訳ではないがな。
───それはシャルロッタさんのような天才ならTCは必要ない、という意味ですか?
エレーナ:いや、GPに出てくるようなライダーなら、それくらいのレベルであるのは当然だと思っている。
───でも、今日の予選タイムを見てみると、ヤマダワークスが上位を独占しています。失礼ながらヤマダの電子制御技術は、スミホーイより進んでいるということは?
エレーナ:確かに電子分野ではヤマダの方が進んでいることは否定しない。TCに関しても、大排気量クラスのノウハウが生かせるだろう。他にもヤマダの優れている部分は沢山ある。だがスミホーイが上回っている部分も沢山ある。たまたま今日はヤマダの方が上手くいっただけだ。向こうにも問題は沢山あるだろう。
───今日はアナスターシアさんもベストなコンディションとは言えませんでしたしね。もし仮にアナスターシアさんがベストな状態だったら、或いはアイカさんがミスしなければ、もっと言えば、シャルロッタさんが走っていれば、バレンティーナ選手のポールポジションはなかったと思いますか?
エレーナ:リザルトがすべてだ。たら、れば、の質問に答えることはできない。勝手に想像してもらうのは構わないが、私の口からはっきりと言えることは、今日はTCがどうのではなく、トータルでバレンティーナが優っていたということだ。明日の決勝もそうあるとは限らないが。
あなたの記事が面白いものになるよう、頑張るつもりだ。
───ありがとうございます。期待してます。TCについてもう一つ、先ほどエレーナさんも言われましたが、誰でも速く走れるというTCを、禁止すべきという声が一部ではあるようですが、それに関してどうお考えでしょうか?
エレーナ:まず訂正してもらいたいのは、私はTCがあれば誰でも速く走れると言ったつもりはない。私が言ったのは、Motoミニモのパワーであれば、TCに頼らずとも速く走れるレベルであるべきという意味だ。何度も言うが、現時点でTCが優位とは思っていない。
それから私は、テクノロジーの進歩を否定していない。私がデビューした頃と比べて、マシンは驚くほど進化している。それに合わせてライディングも進化してきた。GPは世界最速を決める場だ。その時代の最先端で最高の技術で争われてきた。規制は安全性に関わるもの以外、極力避ける方が望ましいと思ってる。今の時代では、環境への配慮も示す必要もあるだろう。
おそらく禁止を望んでいる者たちは、ヤマダの独壇場になるのを心配しているのであろうが、もし特定のライダーのみが速すぎるから禁止するというのなら、シャルロッタは出場禁止にしなくてはならなくなるだろう。
「エレーナさま~ぁ!」
ここまで観て、シャルロッタは、スマフォを恭しく両手で支え、液晶画面に口づけをしていた。
「やっぱりエレーナ様は、あたしのこと認めてくださっているんですね」
ちょうど朝の検温にやってきた若い看護士は、ドアを開けたところでその光景を目撃してしまった。彼女は気づかないふりをしてそっと廊下に戻った。
気の毒そうな顔で廊下に出てきた看護士に出くわした別の患者は、その病室の患者のために祈った……。
看護士が覗いたことも、別の患者が自分のために祈ってくれていることも露知らないシャルロッタは、涙ぐんだ瞳を再びスマフォ画面に向けた。
───エレーナさんの考え方は、私もとても共感するものがあります。しかしそうなると、TCシステムの装備が基準となるのは避けられないのでは?規制がなければテクノロジーはどんどん進化していきます。エンジンのパワーは今後も上がっていくでしょうし、ハイテク化も進んでいくでしょう。本当に必要かどうかでなく、使った方が速いとなれば、一気にその方向に流れていくのでは?現在のMotoミニモクラスの魅力の一つである、熟練した職人技も完璧なアクセルワークも見られなくなり、ライダーの技術よりバイクの性能がよりものを言う時代になるのでは?
