リスタート
約1ヶ月のサマーブレークを挟んで、GPは大西洋を越えアメリカ・インディアナポリスから後半戦に入る。
当初、後半キックオフまでにはシャルロッタも復帰できるだろうと発表されていたが、インディにシャルロッタの姿はなかった。もっとも、この頃にはシャルロッタの怪我が意外に重症だった事、ハンス・シュナイダー医師のもとでリハビリをしている事はマスコミにも伝わっており、取り立ててビッグニュースという扱いでもなかった。
予想されていたシャルロッタの欠場より、話題の中心は誰がインディアナポリスGPを制すか、そしてこれから誰がシリーズをリードしていくかだ。
開幕から六連勝で圧倒的な強さを誇っていたシャルロッタに代わってオランダGPを制したのは、意外にも(?)プライベートチームLMSから出場のフレデリカだった。シャルロッタに並ぶ天才と言われながらチームメイトと合わず、結果を残せていなかったフレデリカが遂に、今季シャルロッタ以外で初めての表彰台頂点に上がると同時に、自身とLMSのGP初優勝を成し遂げた。
続くドイツGPで勝利したのは、長らく栄光から遠ざかっていたバレンティーナ。これも意外と言えば意外だったが、もともと実力のあるライダーであり、レース後半の追い上げと最終ラップの愛華とラニーニを冷静にパスしたレース運びは、全盛期のバレンティーナ復活を予感させた。
ディフェンディングチャンピオンのラニーニは、まだ勝ち星こそないがコンスタントに入賞を重ね、現在シャルロッタに次ぐランキング二位にいる。ここで五位以内に入ればランキングトップに躍り出る位置だ。ラニーニにとって五位以内は、余程の事がない限り危なげない順位であるが、チーム体制、実力からすれば当然優勝を狙ってくるだろう。事実上、チャンピオンに最も近いと目されている。
シャルロッタ欠場によってストロベリーナイツのエース扱いとなった愛華は、ラニーニやバレンティーナと比べても遜色ない速さと人気を博しているが、今季、今一つ結果に結びついていないように思われた。
決して不調という訳ではない。確かにこれまでのような、劣勢を跳ね返す活躍は見られないが、前半のシャルロッタの六連勝も愛華の貢献は大きい。
ただ、シャルロッタに代わるストロベリーナイツのエースとするか、シャルロッタ復帰までの繋ぎなのか、チームとしても決められない状況なのが難しいところだろう。本人はあくまで、シャルロッタの留守を守るという覚悟のようだが、シャルロッタの復帰時期とポイント差によっては、そのまま愛華がタイトルに挑む事も考えられる。どちらにせよ、愛華が勝ち点をあげなければ、ストロベリーナイツはタイトル争いから脱落する事となるだろう。
オランダGPの前までは予想もしなかった形でシーズンを折り返し、文字通りリスタートとなったタイトル争い。夏休み明けの緩い空気は微塵もなく、初日からインディアナポリススピードウェイはピリピリした緊張感が張り詰めていた。
誰が勝っても不思議ではない混戦状況、シャルロッタが何処で戻ってくるかわからないが、フレデリカ、バレンティーナは大きくリードされているポイント差を詰める又とないチャンスであり、ラニーニにとってはここで首位に立ち、シャルロッタを含むライバルたちを一気に突き放したいところだ。タイトル争いに絡むエースたちは、絶対に優勝は譲れない意気込みで初日フリー走行からタイムアタック合戦を繰り広げていた。
そんな中、愛華はエレーナやスターシアとも離れ、一人淡々とフリー走行を走っていた。
愛華は努めて、タイトル争いを意識しないように心掛けた。
自分がチャンピオンになるなんて想像できない。一戦一戦、ベストの結果をめざす。もっと言えば、勝ち負けすらこだわらない。とにかくもっと上手くなりたかった。
ドイツGPではラニーニとの勝負に夢中になってタイヤを使い果たした。それは後悔してないし、計算して走ってれば勝てたというものでもない。単純に愛華とラニーニより、バレンティーナが上だったからだ。
自分はもっともっと成長しなくくちゃいけない。エレーナさんとスターシアさんという最高のライダーが支えてくれているのだから、自分がもっと実力をつけなければいけないのだ。
焦っても速くならない。
愛華は夏休み中のことを思い出し、自分の走りを高めることをめざした。
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ドイツGPのあと、愛華はシャルロッタがリハビリに励んでいる病院で、スポーツ医学の世界的な権威、ハンス・シュナイダー先生の話を聴くことができた。
