負けられないレース
インディアナポリスGP、Motoミニモ決勝の時刻が迫る中、ヤマダワークスTeamValeのパドックでは、最終の打ち合わせをしていた。
「いい?スタートしたらすぐに、アンジェラはボクと全力で逃げるから。ケリーはマリアローザと一緒に、後ろからの追い上げに備えてもらえるかな」
バレンティーナの指示に、ケリーとマリアローザは黙って頷いたが、アンジェラが異を唱えた。
「ちょっと待って。せっかくフロントローに三台も並べてるのに、どうしてケリーさんをブロックにまわすの?逃げるなら二人より三人の方が確実じゃない?フレデリカだっているのよ」
アンジェラの疑問はもっともだ。常識ならバイクの性能、人数ともに上回っているのだから、あえて分散させる必要はないはずだ。サポートが一人では、なにかトラブルがあった場合、対応できない可能性が大きくなる。
「ボクにはアンジェラだけで十分さ。ラニーニたちじゃ追いつけない」
確かにフリー走行のタイムを見ても、ラニーニ・ナオミペアのタイムなら、二人で無理なく逃げ切れるだろう。しかし、フレデリカはどうするつもりなのか。後ろにつかれたら、振り切るのは容易じゃない。
「フレデリカは厄介だけど、最近は彼女も大人になったみたいだから。エレーナとシャルロッタに自爆アタックをした時とは違うと思うんだよね。きちんと結果を残そうとしてるから、無茶なアタックはしないはずさ」
「それなら尚の事、サポートに厚みを持たせないと」
「たぶんフレデリカならボクたちのスピードにもついて来るだろうけど、LMSじゃあそれが限界だよ。レース後半にはバトル仕掛けるだけの力も残ってないよ」
「それでもケリーさんがいてくれた方が確実なんじゃない?」
「いえ、私がいても足手まといになるだけね。二人だけの方がハイペースを保てるわ」
ここでケリー自らが、アンジェラの意見を遮った。ケリーは自分の力を冷静に把握していた。自分が加われば、フレデリカにとって走り易いペースメーカーとなることを。
しかしアンジェラには、まだ疑問が残っている。
ラニーニたちには追いつかれない。フレデリカも恐れるに至らない。となるとバレンティーナとケリーが警戒しているのは、ストロベリーナイツだけということになる。
しかしシャルロッタのいないストロベリーナイツに、そこまで恐れる必要があるのだろうか。
アイカは予選でミスして四列目スタート。二列目にいるスターシアは、ある意味フレデリカより怖い存在ではあるけれど、彼女の弱点はスタートからの加速。一気につき離してしまえば、バイクの性能差からいっても簡単には追いつかれない。エレーナに至っては、一戦から退いていたのに急遽復帰したロートルだ。あの歳であれだけ走れるのは尊敬するけど、かつての強さは感じない。
「エレーナさんを甘く見ない方がいいわよ」
アンジェラの考えていることがわかったのか、ケリーの声が思考を中断させた。
「アイカも舐めてると、足をすくわれるよ」
バレンティーナまでもが言う。
「でも、エレーナはもう引退してたようなものだし、アイカだってシャルロッタとセットだったから評価されてるだけで」
「朝のフリー走行のタイムを見てみなよ。アイカはボクの予選トップのタイムを上回るタイムを記録しているよ。スターシアもね」
バレンティーナは、まるでライバルの速さを自慢するように言った。当然、バレンティーナのアシストであるアンジェラとしては面白くない。
「今朝のタイムならわたしたちだって」
「ボクたちは決勝に合わせて、互いにスリップを使い合って走ってたろ。だけど彼女たちは、それぞれ単独で走っていた。それでも絶対に勝てる自信ある?」
アンジェラは、すぐには返す言葉が浮かばなかった。
昨日の予選は、アンジェラにとって何度もできない会心のタイムアタックだった。たった一周に集中して、それ仕様にセッティングしたマシンで叩き出した、自らの能力をすべて使ったと言っていいベストのタイムだ。
それを上回るタイムを、アイカとスターシアは、決勝仕様のマシンで、ウォーミングアップのついでに出したと言うのか?
