彼女を本気にさせたもの
シャルロッタは、自分の出ていないレースで誰が勝とうが、興味などなかった。ただチームのことは、気になっていた。自分の代わりにエレーナ様がカムバックするという。
アイカが頼りないから、エレーナ様に無理をさせてんじゃない?
だいたいエレーナ様もスターシアお姉様も、アイカに甘すぎんのよ。
どうせあたしが復帰すれば、ラニーニもバレンティーナもフレデリカも、ぎったんばったんに叩き伏せてやるから、のんびりしてればいいのに!
そもそもの原因を棚にあげてチームのことを心配しているのは、成長してるのかしてないのかよくわからないところだ。少なくとも一昨年戦列を離れた時には、自分のことしか考えてなかったので、それよりはましになったのではなかろうか。
なんだかんだと言いつつ、ドイツGPのテレビ中継を観ていたシャルロッタだが、フィニッシュを迎える頃には、焦りの表情が浮かんでいた。
傲慢がバイクに跨っているようなシャルロッタではあるが、ライディングセンスは本物だ。それだからこそ、他人のライディングを見極める能力も本物といえる。
下手なライダーには容赦なく見下すが、ライバルとなり得るライダーは、野生動物が餌を見つけるように嗅ぎ分ける。
たった二戦離れていただけで、アイカもラニーニもナオミも、随分レベルが上がっている!彼女たちだけじゃない。アンジェラもリンダもコトネまでもが、いつの間にあんなに速くなったの?
テレビの解説者は、シャルロッタのいない間の暫定ランキング争いのような事を言っていた。おそらくタイムを比べても、それほど変わってはいないだろう。
しかしシャルロッタには、彼女たちが自分やエレーナ、スターシアと同じ領域に近づいていることを、テレビ画面を通して感じた。
実際には、シャルロッタの欠場する前からそれは表れていた。ただシャルロッタ自身連勝を続ける絶好調だったので、それに目がいってなかっただけだ。
バレンティーナに関しては、ずっと前から高いレベルにあったのに、個人的な確執と狡賢い戦い方から、正当に見ようとすらしていなかった。
バカな真似さえしなければ、勝てるのが当たり前だった。
何戦か欠場しても、現状自分に勝てるライダーはいない。全戦優勝は消えたが、今年こそ、シャルロッタの年となるはずだった。
離れたところから観て初めて、自分が餌として追われる立場になっていることに気づいた。
アイカもラニーニもナオミも、まだまだなってないところがある。逆にそれだけ伸びしろが残されてるってこと。
バレンティーナはあれが限界でしょうけど、ヤマダのバイクは留まることを知らず、さらに進化してる。
あたしは勝手にパワーをコントロールしてしまう電子制御なんて嫌いだけど、バレンティーナはそういうところだけは器用なやつだから、くせ者なのよ。
近いうちに、いや、すでに追いつかれているかも知れない。
本来、対等に渡り合えるライバルの出現は望むところだが、レースに出られない身には、焦りだけが募った。
冷静に考えてみれば、発展途上の方が進化の速度が速いのは当たり前のこと。勿論、弛まぬ努力があってのことだが、シャルロッタにだって進化の余地はある。
不本意ながらシャルロッタは、この施設で、身体を作り直す決意を固めた。
あたしは勝たなきゃならないの!あたしに憧れる人のために、絶対に。
「トレーニング再開するわよ。今度はしっかりと指導しなさい!」
勝手に暴走してへばったのをトレーナーのヘレナにかずけて、再びエアロバイクに跨がった。
「まだ心拍数が高いので、ゆっくり漕いでください」
シャルロッタの怪我していない方の手首に着けられた心拍計と繋がったモニターを見ながら、ヘレナは再び全力で漕ぎ出そうとするシャルロッタを諌めた。
心臓はまだ毎分120以上の鼓動を続けている。本来ならもう少し休ませたいところだが、やる気になっているなら体を動かしながら休ませる方が効率的だ。
「そんな呑気にやってらんないわよ!乗る以上、あたしはエアロバイクでもモーターバイクでも、最速なんだから」
シャルロッタには、全力かなにもしないかの思考しかないらしい。数分前には心拍数が160を超えていたのだから相当きついはずだが、意外と心臓は丈夫なのかも知れない。レース中のライダーは、瞬間的に200拍/分を超えるという。
「シャルロッタさん、トレーナーさんの言うこと、ちゃんと聞かないとだめですよ」
シャルロッタが気持ちだけで漕ぎ出そうとしたとき、聞き覚えのある声にはっとして振り返った。
「アイカ!?」
「シャルロッタさんに自分からトレーニングする気にさせるなんて、すごいです」
愛華はエアロバイクの後ろから横にやって来て、ぺこりとヘレナにお辞儀した。
「べ、べつにやる気になってるわけじゃないわよ!暇だったからちょっと漕いでただけよ」
「なんか、すごく必死になってたみたいだったんですけど。立てないぐらいに」
「あんた、いつから見てたの!?」
「シャルロッタさんが隣の男の人に張り合って失神するちょっと前ぐらいからですけど」
「失神なんてしてないわよ!」
「そうなんですか?でも顔はわたしのほう向いてたのに、ぜんぜん気づかないんで、意識なくしちゃったのかな?って心配したんですよ」
「あんた、絶対心配してないでしょ!?」
「まあ専門のトレーナーさんが付いているんで、たぶん大丈夫かな、って」
「うぅぅ……」
ペロリと舌を出して誤魔化す愛華に、シャルロッタは言いたいことがたくさんあるのに、あまりにどっと溢れてきて、言葉が詰まってしまった。
「……?」
愛華としても、当然オランダとドイツで惨敗に終わったことを責められると思っていただけに、ちょっと調子が狂う。
「とにかく!……いろいろ迷惑かけてゴメン。あと、来てくれてありがとう……」
「えっ?」
なに?今、この人、もしかして謝った?それからお礼まで言った?
