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最速の女神たち   作者: YASSI
進化する世界
262/398

神の子?悪魔の子?それともシャルロッタ?

 MotoGPシリーズは、折り返し地点のドイツGPが終わると、約一ヶ月の夏休みに入った。

 と言っても、レースがないだけでスタッフもライダーも、のんびり休んでいられる者はほとんどいない。大抵はチームの本拠地でマシンのテストかトレーニングに費やされる。

 基本、バイクが三度のめしより好きという者ばかりの世界なので、休みがないと不満の声があがる事はあまりない。そうでない者もいない訳ではないが、GPでの生活を長く続けられないだろう。


 そのバイク好きの中でも、一番のバイク好き、魚が水の中でしか生きられないのと同じように、レース場でしか生きていけないシャルロッタが、サーキットを走ることはおろかバイクに跨がることすら許されない状況にあった。


 バイクを「我が半身」と(のたま)うシャルロッタ・デ・フェリーニは、ドイツGPの行われたザクセンリンクから300㎞ほど離れた、ミュンヘンのある施設にいた。


 そこはスポーツ界では世界的に知られた病院で、最先端の医療技術と競技種目に応じたリハビリテーションプログラムによって、故障の治療と競技への復帰をめざす、スポーツ選手専門の病院である。場合によっては故障する前より良いコンディションで選手を復帰させると言われ、サッカー選手からテニスプレーヤー、自転車選手等、トップクラスのプロ選手を含む多くアスリートたちに奇跡をもたらせてきた。

 また、特に故障がなくても、シーズンオフに肉体改造を目的に入所する選手も少なくないので、一般の人からは病院というより、最先端のトレーニングセンターと思われている。


 実はその施設のトップ、ハンス・シュナイダーという医師が、ハンナの父親と古くからの友人で、陸上短距離とボブスレーで、夏期と冬季の両方のオリンピックに出場、ラグビーの西ドイツ代表メンバーにも選ばれたことのあるスーパーアスリートであった。


 スーパーアスリートにして世界的な名医。全てを手にしているように思えるが、彼の子供の頃から夢は、モーターサイクルの世界チャンピオンになることだった。

 しかし、ハンス少年の恵まれた体格と類い稀な運動能力に目をつけた高校時代の体育教師は、彼にラグビー部への参加を強く薦めた。

 それは彼の才能をフルに発揮させ、夏冬オリンピック出場という偉業に繋がるものではあったが、後に身長195㎝、体重100㎏を越える巨躰にまで成長する体躯は、ロードレースには適さない事が明らかとなっていった。

 ハンスはライダーとしての成功は諦めたが、その後もモータースポーツへの興味は失わず、医学的な視点から見たGPライダーの身体的適性を解析した論文を発表するなど、二輪レースには特に関心を持ち続けている。同じくラグビーの代表メンバーだったハンナの父親、LMS社長のカール・リヒターとは無二の親友であり、娘のハンナという名前もハンスからもらったという。

 それが縁という訳ではないが、エレーナも何度かお世話になっていた。

 

 

 


 ドイツGPのあと、エレーナ、スターシア、愛華の三人がすぐにチームのホーム、ツェツィーリアには向かわず、ミュンヘンに立ち寄ったのは、シャルロッタのお見舞い(監視)だけが目的でなく、エレーナの診察とトレーニングプランの相談、それと最先端のトレーニング方法を見たいという愛華のたっての希望からだった。

 

 

 予め連絡はしてあったが、予定より早く到着した事とハンス先生も有名なスキー選手の膝の手術が予定より長く掛かっているそうで、エレーナたちは先にシャルロッタの様子を覗くことにした。


 どうせアニメのビデオでも観ながら寝てるだろう、などと話しながら病室を訪れたが、そこにシャルロッタの姿はなかった。看護師に尋ねると、トレーニング場にいるという。

 愛華は失礼ながら少し期待はずれな気がしたが、シャルロッタがわざわざドイツのこの病院に入院しているのは、少しでも早く、良いコンディションで復帰させるためだ。シャルロッタがリハビリに励んでいるのはいいことだと、変な方向で期待していたことを反省した。

 エレーナたちと、希望していた最先端のトレーニング施設の見学とシャルロッタの激励にトレーニング場のある棟へ向かった。

 