去年の怪我と手術から回復しきれていないエレーナと一緒に、体力と運動能力のチェックをしてもらい、トレーニングについてのアドバイスをしてもらった。
ハンス先生は、かねてから体操選手の運動能力こそライダーの理想と唱えているだけあって、愛華の身体能力を絶賛してくれた。
(エレーナさんを超える逸材っていうのはリップサービスにしても、医者で研究者のハンス先生が、無責任におだてたりしないはずだよね)
エレーナが信頼する医師という時点で、すでに尊敬の対象になっていたが、正しく成長していけばエレーナのようになれると言われ、愛華はどんなきついトレーニングメニューを指示されても必ずやり通すつもりになっていた。
フェジカルのトレーニング方法については目新しいものはなかったが(基本的なものはエレーナから教わっていたし、それはハンスがエレーナに指導したものだから当然だ)、愛華が強く心に残ったのは、ライディング中に意識するイメージだ。
「すべてのスポーツは物理の法則に沿ったものであるが、感覚的なものが占める割合はとても大きい。特にモーターサイクルは、工業技術の最先端でありながらライダーの感覚で走る乗り物だ。ランニングやスイミングの感覚であれば私にも想像がつくが、時速100キロメートル以上のスピードで肘が地面に擦るほどバイクを寝かせてコーナーを曲がる感覚は、私には到底想像できない。きみたちは世界の頂点の技術を有しているのだから」
そう前置きして語ったアドバイスは、具体的な技術には触れなかったがとても参考になるものだった。ライディング感覚はわからないとい言いながら、それが逆に信頼できる。
おそらく愛華より遥かにライディングの理論がわかっているような気がした。
五感を研ぎ澄まし、バイクからの情報を掴みなさい。
中心を意識して、初めはゆったり大きな動作で、バイクが一番生き生きと反応するポイントを探りなさい。バイクを単なる機械と思わず、気持ちを理解し、コミニケーションを計るように。
気持ちを掴んだら、徐々に余計な動作を削り、小さく鋭くしていけばいい。
最後に残ったものが、きみだけの理想のライディングフォームだ。
アカデミーでハンナさんから教わった事、エレーナさんやスターシアさんがよく口にしてる事と合致する内容だったが、愛華が思い当たったのは、鈴鹿でフレデリカさんが言っていたライディングの極意だ。
『ライディングはセックスと同じ』
セックスという言葉に戸惑ってしまって、愛華にはよく理解できない例えだったが、ハンス先生の話を聞いて、急に理解できた気がした。
相手の気持ちを掴んで、心地いい関係を築いていくというのならよくわかる。
相手が友だちや恋人でなく、自分の跨がる愛車に代えて、互いに気持ちよく走れるようリードしていけばいいんだ。
初めは言葉やわかりやすい態度でしかコミニケーションできなくても、段々余計な言葉は必要なくなっていく。
ちょっとした仕草や動きで相手の気持ちがわかり、こちらの動きにも反応してくれる。
そんな関係を築くことを、フレデリカさんは『セックスと同じ』って言おうとしたんだ!たぶん……
フレデリカのライディングの極意が、ハンスの伝えようとした事と合致するものであったかはともかく、愛華にはハンスのアドバイスは概ね正しく伝わったようだ。
愛華はサマーブレークの間ずっと、基本に立ち返ってライディングを見直した。
ツェツィーリアのテストコースでは、新しいマシンのテストや改良のためのデータを集めなくてはならなかったが、エレーナは愛華の目的を理解して、好きに走らせてくれた。
おかげで少しずつ、ライディングが見えてきた気がする。
エレーナさんの力強い走りに憧れ、一生懸命に真似しようとした時期もあった。
スターシアさんからは、美しくて完璧な技術を教わった。
シャルロッタさんの常識はずれの、チートな背中を追いかけた。
それが可能な環境は、恵まれていたと思う。同時に誰よりも努力して今ここにいる誇りも、ちょっとだけある。
必死で駆けてきたこの二年。改めて基本を見直して、今まで気づかなかった弱点も、長所も見えてきた。
自分の走りだけでなく、他のライダー、エレーナさんやスターシアさん、フレデリカさん、ラニーニちゃんやバレンティーナさんたちが、ただ凄いってだけじゃなく、どこがどう上手いのか、生意気だけど自分の方が上回ってる部分なんかも、冷静に分析できるようになった。これはちょっと驚きだ。
愛華は今、ライディングを追及することに、夢中になっていた。きっとそれが、勝つための一番の道だと信じて。