愛華は、もしかしたら事故のとき、頭も打ってしまったのかも?と心配になってくる。
「なによ!あたしが謝ったら悪いの!」
「そんなことないです。うれしいです。ただ、ちょっとびっくりしただけです」
頭を打っていようといまいと、素直になってくれるのはありがたい。しかし、こんどは愛華が正直でいられなくなってしまった。
どうしよう、ヨーロッパで一番というトレーニング施設が見たいからエレーナさんについて来ただけなんて言えない……。
シャルロッタが、急にトレーニングする気になったのも、愛華に素直な気持ちを伝えられたのも、頭を打って精神が不安定になってるからではなかった。(シャルロッタの精神は大概いつも不安定だ)
シャルロッタは入院してから、遠くにいる友人と頻繁にメールのやり取りをしていた。以前からメールのやり取りはしていたが、特に安静にさせられていた入院当初は、暇を持て余したシャルロッタから積極的にメールを送信するようになっていた。
同じチームの愛華やエレーナにも言えないことも、レースとは無関係の彼女には、見栄や虚栄を張ることなくありのままの自分を見せられた。シャルロッタにとって、バイクとは関係ない初めて知り合いであり、数少ない友だちである。
ドイツGPを観たあと、バイクに乗れない苛立ちやライバルたちの急激なレベルアップの不安を、包み隠さず明かした。
そして今朝も、返信が届いていた。
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Dear Frend
私なんかが、シャルロッタさんの不安を和らげるなんてできないかも知れないけど──もしかしたらシャルロッタさんの不安を理解すらできてないかも知れないけど──、シャルロッタさんは誰がなんと言おうと私の憧れです。
私はこれまで、周囲の期待通りの人生を歩んできました。たぶん将来も、大学を卒業して、周りに祝福されて結婚して、平凡なお嫁さんになることが幸せだと思ってました。それは今も否定しません。
でも、シャルロッタさんを見てると、本当の自分、自分が誇れるものを持っていることが、すごく羨ましいです。
シャルロッタさんの怪我を知った時、すごく驚いて心配したけれど、「必ずチャンピオンになるから」ってメールもらって、とても強い人だと思いました。
シャルロッタさんだけでなく、アイカもラニーニさんもナオミさんも、私とあまりちがわない歳なのに、みんな目標に向かって、本当に命懸けで頑張ってると思ったら、私なんて全然甘えてたことを思い知らされました。
私なんかがこんなこと思うこと自体、シャルロッタさんに失礼かも知れないけど、「私も目標を持って、自分らしく生きたい」と強く思ってしまったのです。
私はこの春、ついにオートバイの免許を取りました。
もちろん私には、シャルロッタさんのような特別な才能もないし、アイカみたいに運動も得意じゃないから、プロのライダーにはなれません。
機械も苦手なのでメカニックにもなれないでしょう。
それでも、シャルロッタさんやアイカと同じ夢を見ていたい、今の私にも出来ることはなんだろう?って考えました。
私は今、大学で栄養学を勉強しています。この先、医療と心理学も学ぼうと思ってます。今からそれらを勉強して、資格を取るのは大変なことだと承知してますが、世界チャンピオンになるより遥かに容易いことです。
私の目標は、世界チャンピオンを支えるスタッフになることです。
シャルロッタさんたちと比べたら、全然小さな目標かもしれないけど、せめて気持ちだけでもシャルロッタさんやアイカに負けないように、命懸けで頑張ります!
こんな話聞かされても、何の励ましにもならないでしょうけど、シャルロッタさんに憧れて、自分の生き方みつけた人がいること、憶えていてくれたらうれしいです。
シャルロッタさんの早期復帰祈ってます。でも絶対無理はしないでください。
私が行くまで、最速のシャルロッタさんでいてくださいね!
Your frend SAKI紗季
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シャルロッタとは正反対の性格の紗季。正反対だからこそ、憧れるのかも知れない。
シャルロッタもまた、自分の持っていないものを持っている紗季を、心の隅で羨ましく思っていた。
サキがあたしのために一生懸命頑張ってるんだから、あたしだってやってやるわ!天才のあたしが最強の肉体を手に入れたら、もう絶対無敵よ!
当然ながら、このことは愛華にも秘密だ。
シャルロッタと紗季だけの秘密である。それがまた、シャルロッタの密かなモチベーションとなっていた。