 愛華も中学の頃、大怪我をしてその地域では一番大きな大学病院に入院していたことがある。そこのリハビリ室も一通りの器具が揃っており十分立派なものだったが、様々な分野の一流選手が利用するという最先端の設備とはどんなものなのか、愛華はすごく興味を抱いていた。


 しかしガラス張りの廊下から覗いたトレーニング場は、意外にも普通で、目新しいトレーニングマシンなどは見当たらない。台数はそれなりにあるものの、大きな町ならよくあるトレーニングジムに揃っている以上の器具はなさそうに見えた。


「トレーニングに近道はないという事だ。ダメな奴ほど、最先端科学に頼ろうとする。しかし鍛えるという行為は、自ら重荷を背負う行為である事を忘れてはならない」

 拍子抜けした顔をしている愛華に、エレーナが不変の真実を語った。確かに、町のトレーニングジムは、これでもかと最先端の器具が揃っている事を宣伝するが、それに釣られる者にそれほど効果があったように思えないのは、どこも同じらしい。

「アイカが期待していたものとは違うかも知れんが、トレーニングとはなんなのか、ハンス先生の話を聞けば、きっと理解できるだろう」

 この時点で真面目な愛華には、エレーナの言葉の意味が漠然とではあるが理解出来ていたが、ハンス先生にお会いするのが楽しみでわくわくした。


 わくわくし過ぎて、ここにやってきた本来の目的を忘れるところだった。

「そういえばシャルロッタさん、どこにいるんでしょうか?」

 ありふれた器具ではあるが、とにかくたくさんあり、大勢の人が真剣にトレーニングしている。それにトレーニング場は他にもあるという。

 一番小さくて、スポーツ選手らしくない女の子を探せば、すぐに見つかると思っていたが、廊下から覗いただけでは見つかりそうにない。

「わたし、ちょっと探してきますので、エレーナさんたちはこの辺で待っててください」

「おい、バタバタと歩き回っては邪魔になるぞ」

 エレーナが制止しようとしたが、愛華は一流のアスリートたちがトレーニングしている姿を間近で見たくて、一人で駆け出していた。


「アイカちゃん、意外とミーハーだったんですね」

「あいつはミーハーというより、練習の虫だろう。まあ誰かと違って、無駄に色気を振り撒いてトレーニングをしている人の邪魔するようなことはないだろうがな」

「私は色気など振り撒いてません!」

「スターシアのことを言ったつもりはないが、心当たりでもあるのか?」

「○■□※▲☆!」

 エレーナの調子は、だいぶ戻っているようだった。

 

 

 その頃、肝心のシャルロッタは別のトレーニング場で、左腕にギブスをした体で自転車漕ぎマシン(エアロバイク)を漕いでいた。


「少しペースを抑えてください」

「まだまだ行けるわよ!隣のおっさん、ぶっちぎってやるわ」

 タブレット端末を持った女性トレーナー、ヘレナ・ウェルケの指示に従わず、シャルロッタは更にペダルを力いっぱい漕ぎ続けた。

 隣では腰を痛めて入院中の自転車選手が、ゆっくりとペダルを回している。


 

「先ずは一定の心拍数で、長く続けることが第一段階です。必ず復帰させてあげますから、焦らないでください」

 一分ともたず、ぜぇぜぇと息のあがったシャルロッタは、ヘレナからやさしく諭されることとなっていた。

「復帰するのは、ハァ、ハァ、当然よ。ハァ、ハァ、でも、あたしは、ハァ、一日でも早く、ハァ、前より強くなって戻らなくちゃならないの!」

 床に座り込み、息を切らせて言い返すシャルロッタを見下ろして、ヘレナは大きなため息を漏らした。


 これで何度めだろうか。普通ならやる気になってくれるのは歓迎すべきだことだが、リハビリを指導するトレーナーとしては悩ましい事態だ。

 正直、彼女としては、練習熱心な者より、練習嫌いな者の方が扱い易い。

 練習嫌いな者には、決められたメニューをやらせるだけでいいが、熱心な者ほど、ついやり過ぎてしまう。目を離すとオーバーワークをしてしまい、却って悪化させてしまうことがよくあるのだ。