エレーナ:私はそうは思わない。テクノロジーの進歩を否定したらGPは廃れる。マシンが進化すれば、ライディングも進化していく。最速のマシンが求めるのは、やはり最速のライダーだ。
レーシングマシンの進化には、大きく分けて二つの考え方がある。一つにはライダーの負担を軽くすること。路面やマシンの僅かな挙動に気を使わずに済めば、思いきり攻められるようになる。疲労が軽減されれば、ハイペースを維持できる。
もう一つには、コントロールできるライダーが乗ることを前提に、機械としての性能を理論の限界までとことん追求する方向だ。当然、性能を発揮できるライダーは限られるし、場合によっては誰も乗りこなせないという代物にもなり得る。
どちらも正しく、両方とも必要な考え方だが、進化の方向性を決めるのは勝てるか勝てないかだ。MotoGPマシンでは随分前にエネルギー量が人の能力を超えてしまい、近年では、如何に膨大なエネルギーをライダーの感性と相慣れさせるかが開発の重要な課題となった。
エネルギーの絶対量の小さいMotoミニモでは、エンジンのパワーに関して極限まで追求するという考え方がメインだった。おかげでライダーには特殊な技術が求められる。ある意味、ヤマダが成功すれば、Motoミニモライダーへの門戸はこれまでより大きく開かれるだろう。
───特別な才能がなくてもチャンスはあると?
エレーナ:ちがう。才能があってもレースを始めるのが遅かった者にも、チャンスは平等になるという意味だ。
───エレーナさん自身、レースを始めたのは比較的遅かったと思いますが、前人未到のMotoミニモクラス世界タイトル10回という大記録を果たされました。アイカさんの活躍ぶりからも、これまででも門戸は開かれていたと言えるのでは?
エレーナ:……まあそうだな。だが私やアイカは特別だ。もともとの運動神経が特別だったのだ。
───先ほどはテクノロジーが発達すれば、才能が特別じゃなくても活躍できるようになると言われたような?
エレーナ:才能がなければ無理だ。
───………?
おそらく、一般の視聴者はエレーナが随分矛盾したことを言っていると思った事だろう。しかしシャルロッタには、正しく我が意であった。
「あったり前じゃない!ばっかじゃないの?こいつ。エレーナ様とアイカは特別に決まってるでしょ!バカンティーナみたいな雑魚がなに乗っても、あたしに勝てるわけないでしょ!」
エレーナ:私の説明がわかり難かったかも知れない。つまり門戸が開かれれば、より多くの若者が入って来る。当然才能のある者も増え、経験というハンデが小さくなった分、競争は激しくなる。結局、勝ち上がれるのは真の才能ある者だけだ。
───なるほど。この先TCの普及は避けられないが、ライダーの資質は変わらないということですね。
エレーナ:ライダーの資質の点はその通りだが、私個人の考えというか願望でもあるのだが、Motoミニモの世界でTCが普及するのは、もっとずっと先になると思っている。現在のMotoミニモクラスには、かつてないほど強豪がひしめいている。チャンピオン経験者が五人もおり、それ以外も皆、凄くレベルが高い。そこで勝つにはなにが必要か?彼女たちの求めるマシンはなんだ?
扱いやすいマシンより、とにかく速いマシンだ。
去年、ヤマダは散々迷走した挙げ句、フレデリカを放出してバレンティーナを選んだ。その判断が正しかったか誤りだったかはわからないが、ヤマダの方向性はあれで決まった。私が一番見てみたかったのは、シャルロッタとフレデリカのガチバトルだったんだがな。まあフレデリカも、ハンナのところで要望を取り入れたマシンを作ってもらっているようだから、遠くない将来実現すると信じている。
───シャルロッタさん最大の強敵は、フレデリカさんだと?
エレーナ:全員が強敵だ。ただ個人的には、ああいう滅茶苦茶なやつらが引っ張るMotoミニモも面白いと思っている。おっと、この部分はカットしてくれ。シャルロッタが聞いたら図に乗る。もっともあいつがわざわざ観るのは意味不明のアニメばかりで、こういう動画はおそらく観ないだろうが……スターシアといいシャルロッタといい、どうしてうちのチームばかりおかしなオタクが揃っているのか……ブツブツ……。
「残念ながら、このシャルロッタ・デ・フェリーニ、しっかりと聞かせてもらいました、エレーナ様の本意!」
同じ階の病室を一回りして、再び戻ってきた若い看護士は、床に跪き、ベッドに置いたスマートフォンに向かって大きな声でつぶやくシャルロッタを見て、そっと後退った。
(やっぱり脳にも衝撃受けてたんだ。先生に伝えないと……)