「そんなの、きっとわたしたちへのプレッシャーのつもりでしょ?打つ手がない彼女たちの、ただのハッタリに決まってるわ!」
「そうかも知れないわね。でも、タイムは本物よ。いくら警戒しても、し過ぎってことはないわ。どうせ私とマリアローザは、逃げの役には立たないのだから」
ケリーは自虐的とも取れる言葉を口にした。それが合理的判断だとしても、アンジェラは認めたくなかった。
「でも彼女たちは、チームとして走りを合わせてないってことでしょ!?特にエレーナにはブランクがある訳だし」
「アンジェラは去年まで後ろの方のチームにいたから知らないかも知れないけど、彼女たちにチームワークの調整なんて必要ないよ。追い込まれた時の彼女たちは、インカムとは別に、脳波で繋がっているんじゃないかと疑いたくなるくらい息の合った走りを見せる」
アンジェラも中堅プライベートチームにいた頃に、何回か後方から追い上げるストロベリーナイツにぶち抜かれた事がある。
まるで、一瞬の突風……
ワークスとプライベーターというマシンの性能差以上に、チームとしての力の差を実感した。
やっかみ半分に「彼女たちって、実はアブノーマルな関係なんじゃない?」などと、品性を疑いたくなるような冗談を言ってる奴らもいた。
下らない噂話はともかく、ストロベリーナイツが、契約書だけで繋がっているこのチームにはない“なにか“で結ばれているのは確かだろう。
「そんなに気落ちしないで。ストロベリーナイツへの警戒は必要だけど、私たちが圧倒的に優位なことには変わらないのだから。あなたは全力でバレを引っ張ることだけに集中しなさい」
先ほどまでの攻めの姿勢から、まるで窮地に追い込まれたような暗い表情になったアンジェラを、少し脅かし過ぎたかとケリーは叱咤した。
「そうそう。アンジェラの言う通りブラフかも知れないし。でも対策はしっかりとしておこうってことさ。今日は絶対に落としたくないレースだからね。大丈夫、みんなが自分の仕事をきっちり果たしてくれれば、負けるはずないから」
ケリーはバレンティーナの言い方が少し気になったが、「後半キックオフを私たちで決めて、そのままタイトル奪取まで突き進むわよ!」とかけ声を掛けると、全員明るい返事とともに、ハイタッチを交わし合った。
大丈夫、チームのモチベーションは高く保ててる。バレンティーナの提案した作戦も、皆ほぼ納得してる。彼女の言葉を借りれば、フレデリカだけでなく、バレ自身も大人になってる。
バイクの性能で優位に立っていることを素直に認め、ライバルを見下すことなく正しく戦力を分析している。自分とマリアローザをブロックにまわす選択も、バレが言わなければ自分から提言していたところだ。
勿論、レースに絶対なんてありはしないし、完璧な作戦などあり得ない。それでも突発的なトラブルかアクシデント以外、バレンティーナの優勝を阻むものはないように思われた。逆に言えば、アクシデントが一番怖い。その点でも、先頭を独走するのが一番安全だ。
シーズンを戦う上で、勢いというのは一般のファンが考えるより重要だ。単にモチベーションの問題だけでなく、もっと大きな力が絡んでくる。
勝ち続ければバイクメーカーもスポンサーも、どんどん自由にやらせてくれて経済的にも応援してくれる。
しかし勝てない時は、予算は引き締められ、現場に口を出してくるようになる。それはYRCという最大のワークスチームでも同じだ。むしろ組織が大きいほど顕著に表れる。
シーズン途中で監督やライダーを解任しても、良い方向に流れが変わることは滅多にない。大抵は悪循環に陥る。
シーズンの真ん中を、休み前からの連勝で折り返せるか、圧倒的優位な戦力でありながら落とすかで、タイトルに手が届くか、遠くの幻を追いかけるかに分かれると言っても過言ではない。要するに、このレースは“絶対”に落とせないレースなのだ。
「大丈夫、バレも修羅場を何度も経験して、わかっているから」
ケリーは自分に言い聞かせるようにつぶやき、決勝への準備を始めた。




