特別の証明
バレンティーナは、ピットからのサインで、トップを行く三台が1秒近くペースアップしたことを知り、目標を変更した。
愛華とラニーニたちがバトルを始めてくれれば、ペースが落ち、自分にもチャンスがまわって来ると思っていた。
しかし、彼女たちは───おそらくラニーニとナオミがリードして、愛華を振り切ろうとしているのだろう───スピード勝負に出た。
(二人いるんだから、ブロックして封じ込めちゃえばいいのに。まあ、あいつららしいけど)
バレンティーナは無駄なあがきはしない。
もう追いつけないとなった以上、このグループのトップでチェッカーを受けることに専念する。それが出来得る最善の策だ。
「ペースを上げる必要ないから、先頭のボクを守ってくれ」
バレンティーナは、集団のペースを上げようと試みていたアシストたちに呼び掛けた。
もう無理にスターシアやエレーナ、リンダたちを振り切る意味はない。がっちり守りを堅めれば、数と性能で上回る自分たちを早々パスできるものではない。スターシアは厄介だが、エレーナには以前の切れ味がない。突進するしか脳のないリンダは言うに及ばず。
なんとか逃げきれる。
それより恐いのは、ゴール前の上り区間でフレデリカに持ってかれることだ。低速コーナーが連続する前半部では持て余している大パワーも、上りとストレートはめちゃ速い。
(そこはエレーナさま方にも手伝ってもらって、フレデリカを抑え込まないとね)
「最後まで諦めないで!三人を追い続けて」
バレンティーナの目標変更に異を唱えたのは、オランダのレースのあと協力を受け入れたケリーだった。
「いやいや、今さら無理でしょ。それよりこのグループのトップを確実にする方が先決だって」
「彼女たちがゴールまであのペースで走りきれるはずないわ。必ずどこかで無理がくる」
「だから、その時のためにも、このグループのトップを確保しとかないと」
トップの三人は、それまででもかなりのハイペースを維持していた。終盤になって、そこから更に1秒近くもペースを上げたのだから、誰かが脱落、或いは三人共リタイヤする可能性はある。そのためにも、確実にこの集団のトップを抑えておきたいのだ。
「私は、あの子たちを捉えるのを諦めるな!って言ってるの。まだ優勝のチャンスはあるわ」
過去に対立はしていても、ケリーのバイク開発やレースへの理論的なアプローチには、一目おいていた。
そのケリーがそんな非合理的なことを言うとは、彼女のことを買いかぶり過ぎてたらしい。ヤマダと長く関わっていたせいで、日本的な悪習までうつってしまったのかも知れない。
「可能性は認めるけど、現実をよく見てよ。そんな根性論振りかざすより、できることに集中すべきでしょ」
バレンティーナは、やれやれと言うように、ヘルメットを横に振ってみせた。
「あなたがチャンピオンを狙うつもりがないのなら、それでもいいわ。でも覚えておきなさい。タイトルは転がり込んでなんて来ないってことを」
それには少々ムッときた。偉そうに言われたくない。自分もチャンピオン経験者だ。
尚もケリーはうっとうしい説教を続けてくる。
「計算するのも大事。でも、チャンスを見送ってしまう者に、レースの神様は決して微笑んだりしないから」
「勇猛と無謀の区別もつかない者にもね」
バレンティーナとしては、たっぷりと皮肉を込めたつもりだ。確かに可能性はある。しかしそれは、バレンティーナが頑張ってどうこうできるものではない。冷静に考えて、今の状況ではこぼれ落ちてくるのを待つのがベストだ。
「エレーナさんを甘く見ない方がいいわ。守りに入ったら脚をすくわれるわよ」
バレンティーナは振り返って、エレーナの様子をさぐった。
アンジェラたちが守りに入ったため、集団は膠着状態になっている。そんな中でエレーナは、疲れ果てた様子でそこにいた。
残り5周を切っているというのに、エレーナは膠着した集団の中で動けずにいる。かつての女王の面影はない。
(なにを言うかと思ったら、今度はエレーナ?残念だけど、彼女はもう終わってるから)
バレンティーナは、ケリーの説得を無視した。
しかしケリーには、そんなバレンティーナこそ、哀れな負け犬に思えた。負け犬に尽くすつもりはない。
「どうやらあなたは、シャルロッタさんどころか、アイカさんにも勝てないようね」
「ボクがアイカに勝てないって!?」
無視しようと決めたのに、アイカの名前に思わず反応してしまう。
「冗談だよね。確かに相性は良くないけど、実力じゃ全然話にならないでしょ。ボクが調子わるい時に、たまたまあいつの調子がよかっただけって、目がついてたら誰でもわかるよね」
自分でも驚くほど剥きになっている。これほど剥きになるのは、愛華を畏れていると認めているようなものだ。
……………
「わかったよ、認めるよ。アイカはいつの間にか脅威を感じさせるライダーになってる。でも、ボクが勝てないってのは認められない。ボクの方が絶対上だ」
「なら証明して見せて。アイカさんがあなたの立場なら、絶対に諦めない。そして本当にトップに追いついてみせるでしょうから」
いったいケリーは、誰の味方なんだ……
このまま走っても、今さらペースアップしても、見込める結果に大差ない。リスクを冒すだけマイナスだ。だけどアイカと比べられる事自体が癪だ。
「のせられた気がするけど、ボクの方が全然上だって証明してあげるよ。今日ここに観に来てる9万人の観客とテレビ観てるボクのファン、あとエレーナとアイカのファンにもね」
絶対に知られたくないが、彼女が一番証明したいのは「自分自身に」だった。