 一流と呼ばれるアスリートの多くは、口では練習嫌いを公言していても、ほとんどが他人より多くトレーニングをしている。

 故障からの復帰如何で、選手としての地位と収入、人生そのものが大きく変わってしまう状況なら尚更だ。そんな選手ほどサポートする側としても応援したくなるのだが、隠れてまでトレーニングしようとするのだから本当に気が抜けない。

 その点、シャルロッタはコントロールし易かった。ただ思いついたみたいにやる気になるのには、今の段階では心配ないが、トレーニングのレベルが上がるに従い、注意しないと取り返しがつかないことになる。


 ヘレナは特にモータースポーツ好きという訳ではなかったが、シャルロッタについては以前から知っている。いつもスポーツニュースを賑わせる変わり者の少女は、実際に会ってみると噂通りの変人だった。

 決して悪い意味ではない。この世界には、変人と呼ばれることに憧れる者もいる。ヘレナはトレーナーとして、シャルロッタに強く興味を惹かれていた。

 できる範囲で行われた運動能力測定では、筋力、持久力は平均以下だが、動体視力と反応速度は、測定機器の故障では?と疑いたくなる数値を何度も示した。

 かと思えば、時折、あり得ないほどドジっぷりをみせてくれる。スポーツ選手でも日常の体の使い方で、ある程度運動センスがわかる。しかし、この娘はそんなレベルじゃない。

 まるでずっと松葉杖に頼って生活してきた人が初めて二本の足で立って、バランスを崩した時、とっさに足で踏みこらえるのでなく、杖を持たない腕で支えようとして転んでしまうような、これまでどうやって生活してきたのか不思議に思う場面に何度も遭遇した。

 そのくせ、バランスボールなどやらせると、片腕と首に固定具を着けられているにも関わらず、サーカスの軽業師のように平気でボールの上に立ち、どうすればいいの?と訊いてくるので焦ってしまう。


 自分たちとは根本的になにかが違う。


 大学の頃、テニスプレーヤーとしての才能に見切りをつけたヘレナは、ハンスの講演を聴いて、トレーナーの道を志した。

 ハンスに師事しながら、多くの才能あるスポーツ選手を見てきた。中にはその世界で天才と呼ばれている選手もいた。そういう人は、確かに神に愛された特別なものを持っていたが、深く関わってみれば、その才能も人としての延長線上でしかなかった。


 どの競技でもその歴史の中に、それまでの常識を変えてしまったチャンピオンが一人や二人はいる。

 大抵は突然現れ、既存の選手たちを翻弄し、ファンを魅了する。そして現れたときと同じように突然に、その誰にも受け継がれることのない技術とともに消えていく。

 『この世界には、時折、いたずらな神様が降りて来て、人間の無力さを嘲笑うように遊んで行くことがある』などと言ったりするが、ヘレナはそんな天才には、一度も実際に出会ったことがなかった。中には「自分は天才だから努力など必要ない」と大言を吐く者はいたが、そんなのに限って、裏側で血の滲むような努力をしていたりする。

 努力では越えられない壁があるのは事実だが、才能だけでトップに立てるほど今のスポーツ界は、どの競技も甘くない。

 少なくともヘレナの知る限り、天才ともてはやされるほとんどは、本人或いはまわりの人間によって、大きく見せようと演技、演出が加えられている。


 

 それなのにシャルロッタは、もしかしたら本当に悪戯をしに地上へやって来た神様か悪魔の子じゃないかと思える未知の生き物だった。


 そんな神の子、或いは悪魔の子に、フィジカルトレーナーとして関われることは、名誉以上にスポーツ医学を研究する者として興味が尽きない。

 彼女に正しくトレーニングさせたらどうなるのか?

 もしかしたら、尊敬するドクターシュナイダーの、世間ではあまり評価されてないが当人は一番力を入れたという論文に、自分の手で修正を加えられるかも知れない。


 だが同時に、復帰が上手くいかなかった場合の責任は重大だ。


 滅多にない研究対象を前にしたヘレナは、自分の運命を捧げる覚悟をした。


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― 新着の感想 ―
[一言] う〜ん、流石はシャルロッタ。期待どうりの活躍!
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